書評
『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』(集英社)
物理にも俳句にも光るセンス
一昨年(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2002年)、俳優の本木雅弘氏に読書についてインタビューしたとき、氏が選んだテーマが寺田寅彦の『柿の種』だった。この漱石の弟子にして実験物理学者のエッセイは、日常生活のなかで浮かんでくるさまざまな疑問について書かれている。その視点のユニークさに驚くと同時に、あえてそうした本を選ぶ本木氏のセンスに感心した。以来、なんとなく寺田寅彦が気になっていたのだが、その魅力と全体像を伝える新書が出た。松本哉(はじめ)の『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』である。表題は寺田の名文句「天災は忘れた頃にやって来る」に由来する。もっとも、本書によると、寺田の著作にこの文章は出てこないそうだ。口頭で述べられたものらしい。
寺田は変なものに興味を持った人だ。電車の混雑のしかた、茶碗の湯、金米糖、ガラスの割れ目、キリンの縞模様、等々、これがどうして物理学の研究対象になるのかと呆れるようなものばかり。なんたって理学博士の学位を取った論文は「尺八の音響学的研究」だったというのだから。多くの人は疑問を持たないもの、ちょっとは持っても深くは考えないものを、彼は見つけ出して考え抜いた。
この本のおしまいのほうに、寺田が弟子達の俳句を添削した話が出てくる。これが実に興味深い。寺田の俳句観は「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである」という漱石直伝のもの。自然をどう観察し、そこから何を感じ取り、どんな言葉に置き換えるか。寺田はそれを弟子達に伝えようとする。
なるほど、寺田にとっては、物理学の観察も、句作のための観察も、そしてそこからの探究や思考も、根っこは同じものだったのだ。文学的センスで物理学を研究し、科学的センスで俳句や随筆を書いた。
関東大震災のとき、在日朝鮮人が井戸に毒を入れたという流言蜚語が流れたのは周知の通り。それがいかにばかげたことか実証した文章も紹介されている。科学的センスが重要だ。
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