前書き

『なぜ人類は戦争で文化破壊を繰り返すのか』(原書房)

  • 2022/03/18
なぜ人類は戦争で文化破壊を繰り返すのか / ロバート・ベヴァン
なぜ人類は戦争で文化破壊を繰り返すのか
  • 著者:ロバート・ベヴァン
  • 翻訳:駒木 令
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(376ページ)
  • 発売日:2022-02-15
  • ISBN-10:456207146X
  • ISBN-13:978-4562071463
内容紹介:
戦争や内乱は人命だけでなくその地の建築物や文化財も破壊していく。民族や共同体自体を消し去る行為でもある文化破壊の構造を探る。
世界各地でなくならない戦争や内乱は、人命だけでなくその土地の建築物や文化財も破壊していく。それは歴史的価値や美的価値を損なうだけでなく、民族や共同体自体を消し去る行為だった。ナチスのホロコースト、チベット問題、世界貿易センタービル、バーミヤンの仏像など、現在も未解決の問題の根底にあるものとは。建築物の記憶を辿った書籍『なぜ人類は戦争で文化破壊を繰り返すのか』より序章を公開します。

数千年におよぶ偶像破壊の歴史

本書構想のきっかけとなったのはボスニア紛争(1992~95年)だった。当時は2001年3月にバーミヤンの辺境にある6世紀の仏像2体がダイナマイトで破壊されるとは、さらに同じ年の9月にニューヨークのツインタワーが崩壊するとは誰ひとり夢想だにしていなかった。
2006年にはイラクでのアメリカ空軍の爆撃によりアブー・ムサブ・アッ=ザルカウィが死亡した。「イラクのアル=カーイダ」の創設者だったザルカウィは、死にいたるまでの数年間、シーア派とスンニ派の対立を激化させることを常套手段としており、たとえばサーマッラーのアスカリ廟――イスラーム教シーア派の四大聖廟のひとつ――などイラク各地のモスクを計画的に爆破して、宗派間の怒りをうまく煽っていた。ザルカウィの死後、その組織は「イラクとレバントのイスラーム国」(ISILまたはダーイシュ)に姿を変える(レバントとは地中海東部沿岸地方をさす。この組織はISISとも呼ばれる)。
組織としてのダーイシュは、遺産に対するタリバンやザルカウィの残忍な路線を継承しており、建築物の利用と悪用にじつにたけている。文化遺跡の破壊は、テロ、プロパガンダ、征服、集団殺害と、さまざまな目的に応用できるからだ。
本書に取りあげた地域のなかには、その後平穏になったところもある。たとえばボスニアでは、内戦終結後の20年間には建築物の破壊行為はあまり起きていない。とはいえ1995年にむすばれたデイトン和平協定に遺産保護条項が盛りこまれたにもかかわらず、古都モスタルのシンボルだった橋くらいしか、再建による共同体の和解は進んでいないのが現状だ。そのほかの地域でも、紛争によって建築遺産が標的になったときの惨事は激化する一方である。とくにイスラーム世界では、ザルカウィが好んだ戦術はシリアとイラクで制御不能におちいっており、さらに遠く離れた地域ではほとんど抑制されていない。
こうした破壊は、表面上は初期イスラームを理想とするサウジアラビアの厳格なワッハーブ派が掲げる偶像崇拝禁止の教義にもとづくものとされるが、その本質は政治的なものだ。つまり、植民地から解放されたあとの秩序――不合理な、西欧列強が勝手に決めた国境線や、欧米やロシアに支援されてきた、腐敗した抑圧的な政権――に異議を唱えるイデオロギーなのである。それらの政権は西洋の資本主義モデルを国民に押しつけてきたが自由はなく、残虐で腐敗し、社会に絶望的な貧困をもたらした。
偶像を破壊する行為には数千年の歴史があるが、ここ最近のイスラーム主義的解釈では、西洋の覇権を拒絶してイスラームの新しいアイデンティティを構築する手段とされている。このような姿勢を象徴するのが、ナイジェリアの過激派組織ボコ・ハラムの名称だ。ボコ・ハラムは「西洋の教育は禁止事項」「西洋化は冒涜行為」という意味である。2011年初頭から中東や北アフリカで民主化運動「アラブの春」が起きたとき、ある種の真空状態が生まれ、こうした思想がなだれこむ余地となった。サウジアラビアのオイルマネーは、強烈な反発をまねく可能性があるにもかかわらず、原理主義の拡大をめざす勢力を支援してきた。
マグレブ――アフリカ北西部のモロッコ、アルジェリア、チュニジアの総称(リビアを含むこともある)――からパキスタン、そして世界各地で、キリスト教の教会、シーア派の聖廟、スーフィーの墓、墓地、世俗的な考古学、美術館、世界遺産を徹底的に敵視するアイデンティティが主張されている。学者はスナイパーに射殺され、遺跡の管理者は過激派組織に斬首された。ダーイシュはイラク北部にある古代アッシリアの都市ニムルドや、2000年前に栄えた古代都市ハトラの遺跡をブルドーザーで破壊したり、シリアのパルミラ遺跡を爆破したりする映像を誇らしげに公開し、世界はそれを信じられない思いで見つめた。
しかし反西洋のイデオロギー信奉者にとって、普遍的な遺産という概念自体、外部から押しつけられたものにすぎない。2001年にタリバンの指導者オマル師は、欧米はバーミヤンの仏像を崇拝し、貧困にあえぐアフガニスタン人の窮状より仏像の運命を気にかけていると揶揄した。また西アフリカのマリ共和国では、2012年7月に、世界遺産のトンブクトゥの聖廟がイスラーム主義組織アンサール・アッ=ディーンによってまたも破壊されたが、それはサンクトペテルブルクで開催されたユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会が、同年5月に別組織がおこなった破壊を受けて、トンブクトゥを危機遺産に登録したことへの報復と考えられている。西洋の啓蒙主義的プロジェクトが勝手に自分たちの地域を遺産登録しただけなのに、なぜそんな普遍性を信じなければならないのか? というわけだ。

