後書き

『毒が変えた天平時代:藤原氏とかぐや姫の謎』(原書房)

  • 2021/05/19
毒が変えた天平時代:藤原氏とかぐや姫の謎 / 船山 信次
毒が変えた天平時代:藤原氏とかぐや姫の謎
  • 著者:船山 信次
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(304ページ)
  • 発売日:2021-04-17
  • ISBN-10:456205929X
  • ISBN-13:978-4562059294
内容紹介:
遣唐使がもたらした大量の「毒と薬」。それが藤原氏と天皇家の権力闘争に利用されていたとしたら……薬物の専門家が大胆に推理する。
遣唐使が日本もたらした大量の「毒と薬」。それが藤原氏の権力闘争に利用されていたとしたら? 藤原四兄弟はほぼ同時に「病死」したのは、本当に天然痘だったのか。奈良時代の政治や文化を、毒をキーワードに見直した書籍『毒が変えた天平時代』のおわりにを公開する。
 

『竹取物語』に隠されていた物語

あるものに生物にとってなんらかの働きかけをする性質があって、そのものが結果として人間にとって有益な働きをする場合、私たちはこのものを「薬」と称する。そして、逆に不利な働きをする場合、私たちはこのものを「毒」と称している。しかし、毒や薬という評価はその結果について称しているだけで、毒や薬といわれたそのものについている符牒ではない。毒や薬は、いわば、そのものを使う人間の側の責任によって毒や薬となるのである。

本書の著者の専門は薬学であり、その中でも、主にこの世界に存在する動植物や微生物の産生する、人々に毒や薬と呼ばれるようになる天然由来の化合物の化学成分研究に携わってきた。この研究分野を「天然物化学」という。そして、この研究を通して、毒や薬の歴史や文化的側面にも大いに興味を持ち始めることになった。

一方、「正倉院の薬物」についての英文総説をまとめるプロジェクトに関与する機会に恵まれ、その際に、正倉院関連の資料を種々逍遥していくうちに、天平時代の毒や薬に興味を抱くとともに、やがて正倉院に収蔵されている薬物が、私たちが子供の頃から『かぐや姫の物語』としても馴染んできた『竹取物語』に関係があることに気がついた。すなわち、『竹取物語』は、実は毒や薬とも大いに関係の深い物語ではないかと思うようになったのである。

たとえば、この観点からこの物語を見ると、物語には月の世界からもたらされた「不死の薬」なるものも登場し、この薬は帝の命で駿河の国の高い山(富士山)の頂上で焼いてしまうという結末がある。

さらには、この物語自体にも改めて興味を持つようになり、子供の頃から「かぐや姫の犯した罪」が何を意味するのだろうかということが気になっていたことなど、種々の疑問も再び湧いてきた。

この観点から種々の資料を逍遥していくと、かぐや姫が天平時代の藤原一族の女性をモデルとしたものであり、藤原一族がその勢力基盤を築く中でおこなってきたことがらに直接あるいは間接にこのモデルとなる女性たちがからんでいたのではないかと考えると納得できることに気がついた。その中には毒殺事件(暗殺)と考えられるものもある。

そして、一連のこれらの犯罪の主たる黒幕には常に当時の藤原家の人間が関与していたのではないかと思われたのである。もしかしたら「かぐや姫の犯した罪」の中には毒を使った暗殺事件も関係あるのではないかいうことに気がついた時にははっとした。こうして「天平の毒の正体」を解明しようとしていくうちに、「かぐや姫の正体」、さらには「『竹取物語』の作者」も推定するに至った。

天皇の要請によって編成された『古事記』や『日本書紀』に対して、『万葉集』が時の政権に対する告発の書であるという説があるが、この本をまとめる過程で、『竹取物語』も告発の書、あるいは恨みに満ちあふれた書ではないかと思うようになった。

この物語の骨子のひとつは、藤原不比等の娘という触れ込みで文武天皇の後宮に入り聖武天皇を産んだ藤原宮子が実は藤原不比等の実子ではないということの告発にあると思われる。

