書評
『宰相A』(新潮社)
制度と図式に対抗する小説
田中慎弥の小説『宰相A』は、コッポラ監督の映画「ゴッドファーザー」やカフカの小説『城』、三島由紀夫にも言及しながら、人間を取り巻く制度とその図式に、果敢に対抗する。制度を成り立たせるのは言葉だが、そこに疑念を差し挟むことを可能にするものもまた言葉なのだ。駅に到着した弾みで目を覚ました「私」は、降り立った場所になぜかアングロサクソン系の人間ばかりがいることに気づく。みんな緑色の制服を着ている。日本国民であることを証明するN・P(ナショナル・パス)を所持していないことを指摘され、軍に引き渡される。そして取り調べを受け、自分が「旧日本人」に分類されることを知るのだ。旧日本はかつて戦争をし、負けると同時にその社会は一掃され、代わってアメリカが島国に根を下ろし「現在の日本国」が誕生したという。
居住区で抑圧されて生きる旧日本人たちは、政府への抵抗の拠(よ)りどころとして、伝説的な人物Jの再来を待っている。Jに似ている「私」は政府と居住区民たちとの衝突に巻き込まれる。すべては「私」の与(あずか)り知らぬところで進んでいく。そんな「私」の希望といえば、母の墓参りをし、紙と鉛筆を入手して小説を書くこと。それだけだ。「私」の職業は作家。ところが、この国では芸術活動も認可を得なければおこなえない。
人々は「虚実のはっきりしない物語」の中に「私を無理やり登場させようと」する。そのとき、「私」は認識する。「周りが勝手に仕立てて稼働させる物語が気に食わないなら、自分の手で物語を産み出し、対抗すべきではあるまいか?」。とはいえこの小説には抵抗が容易に運ばないことを明かす醒(さ)めた視線もある。
作者はそこで、ためらわずに読者を突き放す。だからあとは、読者は自分の中に抱えて見つめるのみだ。知っているはずの世界こそ未知の図式で成り立っているのだから。
朝日新聞 2015年04月05日
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