今回は女子校のベテラン先生たちにお話を聞きました。
先生方の珠玉の言葉を引用しながら、教育ジャーナリストのおおたとしまささんが、これだけは伝えたいという思いをこめてまとめました。
先が見えない今だからこそ、子育てについて教育について、何が本当に大切なのかを考えます。
子供をつぶすのは親の熱心さ? 母親の「わかったつもり」が危ない理由
21世紀のど真ん中を生きる女の子たちにいまどのような感性が求められているのか
「女の子の育て方」に関する本よりも「男の子の育て方」に関する本のほうが圧倒的に多く出版されています。これには社会構造的な理由があります。いまの日本では子育てを主に担うのが圧倒的に女性だからです。その女性にとって、「男の子」という存在が理解しにくいと思われているからです。この本は、まさにその社会構造に着目しています。かといって、父親向けに「女の子」の生態を解説することを目的とした本ではありません。
男女の先天的な違いや習性の違いを強調してそこから「女の子」の育て方を説くのではなく、これまで男女が置かれていた社会的立場の違いをスタート地点とします。性別に関係なく個人がそれぞれの個性を存分に発揮して支え合って暮らせる社会を男女共通のゴールとします。
異なるスタート地点から同じゴールを目指すわけですから、当然ながら男女の通るルートは異なります。その女性側のルートをたどるのが本書の趣旨です。
男性側のルートをたどったのが2019年の拙著『21世紀の「男の子」の親たちへ』(祥伝社)でした。ですから、その本とこの本は、どちらから先に読んでもいい続きの本だということができます。
2冊を合わせて読めば結局のところ、女の子も男の子も関係ない話に収束していきます。親として気をつけなければいけないのは、子供の性別よりも、親自身のなかにあるジェンダー・バイアスだということになります。加えていうならば、性を女性と男性という二分法では語れない時代だということも忘れてはいけません。
この本で取り扱うのはもちろんジェンダーの話だけではありません。女性のキャリア形成の現状、国際的な学力調査の結果から見える男女の違い、そして急速なグローバル化や価値観の多様化、情報技術の急激な進化などの状況を踏まえ、21世紀のど真ん中を生きる女の子たちにいまどのような感性が求められているのかを明らかにしていきながら、親自身が無意識のうちにもってしまっている「女らしさ」や「女のくせに」のような20世紀の女性像とのズレを意識化し、補正してもらうことが本書のいちばんの目的です。
その点『21世紀の「男の子」の親たちへ』には、旧来の男性像にとらわれているがために良かれと思ってそれに息子をはめ込もうとする父親の価値観こそを揺さぶりたいという狙いがありました。同様に本書では、旧来の女性像にとらわれているがために良かれと思ってそれに娘をはめ込もうとする母親の価値観こそ揺さぶりたいと思っています。そこが従来の「女の子の育て方」や「男の子の育て方」の本との大きな違いです。
母親の“わかったつもり”が危ない
鷗友学園女子中学高等学校の教頭・大内まどか先生は、「母親は娘の気持ちがよくわかると思いがちです。客観的な視点に立ちづらい。だからこそ大事なのが、自分と娘は違う人間だということをきちんと意識して『本当はわかってないかも』と自戒することなんです」と訴えます。
では父親が、自分が育てられたのと同じように娘を育てればいいかというとそれも違う。性別が違うからというよりは、時代が違う。自分のことを〝勝ち組〟だと思っているお父さんこそ要注意です。自分と同じような〝勝ち組〟に育てようと意気込めば意気込むほど、旧来の男性優位社会の価値観を娘に刷り込むことになるからです。
品川女子学院中等部・高等部の理事長(前校長)・漆紫穂子先生は、「親のバイアスは経験と愛情から生じるんだと思います。でも、子供の未来を限定するような発言や声がけを小さいころからしないように意識しなければいけません。『無理だ』とか『過去にないよ』とか『失敗したらどうするの』というようなネガティブな言葉を控えることが大事です」と言います。
その点、豊島岡女子学園中学校・高等学校の校長・竹鼻志乃先生は「女子校では『女の子らしさ』みたいなことを考えなくていいんです。女子としていいかどうかというよりもひととしていいかどうかという視点が常に上位にあります」と言います。
「男子校では男の子同士がくんずほぐれつ床を転がりながらスキンシップをとっていますよね。共学校ではあまり見られない光景ではないでしょうか。中学生くらいまでの男の子は実はまだまだ友達とのスキンシップが好きなんですよ。男子校では男の子の素が表に現われやすいということです。女子校で女の子同士はああいうスキンシップはとらないのですが、やっぱり女子校では女の子の素が出ます」と証言するのは吉祥女子中学・高等学校の綾部香先生です。
綾部先生とは数年前、ある男子校の授業見学でごいっしょしたことがありました。そのときに男の子たちが子犬同士のようにじゃれあうのを見て、いっしょに笑ったのでした。
もちろん女の子だから、男の子だからという性別でひとの言動をステレオタイプ化してしまうことは間違いです。性別よりも個体差のほうが大きいのは言うまでもありません。でも、女の子だけの集団、男の子だけの集団をつくってみると、そこで見られる集団としてのふるまいには違いが表われるのです。
このような具合に、女子校のベテラン先生たちの見解を引用しながら、本書は展開していきます。
これまで何千人という素の女の子たちを見てきた女子教育のプロたちが「これだけは間違いない」と言うことがこの本の根拠です。では本書に書かれていることが必ずしも科学的に証明されているかといえば、答えは「NO」です。だってそんなこと、どんなに予算や時間をかけて調査したところで、エビデンスなんてとれませんから。
「この育児や教育が正しかったのか」は、その子が人生を終える瞬間にどんな気持ちかを尋ねでもしない限り判定のしようがありません。つまり「良い親とは何か」「良い教育とは何か」という問いはそのまま「幸せとは何か」「人生とは何か」という哲学的な問いに同じなのです。だから「正解」がないのです。
そこで先生たちの珠玉のことばの数々を寄せ集めました。そのなかから21世紀のど真ん中を生きる女の子の親として心得ておくべきポイントを抽出し、ところどころ私の言葉で補助線を引き、ようやく一編の書籍としてまとめることができました。編集というよりは、エッセンスを精製しながら濃縮する蒸留に近い作業でした。うまくブレンドできているといいのですけれど……。
第1章のテーマは「キャリア」、第2章は「性」、第3章は「学校の役割」、第4章は「親の役割」です。『21世紀の「男の子」の親たちへ』とは章構成のコンセプトからして違いますが、問題意識は同じです。視点が違うだけです。後半に行けば行くほど性別を限った話ではなくなることも、両書に共通しています。
親の立場からすれば、説教臭く感じられる話も多いかもしれません。しかしそれ以上にきっと、「あ、それでいいんだ」と肩の力が抜ける瞬間が、本書を読むなかでたくさんあるはずです。
21世紀の「女の子」の親たちへ。
変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入れる平静さと、それらを峻別する叡智が、もたらされますように。
[書き手]おおたとしまさ
教育ジャーナリスト。1973年、東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退、上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌の編集に携わる。学校や塾、保護者の現状に詳しく、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演も多数。中高の教員免許を持ち、小学校教員の経験もある。