書評

『スクリーン・スタディーズ: デジタル時代の映像/メディア経験』(東京大学出版会)

  • 2019/08/09
スクリーン・スタディーズ: デジタル時代の映像/メディア経験 /
スクリーン・スタディーズ: デジタル時代の映像/メディア経験
  • 編集:光岡 寿郎,大久保 遼
  • 出版社:東京大学出版会
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2019-01-30
  • ISBN-10:4130101382
  • ISBN-13:978-4130101387
内容紹介:
「写真」「映画」「テレビ」あるいは「携帯電話」といった「ジャンル」によって分断されて見えなくなってしまった映像/メディア経験の実相を,私たちの日常において時間的空間的に増殖し遍在し続けるスクリーンという新たな視座=通奏低音から捉え直す試み.

十六人の悩める若手研究者 ―新たな領野を宣言する『スクリーン・スタディーズ』書評

はじめに

三十代の研究者というのは、さまざまなフラストレーションを感じている。新しい発見や知見を提示しているはずなのに上の世代から認められない。いい仕事をしてきたはずなのに就職がなかなか決まらない。就職しても授業や雑務が多くて、なかなか研究する時間を取ることができない。そうした悩みを悶悶と抱えながら、それでも仲間と切磋琢磨し、調査や論文執筆に力を尽くす。植物の成長点のようにさかんに新たな知見を生み出すこの時期の活動が、あとでふり返れば大きな知的飛躍になっている(ということもある)。
本書は、そんな三十代の研究者ら十六人によって編みあげられたメディア研究、映像文化研究に関する論文集である。
はじめにこの論文集のねらいを論じておこう。それは第一にメディア研究と映像文化研究という、これまでよく似た対象をあつかいながら容易に連携できずにきた二つの学問を架橋することにある。第二に、「スクリーン」という日常用語を概念装置として鍛え、この装置を中核として、デジタル映像環境をとらえるための時限付きの理論枠組みとして「スクリーン・スタディーズ」を提案することだ。結論からいえば、光岡寿郎、大久保遼という二人の編者を中心とする十六人の若手研究者は、この試みに成功しているとみることができる。
私はメディア論(メディア研究とほぼ同じ意味)に取り組んできた者なので、おもにその観点から本書について論じてみたい。いい方をかえると映像文化研究を立ち位置とする誰かが別のアプローチから物語るものと、読み較べてもらえれば幸いである。

1 メディア研究の形成

まず、メディア研究という学問領域の形成過程を駆け足でふり返っておきたい。
日本においてメディア研究という領域が姿を現したのはおよそ一九九〇年代に入ってからのことである。八〇年代には、学問としてのメディア研究は存在していなかった。なにがあったかといえば、ラジオ、テレビのインパクト研究と、第二次世界大戦中のプロパガンダ研究から発展した米国流の実証主義的なマスコミュニケーション研究だった。マスコミュニケーション研究はメディアが人々にどれだけの影響や効果をもたらすかに注目したが、メディア、すなわち人々の経験や世界認識を枠づける媒介に照準することはなかった。
九〇年代前半、そうしたマスコミュニケーション研究に対する異議申し立てが複数の分野からなされ、それがやがてメディア研究という領域として凝固することになった。藤田真文、伊藤守、吉見俊哉、石田佐恵子、若林幹夫らが、記号論、社会学、文化研究、都市論などといった多様な領域から声を挙げたのがはじまりだった。ちなみに現在五十代後半の彼らは、当時三十代の悩める若手研究者だった。
九〇年代後半から二〇〇〇年代(以下、ゼロ年代)前半、英国カルチュラル・スタディーズが旋風を巻き起こす。その中心的領域がメディア研究だった。欧米で博士号を取った岩渕功一、毛利嘉孝らがグローバルな知見を供給しはじめたこともあり、メディア研究のテキストが何冊も出るようになった。メディア環境の変化もともない、インターネット研究、ケータイ研究などの新領域が雨後の筍のように姿を現しはじめた。マスコミュニケーション論が専門だという研究者が激減し、多くがメディア研究を唱えはじめた。この領域が学問的制度化を果たすことになったのである。そしてこのゼロ年代に大学院生時代を過ごしたのが、本書の書き手たちだった。

