後書き

『わたしはナチスに盗まれた子ども:隠蔽された〈レーベンスボルン〉計画』(原書房)

  • 2020/04/10
わたしはナチスに盗まれた子ども:隠蔽された〈レーベンスボルン〉計画 / イングリット・フォン・エールハーフェン,ティム・テイト
わたしはナチスに盗まれた子ども:隠蔽された〈レーベンスボルン〉計画
  • 著者:イングリット・フォン・エールハーフェン,ティム・テイト
  • 翻訳:黒木 章人
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(296ページ)
  • 発売日:2020-02-18
  • ISBN-10:4562057300
  • ISBN-13:978-4562057306
内容紹介:
終戦後のドイツ。少女イングリットは両親から冷遇されてきた理由が、自分の素性にあると知る。彼女は里子――それもただの里子ではなく、ナチスが純血アーリア人の子どもを〝生産〟するべく作っ… もっと読む
終戦後のドイツ。少女イングリットは両親から冷遇されてきた理由が、自分の素性にあると知る。彼女は里子――それもただの里子ではなく、ナチスが純血アーリア人の子どもを〝生産〟するべく作った組織「レーベンスボルン(生命の泉)」からもらわれてきた子どもだったのだ。本当の名前はエリカ・マトコ。しかしそれ以外に、自分についてわかることは一つもなかった。やがて60歳を目前にしたイングリットは、ドイツ赤十字や歴史学者の協力を得て、自分のルーツをたどる旅に出る。謎多き「レーベンスボルン」の全貌と、筆舌につくしがたい出自の真相が明らかに。
ナチスは〝記録魔〟だったという。ホロコーストや強制労働、略奪の被害者らを克明に記録していた。しかしその膨大な資料は現代政治の壁に阻まれ、終戦から60年以上が経つまで情報公開されることはなかった。
もしも、これらの資料が早期に積極的に開示されていたなら、まったく違う人生を歩んだ人たちがいたかもしれない。
本書の著者もまさにその一人だ。理学療法士としてドイツで「普通の暮らし」を送っていた著者は60歳の誕生日を目前に、ある日突然かかってきた赤十字からの電話で、想像もしなかった自分の出生の秘密を知ることになる。そして、幼い頃からずっと付きまとってきた疑問が頭をよぎる。なぜ自分は里子として疎まれてきたのか、なぜ国籍がないのか、そしてなぜ二つの名前で呼ばれるのか。すべての謎はナチスの恐ろしい〈レーベンスボルン計画〉に関係していた。
ナチスに人生とアイデンティティを奪われ、これ以上ないほど数奇な運命にからめとられた著者が、残りの人生を懸けてナチスの秘密組織〈レーベンスボルン〉の全貌を明かした『わたしはナチスに盗まれた子ども』の訳者あとがきを公開する。

すべては「良質な血」のために。ナチスの恐ろしいレーベンスボルン計画

〝良質な血〟にこだわったナチス・ドイツによる〈レーベンスボルン計画〉の全貌と、この恐ろしくも忌まわしい企みの犠牲になった女性の半生を描いた物語『Hitler's Forgotten Children(忘れ去られたヒトラーの子どもたち)』の全訳をお届けした。

ヒトラーが作り上げたドイツ第三帝国の実質的ナンバー・ツーだったハインリヒ・ヒムラーが憑りつかれた〝超人種アーリア人〟という妄想。
ヒムラーはその妄想を現実のものとすべく、〝生命の泉〟を意味する〈レーベンスボルン計画〉を立ち上げる。計画では、〝正しい血統〟のドイツ人男女(未婚既婚を問わず)のあいだに生まれた純血アーリア人からなる軍団を作ることになっていた。
しかし考えればすぐにわかることなのだが、いくら産めよ殖やせよと発破をかけても、出産まで十カ月もかかるのだから戦死者の穴埋めすらできない。
そこでヒムラーは、占領地に暮らす金髪碧眼の幼児たちを勝手にアーリア人種だと判断して、親元から奪って帝国本土に連れ去り、しかるべき基準を満たしたドイツ人夫婦にドイツ人の子どもとして育てさせたのだ。


自分はナチスの子ども。著者を襲った衝撃の事実


本書の著者かつ語り手であるイングリットもこの計画の毒牙にかかった。
しかし戦争が終わってナチスが消滅しても、レーベンスボルンの呪いはイングリットにつきまとう。
母からは愛を得られず、それどころか養護施設に預けられてしまう。そのとき彼女が母ギーゼラに宛てた手紙は涙を誘う。
彼女を襲う悲劇はとどまるところを知らない。自分が里子だという衝撃の事実を知り、愛しい母(本当は養母だが)とようやく一緒に暮らせることになったと思ったら冷淡に扱われ、国からは無国籍者扱いにされそうになる。
そしてふとしたきっかけで、自分は本当は何者なのかを探る旅に出て、その過程でレーベンスボルンの秘密を知る。

