後書き

『女帝そして母、マリア・テレジア:ハプスブルク帝国の繁栄を築いたマリー・アントワネットの母の葛藤と政略』(原書房)

  • 2022/05/19
女帝そして母、マリア・テレジア:ハプスブルク帝国の繁栄を築いたマリー・アントワネットの母の葛藤と政略 / エリザベート・バダンテール
女帝そして母、マリア・テレジア:ハプスブルク帝国の繁栄を築いたマリー・アントワネットの母の葛藤と政略
  • 著者:エリザベート・バダンテール
  • 翻訳:ダコスタ吉村花子
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(248ページ)
  • 発売日:2022-04-20
  • ISBN-10:4562071745
  • ISBN-13:978-4562071746
内容紹介:
ハプスブルク帝国の女帝の統治と「母親であること」はどのように関わっていたのか。新資料を駆使し、女帝の新たな人間像にせまる。
18世紀ヨーロッパの超大国ハプスブルグ朝を率いた女傑、マリー・アントワネットの母としても知られるマリア・テレジアは16人の子どもの母でもありました。名著『母性という神話』の著者バダンテールが新資料を駆使し、マリア・テレジアの新たな人間像に迫った『女帝、そして母、マリア・テレジア』より、訳者あとがきを公開します。

君主であり、母親であり、妻であること

マリア・テレジアと聞くとどんな人物を思い浮かべるだろうか。18世紀ヨーロッパの超大国ハプスブルグ朝を率いた女傑。あるいは「幸いなるオーストリアよ、汝は婚姻せよ」の言葉に忠実に、たくさんの子を産み、自らの外交政策に生かした女帝。一方で、かのマリー・アントワネットの母としても有名で、アントワネットの伝記には、娘を特に可愛がった、ウィーン宮廷は家庭的だった、子たちを愛するよき母親だったとしばしば書かれている。

本書で描かれるマリア・テレジアはそのすべてであるが、それがすべてではない。大帝国を支配し、戦争を遂行しながら、ほぼ毎年のように子を産んでいた女性とは、どのような母親だったのか。仕事と子育ての両立は可能だったのか。そして16人の子たちとどのような関係を築いていたのか。本書はそうした疑問を解く試みである。

当時の特権階級の女性たちに比べると、マリア・テレジアが「母らしい」人物だったことは事実だ。そもそも彼女たちは子育てはおろか我が子との接触自体がごく少なかった。子どもは生まれると同時に乳母に預けられ、母が育児や教育に直接関わることはほぼなかった。そうしたことを考えると、教育に心を砕き、自ら細かな指示を養育係や教育係に出し、旅行に連れていくなど、現代の私たちの目には普通に映ることも、当時の女性、しかも「女帝」には類を見ない行動だったのである。

しかし彼女は「よき母親」だったのだろうか。そもそも彼女自身が母としての資質に自信を欠いていた。自分はよい母親なのかと自問を繰り返し、子が病気にかかると不安にさいなまれ、子の死に打ちのめされる姿は、現代人に深い共感を起こさせる。

同時に女帝にとって子たちは外交の道具でもあり、政治のコマでもあった。さらに特筆すべきは、その偏愛ぶりである。統治者として子に厳しく接するのはわかるにしても、レオポルトやマクシミリアンには歯に衣着せず過剰とも言える非難を浴びせる一方、クリスティーナやフェルディナントに対しては望みをかなえたり、欠点に目をつむったりとかなり甘い。そのため子たちの間に熾烈な競争意識と敵意が生じ、彼女の死後兄弟関係は破綻同然の状態となった。

本書の中でもう一つ目を引くのが、子どもたち一人一人の強烈な個性である。ヨーゼフ二世、マリー・アントワネットは知名度も高いが、かつては母のお気に入りだったのに厄介者扱いされるようになった病弱なマリアンナ、現代風にいえば性格破綻者のようなエリーザベト、立ち回りのうまいクリスティーナ、要領がよく母の扱いを心得ていたフェルディナント、そして兄弟姉妹について辛辣な観察を記したレオポルトなど、一筋縄ではいかない人物ばかりだが、彼らの性格形成に母との関係が深く影響していたことは確かで、どの子も成人後も母を恐れ、反抗したり愛されようと努力したりしてもがいた。

さらに皇帝夫妻の関係も子どもたちの夫婦観を大きく左右したと考えられる。当時は夫唱婦随が主流だったが、皇帝夫妻は逆だった。マリア・テレジアは愛する夫を立てようと涙ぐましい努力を重ねたが、それでも二人の立場(そして統治者としての能力)の差は歴然としていた。本書でもヨーゼフは母に心酔する一方、父には軽蔑にも似た感情を示している。と同時に、後年には反旗を翻し、晩年の母を絶望の淵に追い込んだ。

いずれにせよ、どの子も女帝に愛、恨み、恐れなど激しい感情を抱き、女帝も程度差はあれ、それぞれを愛し、支配しようとし、幻滅や喜びを味わった。話はそれるが、結婚生活のアドバイスとしてマリア・テレジアが「夫を楽しませ、その信頼に応えねばなりません。(中略)幸せな結婚生活を送れるかどうかは、妻次第です」と書き、フランツは「一番大切なのは、あらゆる点で妻の望みを寛大に受け止めることです」と書いているのは、非常に興味深い。

著者エリザベート・バダンテールは哲学、歴史学を専門とするフェミニストで、日本でも多数の著書が邦訳されている。ただし本書ではフェミニスト的観点は薄く、むしろマリア・テレジアの人間、母としての葛藤に主眼が置かれている。ちなみに配偶者のロベール・バダンテールはミッテラン政権下で司法大臣を務め、死刑制度を廃止したことで知られる人物で、夫婦ともフランスを代表する論客である。

最後に「女帝」という呼び方について記しておく。広く知られているように、マリア・テレジアは厳密に言えば女帝(女皇帝)ではなく、女大公、女王、皇后だった。だが実質的に女帝として君臨し、当時から現在に至るまで広くそのように認識されているため、本書でも「女帝」の呼び方を採用した。

[書き手]ダコスタ吉村花子(翻訳家)
女帝そして母、マリア・テレジア:ハプスブルク帝国の繁栄を築いたマリー・アントワネットの母の葛藤と政略 / エリザベート・バダンテール
女帝そして母、マリア・テレジア:ハプスブルク帝国の繁栄を築いたマリー・アントワネットの母の葛藤と政略
  • 著者:エリザベート・バダンテール
  • 翻訳:ダコスタ吉村花子
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(248ページ)
  • 発売日:2022-04-20
  • ISBN-10:4562071745
  • ISBN-13:978-4562071746
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ハプスブルク帝国の女帝の統治と「母親であること」はどのように関わっていたのか。新資料を駆使し、女帝の新たな人間像にせまる。

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