2 概念装置としてのスクリーン

ゼロ年代にメディア研究のテキストを読んで育った十六人の書き手たちの不満は、きわめて納得がいくものだ。すなわちメディア研究は歴史研究や実証研究などさまざまに発展しているが、その理論は英国カルチュラル・スタディーズの影響が世界に広まった九〇年代くらいまでで止まってしまっている。その理論は大前提として、全国的なマスメディアとそれがまき散らす情報を受けとる国民としての受け手という関係図式を基本としてできあがっており、生活のあらゆる場面に遍在するスクリーンと映像文化がもたらす現代的な人々の経験や世界認識をとらえるには不十分だというのだ。
あらためていえば本書の企図は次の点にある。メディア研究の課題を克服して新たな地平を切り拓くこと、閉塞しつつある映像文化論を新たな地平においてメディア研究に接合すること、そのために「スクリーン」という概念装置をこしらえ、二一世紀初頭のメディアと映像文化状況をとらえることである。
理論的に重要なのは前半に配置された光岡寿郎、飯田豊、そして渡邉大輔の論文である。光岡は従来のメディア研究の限界を、空間論的観点からとらえなおし、映像文化研究との接合を図るためのスクリーン概念を丹念に論じて、本書の柱を作っている。飯田は九○年代に吉見俊哉が先鞭をつけ、発展してきた日本のメディア・イベント研究を批判的に検討し、スクリーンに媒介された人々の雑種性、複数性をとらえるための理論を検討する。渡邉は映画研究の立場から、二〇一六年に空前のヒットとなった『君の名は。』『シン・ゴジラ』を素材として、蓮實重彦に代表されるかつての映画文化研究が限界を迎え、スマートフォンに媒介されてネットワークするSNSがまき散らす断片化した映像の中に埋め込まれた映画と、新たなタイプの観客との関係性が出現していることを明らかにする。いずれも先行研究と果敢に戦い、新たな研究領野を明解にデッサンしている。

3 論文集をメディア分析する

次に、『スクリーン・スタディーズ』をメディア研究的な観点から、つまりその形態と様式をとらえる観点から論じてみよう。本書は十六人の書き手による十八本の論文からなっている。序章とあとがきは光岡、大久保という二人の編者が担当し、本体となる論文は十六本ある。このうち九本が二〇一〇年代半ばに書かれ、転載、あるいは加筆訂正されて収録されている。大久保によれば本書は、二〇一二年に構想されたということなので、その九本は本書に収録されることを前提にあちこちで活字化されたものだろう。それら以外の論文も、子細にみれば大本となる書物や論文がある場合が多い。忙しい三十代の研究者らが「スクリーン・スタディーズ」という理論枠組みによって、散逸しがちな研究成果をまとめ上げたとみることもできる。私は初出論文のいくつかを読んだことがあったが、初出よりこの論文集で読む方がおもしろかった。加筆訂正のためもあるだろうが、論文集の中におかれることで各論文に通底する企図が浮き彫りにされたことも大きいだろう。
全体は、理論、歴史、現在の三部構成をとっており、それぞれに論文が四本、五本、七本配置されている。日本におけるメディア研究はメディア史、メディアの歴史社会学の分野で大きく発展してきた経緯があり、飯田豊の言葉を借りれば歴史的事例研究の成果は「枚挙にいとまがない」。そしてその研究手法にはすでに一定のパターンがある。おそらく編者らはそうした研究実態をそのまま反映することを避け、歴史篇の論文数を絞り、現在篇を多めに取ったのではないだろうか。そこには、空間性と深く関わって成り立っている「スクリーン」概念に対し、時間性に基づく歴史研究とは別の発展の道筋を付けようという企図もあったにちがいない。いずれにしても穏当で、よく練られた構成である。
全体を通じた特徴は、論文数の多さと一本あたりの分量の少なさにある。私が編者であれば、寄稿者を十名以下とし、論文一本あたりの長さを今の二万字前後の一・五倍程度にしたと思う。寄稿者が多ければそれだけ編集意図を共有しにくくなり、論文が短ければ深い議論がしにくくなるからだ。一方で編者らがとった方針のメリットはもちろんある。一つは、日本各地に散らばる若手研究者をなるべく多く起用することで彼らに機会を与えると同時に、これだけ質の高い論文をものに出来る多くの三十代が新たな領域づくりに取り組んでいるのだと示すことができた点だ。二つ目は、「スクリーン・スタディーズ」という領野の幅広さを具体的に示すことができている点。最後に、大学院生が一回のゼミでしっかりと読みこなし、議論ができる分量を二万字前後と想定したのではないか。それはゼミを主催する者として納得できる。

