書評
『洗脳ゲーム―サブリミナル・マーケティング』(リブロポート)
聴覚サブリミナルの新鮮さ
テレビはいま、ニュースもワイドショーもオウム真理教のオンパレードである(ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1995年)。麻原彰晃代表が選挙に立候補したときの映像が幾度も流され「ショーコー、ショーコー、ア・サ・ハ・ラ・ショーコー」というメロディーが聞こえてくる。困ったことに、道を歩いていて、うっかり、このメロディーを口ずさみそうになった。日常的に繰り返されるテレビCMについては、いわずもがなである。小林亜星が登場する「ぱっとサイデリア~」にも参っている。ふっと出てきてしまうのだ。どちらもメロディーだけでなく、画面が同じ顔だらけになるところが、効果を高めているような気がする。迷惑だと思っても、侵入を防ぎようがない。ひところよく潜在意識下に訴えるサブリミナル広告について、かなり真剣に論じられたものだ。一九五六年、ニュージャージーの映画館で、ポプコーンとコカコーラの文字を〇・一秒以下の、人が知覚できぬ短いショットで繰り返し流したら売り上げが急増したというのは有名な話で、以後この手法はテレビCMで禁止された。サブリミナルについてのまとまった分析と紹介では、一九七六年(日本訳一九八九年)に刊行されたブライアン・キイの「メディア・セックス」がある。それに較べると本書は聴覚サブリミナルを取り上げた新しさはあるが叙述や構成のバランスに濃淡があり、信憑性のある事実とそうでない事実がごちゃまぜになっているし、という具合で決してまとまりのよいものではない。
それでもあえて紹介するのは、この分野はいかにもおタクのタイプがのめり込みそうなフロンティアだろうな、と感じたからだ。あとがきによれば著者は、十五年前に日本の集団主義の教育システムに嫌気がさし中学を卒業すると渡米、電通ロサンゼルス社に勤務、その間にサブリミナルのとりことなり、ダンボール数箱の関連資料を集めたというのである。ちょっとアブナイ現象を、いかにもアブナイ感じの著者が取り組むところがいまの時代なのだ、と思わされた。
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