書評

『大菩薩峠〈1〉』(筑摩書房)

  • 2023/04/28
大菩薩峠〈1〉  / 中里 介山
大菩薩峠〈1〉
  • 著者:中里 介山
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(458ページ)
  • ISBN-10:4480032215
  • ISBN-13:978-4480032218
内容紹介:
原稿枚数1万5000枚に及ぶ世界最大の大河小説。魔剣「音無しの構え」に翻弄され無明の闇を遍歴する机竜之助を核に、多彩な人物が入り組み展開される時代小説の最高峰。大菩薩峠の頂上で老巡礼を… もっと読む
原稿枚数1万5000枚に及ぶ世界最大の大河小説。魔剣「音無しの構え」に翻弄され無明の闇を遍歴する机竜之助を核に、多彩な人物が入り組み展開される時代小説の最高峰。大菩薩峠の頂上で老巡礼を一刀のもとに斬り棄てた机竜之助の無双の剣は、魔剣と化した…一大巨篇の発端から、江戸、京都、大和へと流転果てない運命をさすらう「甲源一刀流の巻」「鈴鹿山の巻」「壬生と島原の巻」「三輪の神杉の巻」を収める。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――と最初に謝ってしまう。ある雑誌の仕事がきっかけになって『大菩薩峠』を読み始めたのだが、これが予想を裏切って面白い。何しろ富士見書房の「時代小説文庫」で全二十巻という大長編である。私も少しは仕事をしなければいけないので毎晩は読めない。この半月でようやっと八巻の途中までたどりついたところだ。全行程のまだ三分の一。それを右から左に原稿にするのもたいへん気がとがめるのだが『大菩薩峠』のおかげで他の本を読む時間がなくなってしまったのです。途中だが、八巻まで読んだ感想を書いてみようと思う。ごめんなさい……。
文庫本の第一冊目を読んだ段階で、早くも私は驚いた。『大菩薩峠』が二枚目の小説ではないことに驚いたのだ。
『大菩薩峠』といったら机龍之助で、二枚目で、剣豪で、ニヒリストの話だと思っていたのだが、いざ読んでみると、これがそうでもないんですね。机龍之助とそれを兄のかたきとつけ狙う若武者の宇津木兵馬の話はいちおう一つの太い柱にはなっているけれど、そればっかりではない。他の周辺人物たちのドラマもじっくり書きこまれている。文庫本三冊目なんか凄い。机龍之助はほとんど出てこない。旗本の駒井能登守と三味線弾きのお君の悲恋が中心になっているのだ。
アル中気味だが名医の道庵、槍を持たせたらこわいものなしの野生児・米友、超人的俊足の泥棒・七兵衛、「慢心してはいけません」が口癖の慢心和尚生自由に鳥獣と会話ができる怪童・茂太郎、人なみはずれた直観力を持つ盲目のおしゃべり坊主・弁信……などアウトサイダー的な怪人物が次から次へと登場し、そしてまた、彼らの因果の糸はグチャグチャに結びついている(まるで全国で百人、江戸に三十人くらいしか人がいなかったかのように、すばらしく偶然に彼らは知り合いだったり、知り合ったりするのだ!歌舞伎を思わせる楽しい御都合主義!)。
机龍之助の登場シーンはさすがに陰気でシリアスで内面的だが、他の登場人物のシーンは思いのほか陽気で滑稽で、ときにはスラプスティック的な展開になっている。作者中里介山は、きっとニヤニヤ笑いながら書いていたんだろうな、と思わせる描写が案外いっぱいあるのだ。たとえば、大男の与八と小男の米友がコンビを組んで旅をする場面――。

与八の歩くのは牛のようでありましたけれども、しかも大股でもありました。米友の走るのは二十日鼠のようであって、しかも跛足なのであります。与八を煙草入れとすれば、米友はその根付けのようなものであります。与八を三味線とすれば、米友はその撥(ばち)みたようなものです。もしまた与八をお供え餅とすれば、米友は団子みたようなものであります……

うんぬん。こんな冗談めいた文章が随所に見られる。『大菩薩峠』がこんなおかしい小説とは、ああ、私は知らなかった。
実は私は二十代の頃、ひまつぶしに家にあったカビくさい『大菩薩峠』(たぶん戦前に出版されたものだと思う)を少しだけ読んだことがあった。文庫本でいったら二冊目くらいで挫折してしまった。その頃は机龍之助=ニヒリスト=シリアス小説という先入観にしばられていたらしく(たぶん市川雷蔵の大映映画『大菩薩峠』のイメージにしばられていたのだろう)、介山のお茶目に気がつかなかったようだ。
机龍之助は純然たる主役というのではない。誰が主役というのでもない。確固とした「中心」はない。江戸の世の各階層の怪人物数名が入り乱れる図を、次々に焦点を動かしながら描き出そうとしている。西洋絵画のように遠近法や陰影法を駆使して、見る人の視線をある一点に導いていくようなやり方ではなく、日本の絵巻物あるいは仏教的な曼陀羅(まんだら)のように、見る人の視線をはいずり回らせるようなやり方の小説だと思う。
『大菩薩峠』の前書きには、