遺産と人権の関係性

ボスニア紛争以降、文化財の破壊が起こるたびに慨嘆の声が世界に満ちる。国際連合では官僚的な決議がおこなわれ、ほかにも自己満足的な学術会議が開かれたり、史跡を守るために武力介入せよという扇動的な主張や、貴重な芸術品を空輸してニューヨークやロンドン、パリの大美術館の倉庫に保管すればいいといった妄想に類した提案がなされたりした。その一方で、地中海に浮かぶ舟に乗った難民が苦しもうと溺れようと、手はさしのべられない。つまりある意味では、オマル師の批判は正しかったといえる。民族とその文化は切り離せない関係にある、と欧米が真に理解したことを示さないかぎり、いまも続く両者への攻撃は解決できないだろう。
ただ、古代アッシリアの人面有翼雄牛像(ラマッス像)を打ち砕き、無残な姿に変え、ハンマーで粉々にする映像で世界をねらいどおり震撼させたものの、長い目で見れば、ダーイシュは皮肉にも遺産の保護や人権を擁護する人々の利益になる行動をとったといえる。というのも、まだ新しい概念だった(より正確にいえば、国際社会から見過ごされていた)遺産と人権の関連性が、あきらかになったからである。
こうした攻撃の激化を受けて、ユネスコはついに、文化遺産への攻撃は固有の歴史的価値や美的価値をそこなうだけにとどまらず、民族浄化やジェノサイドの一部であることが多いという理由からも非難した。国連安全保障理事会と国連の人権部門は現在、文化遺産への攻撃は、ヤジディ教徒、シーア派、キリスト教徒、その他の少数民族に対する殺戮と文化の抹殺のかなめであるという理解のもと、イラクでの出来事を注視している。ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの非政府組織(NGO)も全面的にではないにしろ、文化遺産と人権のかかわりを指摘している。
理論上は、こうした破壊を訴追することは一定の抑止力になるはずである。しかし残念ながら、現行の国際法は目的にあっていない。いまの法律は、国家ではない勢力に対処するには不十分というだけでなく、文化に対する罪を人道に対する罪と切り離して考えているからだ。このことは、旧ユーゴスラヴィアでおこなわれた犯罪を裁くためにハーグに設置された法廷(旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所:ICTY)で何度も証明されている。ここでは、遺産の破壊はジェノサイドの証拠になりうるものとして(一応)認められているが、たとえそれが民族全体の歴史とアイデンティティを消し去るための試みであることが歴然としていても、ジェノサイドを達成する本質的な要素――つまりジェノサイドのかなめ――とは認められていない。ハーグでは文化犯罪の加害者に対する訴追はほとんどおこなわれておらず、破壊の罪はたいてい、死亡や人権侵害にかかわる主要犯罪に付加される形になっている。