本書は、本質的にはイングリットの〝本当の自分探し〟の旅の記録だ。
しかしその中身はインドに行くであるとか世界放浪の旅に出るだとかいう、若者がやりそうな自分探しの旅が二泊三日の修学旅行に見えるほど長く辛く、そして残酷なものだ。
何しろ、本当の自分をようやく見つけて手を伸ばしたら眼の前でさっと奪われてしまう、その連続なのだから。
自分が無力でちっぽけな存在だと思い知らされ、絶望したことのある人は多いだろう。わたしもそうだ。しかしイングリットのように、自分の存在がまったくの〝無〟だと宣告された人はほとんどいないのではないだろうか。
彼女は、自分がイングリット・フォン・エールハーフェンではなくて本当はエリカ・マトコなのだと思ったら、そのたったひとつの手がかりさえもくつがえされてしまったのだ。

「わたしはイングリット・フォン・エールハーフェンです。自分のことは、名前以外はまったく知りません」
自己紹介でこんな言葉を言わざるを得なかった彼女が味わった絶望の深淵は計り知れない。わたしならそのどん底でもだえ苦しんだ挙げ句に生きる活力を失ってしまうだろう。
しかしイングリットは同じ境遇の仲間たちを得て、空疎な穴から見事這い上がった。それどころか最終的には、自分を無の存在にしてしまった(ナチス以外の)人々すら赦す。
あまり愛していなかった幼い自分と弟のディトマールを危険を顧みずにソ連占領地域から連れ出してくれた養母ギーゼラのことを、イングリットは〝この上もなく勇敢な人〟と呼んだ。
しかしそのギーゼラによって失われてしまった本当の自分を取り戻すべく、それこそ〝魂の命〟を落としかねない危険な旅路に敢えて出て生還し、ものの見事に本当の自分を見つけたイングリットも、ギーゼラ以上に勇敢で強い女性だ。


誤解されつづけたレーベンスボルン。正しい理解へ


レーベンスボルン計画の日本における認知度は、同じナチスの犯罪行為でもユダヤ人虐殺と比べるとそれほど高くない。それでも皆川博子の『死の泉』(二〇〇一年、早川文庫)をはじめとして、この忌まわしい行為に言及したフィクションはいくつか存在する。が、残念ながら〝親衛隊の種付け場〟という誤ったイメージを前面に出したものが多いように思える。
かく言うわたしにしてもレーベンスボルンという言葉を初めて眼にしたのは、さいとうたかおの劇画『ゴルゴ13』のあるエピソードを中学生の頃に読んだときのことだった。
ゴルゴ13ことデューク・東郷の出生についてはシリーズのなかでいくつかの説が語られているが、そのエピソードでは、優秀な東洋人を交配させて超高度種族を誕生させるという旧日本軍版の〝レーベンスボルン作戦〟によって生み出された、東郷平八郎の孫とジンギス汗の末裔の女性とのあいだの子どもということになっていた。
〈超高度東洋種族創出所〉なる施設のエロティックなシーンは思春期だったわたしの心に刻み込まれ、そのせいでレーベンスボルンの施設はナチスの娼館のようなものだとずっと思い込んでいた。

ノンフィクションでは、金髪碧眼であるがゆえに拉致され、レーベンスボルン協会によってドイツ人家庭に養子に出されたポーランド人少年の悲劇を、やはり本書同様に当人が語った『ぼくはナチにさらわれた』(アロイズィ・トヴァルデツキ著、足達和子訳、文庫版二〇一四年、平凡社刊)がある。
書籍以外では、フランスにあったレーベンスボルン協会の施設で生まれ、戦後はフランス人として暮らしていた人物の苦悩を描いたGedeon社制作のTVドキュメンタリー『レーベンスボルンの子どもたち』(二〇一七年)がNHKで放送された。
戦後に養子として引き取った〈レーベンスボルンの子ども〉を社会の偏見や差別から守って育てていくという、ノルウェーの企業が開発したスマホゲーム『My  Child Lebensborn』(日本語版あり)もある。

[書き手]黒木章人(翻訳家)
わたしはナチスに盗まれた子ども:隠蔽された〈レーベンスボルン〉計画 / イングリット・フォン・エールハーフェン,ティム・テイト
わたしはナチスに盗まれた子ども:隠蔽された〈レーベンスボルン〉計画
  • 著者:イングリット・フォン・エールハーフェン,ティム・テイト
  • 翻訳:黒木 章人
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(296ページ)
  • 発売日:2020-02-18
  • ISBN-10:4562057300
  • ISBN-13:978-4562057306
内容紹介:
終戦後のドイツ。少女イングリットは両親から冷遇されてきた理由が、自分の素性にあると知る。彼女は里子――それもただの里子ではなく、ナチスが純血アーリア人の子どもを〝生産〟するべく作っ… もっと読む
終戦後のドイツ。少女イングリットは両親から冷遇されてきた理由が、自分の素性にあると知る。彼女は里子――それもただの里子ではなく、ナチスが純血アーリア人の子どもを〝生産〟するべく作った組織「レーベンスボルン(生命の泉)」からもらわれてきた子どもだったのだ。本当の名前はエリカ・マトコ。しかしそれ以外に、自分についてわかることは一つもなかった。やがて60歳を目前にしたイングリットは、ドイツ赤十字や歴史学者の協力を得て、自分のルーツをたどる旅に出る。謎多き「レーベンスボルン」の全貌と、筆舌につくしがたい出自の真相が明らかに。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
原書房の書評/解説/選評
ページトップへ