書評
『老子探究: 生きつづける思想』(岩波書店)
為政者に向けた無為自然の道
古代思想の巨人・老子。孔子と共に、中国の人びとの精神世界を深く規定している。老荘思想と道教の源流、『老子』の説くところを、過不足なく明らかにする。『老子』として伝わる書物は、上下二篇に分かれ、全部で五千字余り。前漢には成立し注もつけられた。内容は難解きわまりない。著者は巧妙に補助線をひき、攻略して行く。第一に、古代の道家の思想/後代の宗教としての道教、を区別する。第二に、『老子』を儒家に対抗したもうひとつの政治思想だと捉える。なるほど、見通しよく『老子』を理解できる。
蜂屋邦夫氏は老子研究の第一人者。本書は、長年の研鑽を踏まえた随想風の文体だ。《老子は…多くの問題を含みこんで悠々と流れる大河》だという。さあ読者も身を任せ、老子の世界に遊ぼう。
老子とは何者か。司馬遷の『史記』老子伝は、楚(そ)の老耼(ろうたん)ではないかとする。周の図書館に勤め、孔子を教え諭した。真偽は不明で、老子の実像はモヤの中である。
『老子』はどれが原本か。唐代の道徳経碑が古かった。一九七三年に湖南省馬王堆(ばおうたい)から帛書(はくしょ)が発掘された。紀元前二○○年前後のもので大事件だ。その後、もっと古い竹簡もみつかり、当時『老子』がもう経だったと実証された。
では『老子』は、どう読まれてきたか。著者は豊富な背景知識をもとに、その実際を描きだす。
王も皇帝も、中国の統治者は横暴だ。人民など眼中にない。儒家は聖人らしくしなさいと説くがそれはムリ。いっそ何もしないのがよろしい。無為自然である。《老子が自分の思想を…受けとめて欲しかったのは、一般の人々というより…為政者》なのだ。
秦の始皇帝が書物を焼き、儒者を生き埋めにした。諸子百家は壊滅した。その秦もすぐ崩壊。代わった漢は宥和政策をとった。《前漢初期は中国史上で唯一、老子の無為の思想が…もっとも尊重された時代》だった。老子はだんだん仙人にまつり上げられていく。
後漢では、学問を尊ぶ清流派を宦官ら濁流派が圧倒した。清流派は政治談義で憂さを晴らす。やがて、老荘風の清談が流行した。
仏教が伝わると、道家の老荘の思想は道教に変化した。仏教に対抗して大勢の道士が、経典や注釈を書きまくった。宇宙の根源は道である。それが五行に変じ、万物や人間をうむ。人間は情欲を拭い去れば、不老不死となるのだ。
ゆえに『老子』には、道家の正統な読み/道教のこじつけ読み、のふた通りがある。著者は、前者の王弼(おうひつ)、後者の河上公の注釈を対照する。王弼は二四歳で死んだ魏の天才。河上公は漢代に黄河付近に住んでいた伝説の人物だ。
例えば『老子』冒頭の「道の道とす可きは常の道に非ず」。王弼は「道とす可きの道…は、事を指し形を造し、其の常に非ざるなり。故に道とす可べからず」と解く。《事や形には恒常性はない》から「常の道」でない、だ。河上公は、《経術政教の道》は《自然長生の道ではない》と解き、政治の話を修養の話にもって行く。
道教は、易や仏教をヒントに、元始天尊を最高神とし太上老君を祀り、人間の五臓にもそれぞれ神が宿るとする信仰を広めた。『老子』もその立場で解釈する。そういうフジツボや牡蠣殻を取り除かないと、本当の『老子』は読めない。とても収穫の多い一冊だ。
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