国連の国際司法裁判所(これも本部はハーグ)の姿勢も同様だが、同裁判所の判事のひとりはそれに異議を唱えた。アントニオ・アウグスト・カンサード・トリンダージ判事は、2015年2月、クロアチアとセルビアが旧ユーゴスラヴィア紛争中にジェノサイドをおこなったと互いを告発していた訴訟の判決で、「認めたいと思うかどうかにかかわらず、肉体と精神は一体化しており、一方を他方と切り離そうとする試みは……まったくもって無意味である」と激越な反対意見を述べた。トリンダージ判事は、国際司法裁判所はジェノサイドをおこなう意図――犯罪のなかの犯罪をあえておかそうとする意図の立証に対して、あまりにきびしい基準の証拠を要求しており、正義に背を向けていると主張した。判事の意見書には、見落とされている証拠として、セルビア勢力が占領したクロアチア地域で認められる共通パターン――つまり東部ヴコヴァルなどの町でクロアチアの文化財が組織的に標的にされたのと、クロアチア市民の殺害や追放が同時に進行していたことをあげている。これはある民族とその自己表現方法の一部を根絶したいという願望の証拠だ、と判事はいう。この意見からは、なおざりにされていた「戦時下における文化の運命」の問題に光をあて、人権問題の中心にすえようとする決意が見てとれる。ある集団の文化的アイデンティティが根絶されれば、その集団を物理的に抹殺するのと同じような結果が生じるからだ。
トリンダージ判事は、ナチスの迫害を逃れて1948年のジェノサイド条約の草案を作成したポーランド系ユダヤ人ラファエル・レムキンの言葉を引用した。本書の最後でも述べるとおり、レムキンはジェノサイドが「残虐」(民族への攻撃)と「破壊」(民族の特質をあらわす文化への攻撃)の両方からなると考えていた。しかし最終的に国連で採択された条約では、レムキンがジェノサイドの要素とした「文化破壊」の概念は削除された。冷戦時代の外交上の敵対関係にくわえ、自国の先住民族(および元奴隷)がこの国際法を根拠に政府を訴える可能性があるのではないか、というアメリカ大陸諸国の危惧が優先されたのである。のちにレムキンは自伝のなかで、「わたしはふたつの草案をうまく弁護した」と述べた。「[破壊とは]ある集団の文化パターンの破壊を意味した。言語、伝統、記念建造物、文書館、図書館、教会など、簡潔にいえば、それは国家の魂が宿る社やしろである」。とはいえ、現実の政治の世界では文化破壊の条項は却下されるにちがいないと悟り、レムキンは「重い気持ちで」この問題を取りあげるのをやめた。そして、あとから追加議定書の形で条約に明記されることに望みを託した。しかしそうはならず、今日のような結果になってしまったのである。トリンダージ判事は自分の意見が国際法の判決例や、「説得力のある機関」の力になるようにと願っている。
国連は、文化の運命が文化的ジェノサイドと表裏一体であるとするかわりに、武力紛争時における文化財の保護を目的とした「1954年ハーグ条約(武力紛争の際の文化財の保護に関する条約)」を採択した。1999年、この条約を補足するために作成された第二議定書では、条約締約国は自国の領土内の非国家主体――たとえばテロ組織――に刑事罰を科せることになっているが、イラクでそれが実現するとは考えられない(いずれにしろイラクは肝心の第二議定書の締約国ではない。1954年ハーグ条約は締約している)。旧ユーゴスラヴィアから生まれた、政治がそれなりに機能する国々では、宗教施設や博物館を組織的に完全破壊しても有罪判決を得るのは非常にむずかしい。

