書評
『すべての美しい馬』(早川書房)
焚き火、ハモニカの音色、夜風にのって届くコヨーテの遠吠え、コーヒーの入った錫(すず)のカップを片手に寡黙な男たち、そしてかたわらの木立には馬たちがひっそりと佇み、夜明けの出立を待っている。わたしたちは映画を通じて、そんな光景を幾度目にしてきただろう。
『すべての美しい馬』の中には西部劇(もしくはマカロニ・ウエスタン)の最良の部分がすべてある。友情、荒々しい風景、暴力と正義、激しい恋。でも、それ以上に重点を置いて描かれているのが馬なのである。十六歳のジョン・グレイディは祖父の死で牧場を失うと、親友のロリンズを誘って愛馬レッドボウにまたがりメキシコに不法侵入する。ジョンにとってはレッドボウが他人の手に渡るなんて真っ平ごめんなことだし、牧童として生きていかれない土地なんか自分の居場所とは到底思えないからだ。
実際、彼ほど馬に愛情を傾ける小説内人物は寡聞にして知らない。彼が慈しみ命のかぎり馬を愛するのは、〈彼らを駆る血とその血の熱さ〉ゆえであり、〈もしも(馬のいない)そんな土地に生まれていたら彼はこの世界には何かが欠けていると思い〉〈馬を見つけるまでは何時(いつ)までも何時までも必要な限り捜し続け〉、〈馬たちの魂のなかに永久に住みつきたい〉とさえ願うほどなのだ。本書中そうした馬に関する記述は無尽蔵。馬好きの共感と感動を誘ってくれるはずだ。
しかし、旅の途中で出会った少年が起こした厄介と、ジョンのかなわぬ恋が原因で起こる過酷な試練を綴った後半は、そうした馬への愛情に満ちた静かな前半部とはうってかわって、暴力の描出の迫力に圧倒されるシーンが続く。が、後味は決して悪くない。なぜなら、ジョンがジョンたる所以(ゆえん)ともなっている倫理観や正義感はどんなにつらい目に遭っても歪(ゆが)むことがないからだ。一人の少年が大人の男へと成長していくビルドゥングスロマンの最良の部分も持ち合わせた作品として読み所たっぷり。すべてが美しい、そんな本は滅多にないけれど、その滅多がここにはある。
【この書評が収録されている書籍】
『すべての美しい馬』の中には西部劇(もしくはマカロニ・ウエスタン)の最良の部分がすべてある。友情、荒々しい風景、暴力と正義、激しい恋。でも、それ以上に重点を置いて描かれているのが馬なのである。十六歳のジョン・グレイディは祖父の死で牧場を失うと、親友のロリンズを誘って愛馬レッドボウにまたがりメキシコに不法侵入する。ジョンにとってはレッドボウが他人の手に渡るなんて真っ平ごめんなことだし、牧童として生きていかれない土地なんか自分の居場所とは到底思えないからだ。
実際、彼ほど馬に愛情を傾ける小説内人物は寡聞にして知らない。彼が慈しみ命のかぎり馬を愛するのは、〈彼らを駆る血とその血の熱さ〉ゆえであり、〈もしも(馬のいない)そんな土地に生まれていたら彼はこの世界には何かが欠けていると思い〉〈馬を見つけるまでは何時(いつ)までも何時までも必要な限り捜し続け〉、〈馬たちの魂のなかに永久に住みつきたい〉とさえ願うほどなのだ。本書中そうした馬に関する記述は無尽蔵。馬好きの共感と感動を誘ってくれるはずだ。
しかし、旅の途中で出会った少年が起こした厄介と、ジョンのかなわぬ恋が原因で起こる過酷な試練を綴った後半は、そうした馬への愛情に満ちた静かな前半部とはうってかわって、暴力の描出の迫力に圧倒されるシーンが続く。が、後味は決して悪くない。なぜなら、ジョンがジョンたる所以(ゆえん)ともなっている倫理観や正義感はどんなにつらい目に遭っても歪(ゆが)むことがないからだ。一人の少年が大人の男へと成長していくビルドゥングスロマンの最良の部分も持ち合わせた作品として読み所たっぷり。すべてが美しい、そんな本は滅多にないけれど、その滅多がここにはある。
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