4 併存する個別性と一般性

論文はどれもおもしろく、水準が高い。私の観点からあえて取り上げるとすれば松谷容作とgnckのものだ。松谷は二〇世紀前半に存在したパテ・ベビーといわれる手回し映写機と、それがもたらした人や物、コミュニティを含めたメディア・システムのありようを丹念に一次資料に当たりながら掘り返す。そして今日いわれる映画とは異なる映像文化の可能的様態を明らかにしており、それは現代の多様に拡散した映像文化状況をとらえるうえで重要な歴史的補助線を提供してくれている。
デジタル画像作品を論じるgnckは、日ごろなんとなく眺めているデジタル画像作品を成り立たせている要素と技術をていねいに論じ、高度に発達しきれいでツルリとした完成品としてとらえられがちなデジタル画像の透明性に対し、制作者の身体感覚から破れやノイズを与えていく試みを浮き彫りにしている。この種の論考は多様なメディアとリンク可能なオンライン環境で読んでこそおもしろく、学術論文集に閉じ込めることが得策かは議論の余地があるものの、スクリーン・スタディーズの深いところにフックした内容だ。
いずれも個別具体的なことがらを論じながらも、一般性のある広い射程を持っている。おそらくそのことは「スクリーン・スタディーズ」によって架橋されるこれからのメディア研究、映像文化研究が共通して持つべき学問的資質なのかもしれない。

5 二つの課題

この本には課題もある。二つを挙げておきたい。
第一に、方法論的なチャレンジが見出せない点である。繰り返しいえばスクリーンを概念装置として新たな領野を設立することに、編者らはバランスの取れた複数の方策を用いて取り組み、成功している。そこで重要視されたのは、理論枠組みの提示と、それによってメディア研究と映像文化研究を架橋することだろう。しかし一方で、新たな概念装置を提示する意義は学問的ポリティクスにあるのではなく、ダイナミックに変動し続けるデジタル環境における映像文化をよりよくとらえることにあるはずだ。そのためには新たな理論に見合った新たな方法論が必要ではないだろうか。
現在篇といえる第3部の七本を読んでみると、研究対象は新な映像技術やメディア文化であるにもかかわらず、そこでの方法論は伝統的な人文学、社会科学の領域に留まるものが多い。大久保はライゾマティクスの「スクリーン・プラクティス」を対象として人文社会系の技法で分析、記述しており、十分に意義深いものの、「スクリーン・スタディーズ」の思想的方法論として「スクリーン・プラクティス」を自らが設計し、反省的に実践する方向もあるのではないか。唯一、方法論が迫り出して見えるのは金暻和のモバイル・スクリーンに関する論考だ。金はメディア人類学やワークショップにおける相互作用的な観察行為に自覚的である。本書は映像や視覚が大きな位置を占めているが、金だけが触覚を本格的に論じていることは、方法論的な自覚と相関していると考えられる。
第二に、スクリーンという概念装置の吟味が十分ではない点である。前半の光岡論文で、ウィンドウ研究、インターフェイス研究との比較でスクリーン研究の有効性は論じられている。だがそれ以前に、これらの言葉が日常生活のなかで持つ意味合いが検討されるべきだった。すなわちスクリーン・スタディーズをめぐる学問論の前に、日常生活をプローブ(探針)する概念装置としてスクリーンという言葉をもっと鍛錬し、それを十六名の書き手が共有できていればよかったのではないか。

一九九〇年代に勃興したメディア研究が、ゼロ年代に一つの領域として確立してから十五年前後が経過した。その間、日本のメディア研究の理論的探究が停滞していたことは、ここで十六名の悩める若手研究者が指摘するとおりである。このことは、この領域において学部生向けのテキストは数多いものの、より高い理論水準が要求される大学院生向けのテキストがほとんど見当たらない出版状況と符合する。『スクリーン・スタディーズ』は、メディア研究と映像文化研究、伝統的マスメディアとデジタル・メディア、日本のメディア研究とグローバルなメディア・スタディーズの隙間を埋めるだけではなく、そうした日本の出版状況の隙間をも埋める本となっている。多少モバイルではないものの、しっかりと練られた戦略のもとで質の高い論文集を編みあげている。今後、多様な関連領域で幾度も参照される文献となるにちがいない。

[書き手]水越 伸(東京大学大学院情報学環教授・メディア論)
スクリーン・スタディーズ: デジタル時代の映像/メディア経験 /
スクリーン・スタディーズ: デジタル時代の映像/メディア経験
  • 編集:光岡 寿郎,大久保 遼
  • 出版社:東京大学出版会
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2019-01-30
  • ISBN-10:4130101382
  • ISBN-13:978-4130101387
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「写真」「映画」「テレビ」あるいは「携帯電話」といった「ジャンル」によって分断されて見えなくなってしまった映像/メディア経験の実相を,私たちの日常において時間的空間的に増殖し遍在し続けるスクリーンという新たな視座=通奏低音から捉え直す試み.

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