どうしたら文化破壊を止められるのか

ダーイシュの文化破壊は戦争犯罪と呼ばれている。たしかに、それはまったく正しい。しかし、その行為を正式に戦争犯罪とするための拘束力のある法律が存在するのかどうか、という疑問が残る。文化破壊は、公式にはジェノサイドではない。また国際刑事裁判所の設置を決めた2002年のローマ規程では、文化破壊は戦争犯罪とされているものの、イラクはこの規程にも加盟していない。実際のところ、イラクはローマ規程を批准していないアメリカと同じく、国際刑事裁判所という枠組みや、自国の将軍や政治家がその刑事法廷で責任を問われるという考えに真っ向から反対している。欧米の「文明的」価値観はここでも変幻自在なのである。
ボスニアやダルフール、ルワンダでの事例を受けて、ジェノサイドの早期警戒や防止のあり方が国際的な議題になっているにもかかわらず、ジェノサイドの一側面である文化破壊の防止は加害者の起訴と同様、遅々として進んでいない。2004年、当時のアナン国連事務総長はジェノサイド防止に関するストックホルム国際フォーラムの基調講演で、「致命的な紛争の防止と解決ほど国連にとって基本的な任務はない」と述べた。このフォーラムでは、「人命や社会に対するジェノサイドの脅威を可能なかぎり早期に発見し、監視かつ報告するための実用的なツールやメカニズムを使用ならびに開発する」ことを表明した。ストックホルム以降、統計学にもとづいて、さまざまなジェノサイド早期警告システムが開発されている。しかし、ジェノサイドの状況が発生しているかどうかを判断する指標に物質文化を含めているものは、ひとつもない。
2009年、こういった新システムに対する批判を展開したアルメニア政府は文化を考慮に入れるよう求め、次のように述べた。「文化財や宗教施設の破壊、文化的アイデンティティの抑圧は、文化レベルでの警告サインに位置づけられるべきである。ただし、ジェノサイドの危険を知らせる警告サインとするには、どの違反も組織的な性質を有していること、頻繁に発生していることが条件となる」。しかし2016年にイスタンブルで開催されたユネスコの世界遺産委員会では、これをテーマにした研究論文の提出は予定されず、トルコや中国の代表団を怒らせるような文章を削除しないかぎり書面審査にもまわせなかった(両国とも過去に文化的ジェノサイドの罪をおかしており、少なくとも中国は現在もそうである)。
もちろん、確信犯的勢力や残忍な反社会的人物を止める手立てはどこにもない。ただ、レムキンが提唱した破壊条項をジェノサイド条約の追加議定書に明記するか、もしくは文化遺産と人権を明確にむすびつけた新条約を制定しないかぎり、この問題に対する理解が深まったとしても、効果的な救済策は得られないだろう。
「本を燃やすことと死体を燃やすことは同じではない」と、レムキンは1948年に述べた。「しかし教会や本の大量破壊に介入すると、死体焼却の防止になんとかまにあう」

[書き手]ロバート・ベヴァン(ジャーナリスト、作家、遺産主導の復元コンサルタント)
なぜ人類は戦争で文化破壊を繰り返すのか / ロバート・ベヴァン
なぜ人類は戦争で文化破壊を繰り返すのか
  • 著者:ロバート・ベヴァン
  • 翻訳:駒木 令
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(376ページ)
  • 発売日:2022-02-15
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戦争や内乱は人命だけでなくその地の建築物や文化財も破壊していく。民族や共同体自体を消し去る行為でもある文化破壊の構造を探る。

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