解説

『自由の余地』(名古屋大学出版会)

  • 2020/08/12
自由の余地 / ダニエル・C・デネット
自由の余地
  • 著者:ダニエル・C・デネット
  • 翻訳:戸田山 和久
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(342ページ)
  • 発売日:2020-08-12
  • ISBN-10:4815809968
  • ISBN-13:978-4815809966
内容紹介:
望むに値する自由意志とは? 進化論や認知科学の知見を取り込み、明晰な論理で描く、デネット哲学の原点。
日本でも人気の哲学者ダニエル・C・デネット氏。1984年の著作“Elbow Room”(邦題『自由の余地』)がこのたび翻訳されました。原著出版から36年もたったいま、なぜこの本を訳したのか。今年出版された著書『教養の書』も話題となっている名古屋大学教授・戸田山和久先生の訳者解説から、一部を抜粋して特別公開いたします。

決定論的世界の中でも確保できる、ささやかだが生きていくにはそれで十分に望む価値のある自由。人気哲学者デネットの原点。

デネットとは何者か?

ダニエル・クレメント・デネットは1942年生まれ(ジミ・ヘンドリクスやポール・マッカートニーと同い年)、現代英語圏を代表する哲学者の一人だ。1963年にハーヴァード大学哲学科を卒業後、オックスフォード大学大学院に留学し、1965年に同大学院で博士号を取得した。いま書いていて驚いたが、わずか2年間で学位を取得している。スゴイ。アメリカに帰国後は、1971年からボストン近郊にあるタフツ大学に勤め、2020年現在、同大学の名誉特任教授と認知科学研究センター所長(1985年からずっと)を兼任している。タフツひとすじ50年。

デネットの網羅的な著作リストは、タフツ大学認知科学研究センターのウェブサイトにある(https://ase.tufts.edu/cogstud/dennett/bibliography.html)。論文とレビューは2020年6月2日現在で計542報エントリーされている。世界で最も生産的な哲学者の一人と言ってもよいだろう。最近出版された単著はほぼすべて邦訳され、原著が出てから邦訳が出版されるまでの時間がどんどん短くなっている。ようするに、哲学研究者にとどまらない広い層の読者がデネットの次作を期待している。「早く読みたい!」ということだ。人気者だね。こんな哲学者はめったにいない。

なんでいまさらこの本を訳すわけ?

Elbow Room :  The Varieties of Free Will Worth Wanting(MIT Press, 1984)が本書の原著である。

原著が出版されてから36年もたって、いまさらこの翻訳を出すなんて、あんた何考えてんのと言われてしまいそうだ。ちょっと言い訳が必要かもしれない。私はなぜ本書を訳したのか。

その理由はきわめて単純だ。デネットの著作の中で本書がいちばん好きだから。そして、本書がいちばん重要だと思うから。デネットの書く本はどんどん長くなってきた。それは、心理学、神経科学、認知科学、計算機科学、動物行動学、生物学、進化学などなど幅広い分野の科学的知見をどっさり援用して、読者を説得(誘惑)しようとすると同時に楽しませようとしているからだ。本書は、まだその「重厚長大化傾向」というか、サービス精神が本格的に発揮される前に書かれている。それだけに、デネットの哲学のやり方、あるいは「思考のすじみち」といったものが、素直にむき出しに提示されている。

じつは、デネットの哲学の基本的立場もその方法も、今日までほとんど変化していない。変化したのは本の厚さ。本書は、デネットの個性的な哲学観、立場、方法が最もシンプルに力強く示された著作だ。だから、「いちばん重要」なのである。そして、私はその哲学観、立場、方法が好きだ。それらに大きく影響されてきた。だから、「いちばん好き」なのである。

本書のテーマは自由意志だ

もう一つの理由がある。本書のテーマは自由意志だ。自由意志と決定論の問題は、ずっと哲学の重要問題、いかにも哲学的な問題、形而上学の問題と位置づけられてきた。本書をお読みいただければおわかりの通り、デネットがこの問題にアプローチする仕方は、ちょっと変わっている。自由意志問題を形而上学的問題として正面から解決するのではなく、この問題をむしろ消そうとする、あるいは小さくしようとする。「形而上学」という言葉は本書を通じてずっとネガティブな含みをもたせて使われている。われわれが「自由意志」という概念を使って何がしたいのか、「決定されている」とはどういうことなのかを勘違いしたために、重要問題に見えただけ。ある意味、偶像破壊的で反哲学的、きわめてラディカルなアプローチなのである。

ところが、いまの哲学的自由意志論は、デネットの破壊的仕事など、あたかも最初からなかったかのように行われている。デネットは、自由意志と決定論は両立可能だとする「両立論(compatibilism)」の一変種として位置づけられるのはまだいいとして(じっさい、両立論だからね)、ほとんどスルーされてしまうことも多い。

それは、デネットの自由意志論がとるに足りないものだからではない。とっくに乗り越えられてしまったからでもない。端的に言って「扱いに困る」からである。タデウシュ・ザウィドツキは、デネットのことを「一匹狼(maverick)」と呼んでいる。言い得て妙だね。というのも、本書(とくに第1章)をお読みいただければわかる通り、デネットの自由意志論は、哲学における自由意志の論じられ方そのものに対する根底的な批判を含んでいるからだ。だからこそ、いまでも、というかいまだからこそ本書を翻訳する価値がある、と私は思った。

「ひじの空間」

本訳書の表題について説明しておこう。原著の題名になっている「elbow room」という言葉は、文字通りには「腕を動かしてもひじが他人にぶつからないくらいの空間的ゆとり、余地」を表している。そこから比喩的に、なにかを行う際の自由裁量の余地、あるいは金銭的余裕も意味するようになった。おもしろいのは、「空間的ゆとり」といっても、そんなに広大な空間ではないということだ。ひじがぶつからない程度のささやかなゆとりなのである。決定論的世界の中に確保できる、ささやかだが生きていくにはそれで十分に望む価値のある自由。これを表すのにぴったんこの表現だと思う。

なので、本訳書の表題にも何とか「ひじの空間」のニュアンスを込めたいものだといろいろ考えたが、なんの本なのかわからなくなってしまうとマズイので、『自由の余地』という常識的な表題に落ち着くことになった。その代わりと言ってはなんだが、カバーのデザインに彫像のひじの部分の写真を使わせてもらった。じつは原著(初版)のカバーも、大理石彫刻のひじの部分を拡大した写真がそれとわかりにくい仕方であしらわれている。気の利いたデザインだ。本訳書のデザインにもミケランジェロの彫刻写真を採用することになった。

[書き手]戸田山和久(名古屋大学大学院情報学研究科教授)
自由の余地 / ダニエル・C・デネット
自由の余地
  • 著者:ダニエル・C・デネット
  • 翻訳:戸田山 和久
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(342ページ)
  • 発売日:2020-08-12
  • ISBN-10:4815809968
  • ISBN-13:978-4815809966
内容紹介:
望むに値する自由意志とは? 進化論や認知科学の知見を取り込み、明晰な論理で描く、デネット哲学の原点。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
名古屋大学出版会の書評/解説/選評
ページトップへ