この小説『大菩薩峠』全編の主意とする処は、人間界の諸相を曲尽して、大乗遊戯(だいじょうゆうげ)の境に参入するカルマ曼陀羅の面影を大凡下(だいぼんげ)の筆にうつし見んとするにあり。この着想前古に無きものなれば、その画面絶後の輪郭を要すること是非無かるべきなり。読者、一染(いっせん)の好憎に執し給うこと勿(なか)れ。至嘱。

とあるが、まさに一個人ではなく「人間界の諸相」の写生を狙った、大きな小説だと思う。大長編(しかも未完!)となったのも当然だ。
机龍之助と宇津木兵馬、この二人の二枚目のかたき討ちはどうなるのか!?――という興味を主軸にして、そこに壮絶な恋愛ドラマが絡む(何しろ机龍之助はおそろしくモテるのだ。介山によると「どうかすると、世間には龍之助のような男を死ぬほど好く女があります――好かれるほうも気がつかず、好くほうもどこがよいのかわからない中に、ふいと離れられないものになってしまう」のだそうな)。
さらにヒロイックな剣豪小説の面白さもある。龍之助の有名な「音無しの構え」とか、直心陰流の島田虎之助が平青眼で一人で十三人を斬って捨てる場面とか、拳骨和尚が木のお椀二つで近藤勇の槍を撃退したという場面とか……。私は拳骨和尚の話には「まるでマンガだ」と愉しく笑ってしまったけれど、男の子って、こういう話、真面目に好きよね。「すげー、かっこいいー」なんて憧れるのね。いくつになっても、ね。
さらに、さらに、私が感心するのは(まあ、昔の時代小説家はがいしてそういうものなのだろうが)随所に歌舞伎、仏教説話、儒教の教え、土地の伝説(フォークロア)……などに関する豊かな知識教養が盛りこまれていることだ。とくに印象的に出てくるのが、間(あい)の山節の歌である。この小説のテーマソングといってもいいだろう。

夕べあしたの鐘の声
寂滅為楽(じゃくめついらく)と響けども
聞いて驚く人もなし
花は散りても春は咲く
鳥は古巣へ帰れども
行きて帰らぬ死出の旅

中山介山は文庫本五冊目「安房の国の巻」で、「この大菩薩峠と兄弟分に当る里見八犬伝は」うんぬんと書いている。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』をスタイルの上では十分に意識して書いた小説なのだ。と同時に、介山はこれを娯楽小説として受け取られることを嫌ったという話もある。
しかし(三分の一しかまだ読んでいないが)、私はこれは立派な娯楽小説だと思った。娯楽もきわめれば芸術、という、そういうレベルに達している小説だと思った。



私にとって一九九五年一番の文学的事件は中里介山『大菩薩峠』を読んだことだ。
何しろ『大菩薩峠』は約三十年がかりの、しかも未完の大長編小説である(一九一三年から一九四四年まで。介山二十八歳から五十九歳まで)。面白くて、どんどんどんどん読み進んでいったが、「ここまで足を突っ込んだからには」「とにかく最後までたどりつきたい」という気持が先行して、ずいぶん粗雑な読み方になってしまったということは告白しておかなければならない。読破したといっても、まったく上っつらだけで、あんまり威張れない。
文庫本で何冊か、そう、二、三冊読んだ段階で、これはそうとう変わった構想というか、情熱にもとづいて書かれた小説だということがわかる。多面的な才能を持っている人間は、普通、小説なら小説を何作か書き、気分を変えてエッセーを書き、またそれとは別に硬い評論を書き……というふうに自分の世界を展開してゆくのだが、中里介山という人は、『大菩薩峠』という、いちおう物語の骨格を持ったものの中に、そのすべてを投入してしまったのだ。小説、エッセー、評論といったジャンル分けを度外視して、『大菩薩峠』という大きな物語の枠組の中にすべてを突っ込んでしまったのだ。普通だったら小説で何冊、エッセーで何冊、評論で何冊と分けて発表するところを、一つのお話ですませている。『大菩薩峠』が、書いている当人が亡くなるまで終わらない、いや、結局未完のお話になったのも当然と言える。
「そうか、こんなやりかたもあったわけだ」と、私はつくづく感心した。『大菩薩峠』を読むことは、結局、中里介山という人間と全面的につきあうということなのだ。いわゆる「小説好き」「ストーリー好き」の人にとっては、すぐに退屈してしまうようなものなのではないか。机龍之助と宇津木兵馬の仇討ち物語は何度も映画化されているが、それは文庫本全二十巻のうちの二巻ほどにすぎないのだもの。
しかし、私にはむしろ後半――ストーリー的にはかったるく、冗談やゴタクが増える後半のほうが面白かった。今回はずいぶん急いで読んでしまったが、これからじっくりと読み直してみたい、そう思わせるところが多々、あった。
前項、私は『大菩薩峠』に関して、こんなことを書いた。