そして、もうひとつ作者がどうしても描いておきたかったのは、藤原家の人間、とくに藤原仲麻呂の悪辣さであろう。

さらには、間近に見ながらとても手の届く存在ではない、美しくまた高貴な女性たちの罪と数奇な運命である。すなわち、この物語は、作者の、藤原宮子、孝謙・称徳天皇(阿倍内親王)、光明皇后(光明子)、さらには楊貴妃に対するあこがれと鎮魂の書でもあると考えるに至った。うがった見方をすれば、これらの高貴で魅力的な女人たちは存在自体が罪だったのかもしれない。

吉備真備は孝謙天皇がまだ阿倍皇太子と呼ばれていた時代にいわば家庭教師として仕えた。これは、当然ながら当時の光明皇后の信任あればこそである。

一方、光明子と孝謙天皇母娘は藤原仲麻呂によって徹底的に利用された。光明皇太后は760年におそらく仲麻呂の腹黒さもよく知らないままに世を去る。娘の孝謙天皇は重祚して称徳天皇となってから、一時は親密な関係を持ち、厚い信頼感を持っていた藤原仲麻呂を師の吉備真備の助けを得て討たざるを得なくなった。

その後、称徳天皇は弓削道鏡とともに仏教国家を作ろうとするが果たせず、後継者も決められないままに世を去った。称徳天皇の死とともに道鏡も左遷される。吉備真備は当時としてはかなりの長命だったこともあり、これらのことを全て身近で見聞きすることができたと思われるただ一人の著名な文化人であった。

家柄が特に良かったわけでもない。いわばたたき上げから最後には右大臣にまで昇任した吉備真備は驚くべき傑物といえよう。

本文に書いたように、真備は悪辣な藤原仲麻呂といかに折り合いをつけていくかという点では、仲麻呂の差し金による大宰府への2回にわたる左遷も乗り切ったし、また、これも藤原仲麻呂の陰謀であったと思われるが、当時としてはかなりの高齢になってからの2回目の唐への派遣も乗り切った。そしてついには真備自らの手で仲麻呂の息の根を止めることになる。

また、若い時にはおきゃんな性格と看做せば済むが、年齢を重ねてからも、気にくわない相手に穢い渾名を付けてしりぞけてしまうような、いわばいつまでも世間知らずの童女のような性向を持つ孝謙天皇(称徳天皇)となんとか渡りあうことができたのは吉備真備だったからこそであろう。なお、称徳天皇は最晩年にはあれほど信頼を寄せた道鏡もよせつけず、真備の娘の吉備由利だけをそばにおいていたという。吉備由利も、真備の性格を引き継いだ、信頼のおける我慢強い女性だったのであろうか。

吉備真備は唐においてもその優秀さはめだち、その薨去にあたり、『続日本紀』には「わが本朝の学生で、唐国で名をあげた者は、大臣(真備)と朝衡(阿倍仲麻呂)の二人だけである」と記されている。

吉備真備は、我が国の形を作っていく黎明期において大活躍した人物であることは間違いない。この本の執筆にあたって吉備真備のことを知るにつけ、この人物の生き方や人物そのものにも改めて惹かれるようになったことも事実である。

ところが、彼は江戸時代には当時の国学者たちにより、「右大臣という重要な地位にありながら、道鏡に夢中になる称徳天皇を諌めることもできなかった」などとして、かなりひどい評価をうけることとなった。彼は称徳天皇が道鏡に法王の位を授けたのと同時期の766年に右大臣に昇任されたためもあってか、不当におとしめられた人物のように思われる。吉備真備については古代に遡って今後もっと注目され再評価されても良いのではなかろうかと思っている。

天平の毒と薬について調べているうちに『竹取物語』の謎に引き込まれ、今、かぐや姫の犯した罪や、かぐや姫の正体、さらには『竹取物語』の作者にまで言及することができ、大変に満足している。そして、子供のころから、とても気にかかっていた疑問もここに明らかにすることができたのではないかと喜んでいる。まさか当初は「正倉院薬物」が『竹取物語』に関係するなどとは思ってもみなかった。

 

薬とも関係のある言葉「令和」

2019年5月1日に改元が行われ、この日から平成31年は令和元年と改められた。この新元号「令和」の由来は、『万葉集』巻五―八一四の冒頭にある天平2年(730年)正月13日に詠まれたという「初春の令き月、気淑く風和み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は珮後の後の香を薫らす」をもとにするとされる。

