書評
『古道具 中野商店』(新潮社)
「市井小説」というジャンルがあって、それは大金持ちでもなく、有名人でもなく、英雄でもない、歴史という大海の中の小さな泡沫にすぎない、わたしやあなたのような平凡な人間の日々の営みを描いたリアリズム小説のことを指すんであります。そういう小説では、猟奇的な連続殺人や世界最終戦争、宇宙人による地球侵略、ホビット族の世界を救うための冒険、時空を超えた恋愛といった派手な出来事は起こりません。なんということもない人々の、なんということもない生活が描かれているだけなのです。
そんな小説のどこが面白いのか、と首をひねった方におすすめしたいのが川上弘美の最新作『古道具 中野商店』です。舞台は小さな古道具屋。希少価値のあるアンティークではなく、昭和半ば以降の家庭で使われていたちゃぶ台や皿小鉢を良心的な値段で売っている、これまたなんということもない店です。主な登場人物は四人。三回結婚をし、それぞれの奥さんとの間に子供もいるのに愛人まで作っている、だめんずめいた雰囲気を漂わせた店主の中野さん。その姉で人形作家をしている五〇代半ばで独身のマサヨさん。アルバイトに来ている〈わたし〉。〈わたし〉と恋仲であるようなないような微妙な関係にある、やはり中野商店でアルバイトをしているむっつり屋のタケオ。この四人をめぐる一二のエピソードを連ねた、連作短篇集の趣をまとった長篇小説なのです。
マサヨさんの同棲騒動のさなか、〈わたし〉とタケオの不器用な恋の始まりを告げる「文鎮」。中野さんが不審な客に腹を刺される事件のうちに、中野さんの愛人・サキ子さんのキャラクターを鮮やかに浮かび上がらせる「ペーパーナイフ」。〈わたし〉とタケオの仲がぎくしゃくしていく様子を描いた「ミシン」と「ワンピース」。同棲相手に去られてしまったマサヨさんの喪失感と、〈わたし〉のそれを重ね合わせる「林檎」などなど。中野さんが腹を刺されるといったってペーパーナイフだから大した傷でもないし、各エピソードに描かれる中野商店の日々は、今日もどこかの町の小さな店で起こっているかもしれない月並みな出来事しか起こりません。にもかかわらず、読ませる。月並みな出来事を月並みのまま終わらせないのが、川上弘美の筆力というものでしょう。
たとえば、これまでは性欲こそがいちばん激しく人を恋愛へとつき動かすと思っていたマサヨさんが、「(同棲相手の)丸山とは、もしかしたら性欲じゃなかったのかもしれない」「だって、丸山がいなくなってから、あたし、淋しくてしょうがないのよ」と語る場面。「淋しいのと、性欲と、関係あるんですか」と聞く〈わたし〉に――。
〈今までの経験だとねえ、性欲だと、淋しくならないで、まずはいらいらする。
いらいら。わたしはつぶやいた。
まず最初はね。それから、そのあとしばらくして、淋しさがやってくる。
そういう順番なんですか。
そういう順番なのよ。
そうなのよ。とマサヨさんは続けた。そうなのよ、あたしねえ、淋しいだけって、はじめてなの。天真爛漫な表情で、マサヨさんは言ったのだ。ほんとにあたし、はじめてなの。〉
川上弘美の筆は、丁寧なんだけれど書き込みすぎない描写によって、すべての登場人物の性格や心境を上手にすくい上げていくのです。そのことによって、設定だけ聞けば月並みな、なんということもない人々の、なんということもない生活が、人肌のぬくもりを持ったかけがえのない物語として読者の心に根づいていく。わたしの人生がもし、誰か作家の手になるものだとしたら、それは川上弘美のような創造主であってほしい。読後そう思わせるほど巧みで温かい、これは市井小説のひとつの収穫なのです。
【この書評が収録されている書籍】
そんな小説のどこが面白いのか、と首をひねった方におすすめしたいのが川上弘美の最新作『古道具 中野商店』です。舞台は小さな古道具屋。希少価値のあるアンティークではなく、昭和半ば以降の家庭で使われていたちゃぶ台や皿小鉢を良心的な値段で売っている、これまたなんということもない店です。主な登場人物は四人。三回結婚をし、それぞれの奥さんとの間に子供もいるのに愛人まで作っている、だめんずめいた雰囲気を漂わせた店主の中野さん。その姉で人形作家をしている五〇代半ばで独身のマサヨさん。アルバイトに来ている〈わたし〉。〈わたし〉と恋仲であるようなないような微妙な関係にある、やはり中野商店でアルバイトをしているむっつり屋のタケオ。この四人をめぐる一二のエピソードを連ねた、連作短篇集の趣をまとった長篇小説なのです。
マサヨさんの同棲騒動のさなか、〈わたし〉とタケオの不器用な恋の始まりを告げる「文鎮」。中野さんが不審な客に腹を刺される事件のうちに、中野さんの愛人・サキ子さんのキャラクターを鮮やかに浮かび上がらせる「ペーパーナイフ」。〈わたし〉とタケオの仲がぎくしゃくしていく様子を描いた「ミシン」と「ワンピース」。同棲相手に去られてしまったマサヨさんの喪失感と、〈わたし〉のそれを重ね合わせる「林檎」などなど。中野さんが腹を刺されるといったってペーパーナイフだから大した傷でもないし、各エピソードに描かれる中野商店の日々は、今日もどこかの町の小さな店で起こっているかもしれない月並みな出来事しか起こりません。にもかかわらず、読ませる。月並みな出来事を月並みのまま終わらせないのが、川上弘美の筆力というものでしょう。
たとえば、これまでは性欲こそがいちばん激しく人を恋愛へとつき動かすと思っていたマサヨさんが、「(同棲相手の)丸山とは、もしかしたら性欲じゃなかったのかもしれない」「だって、丸山がいなくなってから、あたし、淋しくてしょうがないのよ」と語る場面。「淋しいのと、性欲と、関係あるんですか」と聞く〈わたし〉に――。
〈今までの経験だとねえ、性欲だと、淋しくならないで、まずはいらいらする。
いらいら。わたしはつぶやいた。
まず最初はね。それから、そのあとしばらくして、淋しさがやってくる。
そういう順番なんですか。
そういう順番なのよ。
そうなのよ。とマサヨさんは続けた。そうなのよ、あたしねえ、淋しいだけって、はじめてなの。天真爛漫な表情で、マサヨさんは言ったのだ。ほんとにあたし、はじめてなの。〉
川上弘美の筆は、丁寧なんだけれど書き込みすぎない描写によって、すべての登場人物の性格や心境を上手にすくい上げていくのです。そのことによって、設定だけ聞けば月並みな、なんということもない人々の、なんということもない生活が、人肌のぬくもりを持ったかけがえのない物語として読者の心に根づいていく。わたしの人生がもし、誰か作家の手になるものだとしたら、それは川上弘美のような創造主であってほしい。読後そう思わせるほど巧みで温かい、これは市井小説のひとつの収穫なのです。
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

PHPカラット(終刊) 2005年8月号
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