机龍之助は純然たる主役というのではない。……確固とした『中心』はない。江戸の世の各階層の怪人物数名が入り乱れる図を、次々に焦点を動かしながら描き出そうとしている。西洋絵画のように遠近法や陰影法を駆使して、見る人の視線をある一点に導いていくようなやり方ではなく、日本の絵巻物あるいは仏教的な曼陀羅のように、見る人の視線をはいずり回らせるようなやり方の小説だと思う。

今でも基本的にその考えは変わらないのだが、机龍之助という存在に関して、ひとつ、つけ加えたい気持になった。それは、机龍之助という存在が、この『大菩薩峠』という小説全体の中で、奇妙な「中心」になっているということだ。巻を追うごとに、机龍之助の登場場面は夢ばかりになっていく。彼の見る夢が詳細に描かれていく。机龍之助はどんどん実体の定かではない、幽霊のごとき存在になっていくのだ。そこに周辺人物の夢が重なる。周辺人物(かかわりを持った女たち)は彼の夢に吸い込まれていくかのようだ。机龍之助は、何やら、この小説全体の中心にぱっくりと口をあけた底無しの闇――ブラックホールのようだ。
中里介山がシュールレアリストたちの「夢の自動筆記」に関してどれだけの知識を持っていたか、私は全然知らないのだが、文庫本第十四巻目、「弁信の巻」における机龍之助の夢の場面には、私はしんそこ驚いた。「驚倒」という使い慣れない言葉を思い浮かべたくらい、ビックリした。
夢の場面とはいえ、長いので、ごく手短に省略して説明する(興味のある方は、ずるしてこの「弁信の巻」だけ先に読んでみることを、おすすめしたい)。
机龍之助は、見渡す限りの漫々たる血の湖を発見する。静かな、深紅色の血の湖である。
そこに「ふわりと白いもの」が浮き出してくる。「海月(くらげ)のような形をしているが、あんな透明なつめたいものでなく、搗(つ)きたてのお供え餅のような濃厚なのが二つずつ重なったままで、ふわりふわりと次から次へ幾つともなく漂い来たります」。
というだけでも、けっこう薄気味悪いが、このあとが凄い。周囲の山の間から、津波のように妙な音が聞こえてくるというのだ。それは、
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
「でんぶ」
――という音である。龍之助はその妙な音を聞きながら湖面に漂う白いものを杖で引き寄せて、よく見ると、それは女の体の臀部(でんぶ)であることがわかる。「でんぶ」なのだ。
まるで駄ジャレのようだが、何とも言えず、こわい。あっけにとられる。くっきりとその情景が見える。
龍之助は「でんぶ」という音に追い立てられるようにして湖畔をめぐって行くと、今度は真っ白い山にぶち当たる。それをじいっとよく見ると、骨の山である。「それも髑髏(どくろ)の形を備えた骨ででもあってくれれば、まだ多少の人間味もあろうものを、焼けつぶされて粉末に砕かれた骨ばかりをもって岸の上から反り下ろされた満眼の谷が、すべて埋めつぶされている」――という、そういう骨の山である。
深紅の血と純白の骨。それが描き出すダイナミックで幾何学的な絵柄に唸る。ダリもまっさお。血の池とか骨の山というのは仏教的なアイディアに違いなく、私を先祖返り的な恐怖につき落とす。このイメージの鮮烈さ、濃厚さ。中里介山は、おそるべきシュールレアリストでもあったのだ。『大菩薩峠』を「時代小説」というくくり方で考えてはいけない――とつくづく思う。
『大菩薩峠』についてはまた書く機会もあると思うので、もう一点だけ……。私が女だからだろうか、介山の女(とくに悪女)の描き方もたいへん面白く思った。お銀様、お松、お雪――この三人の女が巻を追うごとにめきめきインテリ度を深めていくのが、なんだか、ほほえましい。
さて。私は富士見書房の「時代小説文庫」で読んだが、つい先日、筑摩書房から『大菩薩峠』の愛蔵版全十巻(ケース入り)および文庫版(全二十巻)が出版され始めた。また、ブームを呼ぶに違いない。

【この書評が収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚  / 中野 翠
アメーバのように。私の本棚
  • 著者:中野 翠
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(525ページ)
  • 発売日:2010-03-12
  • ISBN-10:4480426906
  • ISBN-13:978-4480426901
内容紹介:
世の中どう変わろうと、読み継がれていって欲しい本を熱く紹介。ここ20年間に書いた書評から選んだ「ベスト・オブ・中野書評」。文庫オリジナルの偏愛中野文学館。

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大菩薩峠〈1〉  / 中里 介山
大菩薩峠〈1〉
  • 著者:中里 介山
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(458ページ)
  • ISBN-10:4480032215
  • ISBN-13:978-4480032218
内容紹介:
原稿枚数1万5000枚に及ぶ世界最大の大河小説。魔剣「音無しの構え」に翻弄され無明の闇を遍歴する机竜之助を核に、多彩な人物が入り組み展開される時代小説の最高峰。大菩薩峠の頂上で老巡礼を… もっと読む
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初出メディア

毎日グラフ・アミューズ(終刊)

毎日グラフ・アミューズ(終刊) 1995年3月8日号~1997年1月8日号

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