実は、私はこの「令和」という文言をどこかで見ていたような気がしていたが、最近、そのわけを「発見」した。なんと、この新しい元号に使われた令和という文言は「なぐし」とも読み、令和には、病を癒す「くすり」の意味もあるという記載を見ていたのである。

著者の専門のひとつである薬学史の分野にて、その泰斗である清水藤太郎が1949年に著した『日本藥学史』という名著がある。私は大学院生時代の1970年代にこの本を入手し、何回か通読しているが、最近、またこの本を繙くことにより、その冒頭近くに薬の語源のことが書いてあり、そこに「令和」の語句が記されていたことに気がついた。

すなわち、1831年に佐藤方定によって著された『奇魂』からの引用として、「病をいやす動植物をクスリという。原義は令和の意なり」とあり、まさにここに令和という文言が出ていたのであった。下に1831年(天保2年)に刊行された『奇魂』の該当部分のコピーを示す。

このような「薬」をも意味する元号となってまもなく、「薬」にも関係することがわかった「竹取物語」の謎を解明するこの本をまとめることができたことは大きな喜びとするところである。

この本をまとめるにあたっては、かなり大胆な推定をしたところもある。正倉院収蔵の「雄黄」が鴆の卵をイメージしたものではないかとか、737年の藤原四兄弟の死が実はクーデターではなかったかということ、757年の橘奈良麻呂の乱後の死刑に正倉院収蔵の冶葛を大量に使用したのではないかということ、さらには、かぐや姫の名前の由来が「孝謙天皇(カ)+光明皇后(ク)+楊貴妃(ヤ)」ではなかろうかということ、この件を念頭に入れると、吉備真備がやはりカタカナの創始者ではないかということなどである。

かなり思い切り過ぎたかもしれないが、一方では、そう矛盾のない結論(推論)を出すことができたとも思っている。ただ、もしかしたら、これらの予想に影響する思い違いのあるところがあることを怖れる。もしそのようなことに気がつかれたら是非論証を添えて御指摘・御指導いただきたい。筆者はそのような御指摘を大いに歓迎する。

今、世界では、「新型コロナウイルス」が猛威をふるっていて、緊急事態宣言すら出される状況にもなった。人類はこれまでにも、ハンセン病、黒死病(ペスト)、コレラ、結核、天然痘などの人類の存亡にも関わるような伝染病を体験してきた。痘瘡(天然痘)ウイルスも長い間、我が国の人々を苦しめ、まさに『竹取物語』の時代にも痘瘡のために多くの人々が命を失ったと伝わっている。しかし、多くの伝染病の中で、この天然痘ウイルスについては1980年に根絶宣言が出た。このウイルスとの長い闘いに人類は完全勝利したのである。

人類はワクチンによって天然痘に対抗する手段を得たが、新型コロナウイルスについても、やがて十分なワクチンが用意でき、もしかしたら経口投与で有効な医薬品も開発されるかもしれない。根絶させるのには時間がかかろうが、いずれ、何とか人類がこの新型コロナウイルスと折り合いをつけて共生できるようになることを祈念している。

[書き手]船山信次(著者)
1951年、仙台市生まれ。日本薬科大学特任教授。東北大学薬学部卒業、同大学大学院薬学研究科博士課程修了、薬剤師・薬学博士。イリノイ大学薬学部博士研究員、北里研究所微生物薬品化学部室長補佐、東北大学薬学部専任講師、青森大学工学部教授、弘前大学客員教授(兼任)、日本薬科大学教授などを歴任。主な著書に、『毒と薬の世界史』、『〈麻薬〉のすべて』、『アルカロイド――毒と薬の宝庫』、『毒と薬の科学』、『カラー図解 毒の科学』、『毒と薬の文化史』など。
毒が変えた天平時代:藤原氏とかぐや姫の謎 / 船山 信次
毒が変えた天平時代:藤原氏とかぐや姫の謎
  • 著者:船山 信次
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遣唐使がもたらした大量の「毒と薬」。それが藤原氏と天皇家の権力闘争に利用されていたとしたら……薬物の専門家が大胆に推理する。

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