前書き

『武器化する世界:ネット、フェイクニュースから金融、貿易、移民まであらゆるものが武器として使われている』(原書房)

  • 2022/08/26
武器化する世界:ネット、フェイクニュースから金融、貿易、移民まであらゆるものが武器として使われている / マーク・ガレオッティ
武器化する世界:ネット、フェイクニュースから金融、貿易、移民まであらゆるものが武器として使われている
  • 著者:マーク・ガレオッティ
  • 翻訳:杉田 真
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(280ページ)
  • 発売日:2022-07-21
  • ISBN-10:4562071923
  • ISBN-13:978-4562071920
内容紹介:
「21世紀情報総力戦」の全体像を実例とともに。ネットから金融システムにいたるまで、あらゆるものが「武器」になる。
「21世紀の情報総力戦」の全体像を、その歴史から現在のさまざまな実例とともにわかりやすく案内。ネットからフェイクニュース、金融、輸出入、移民にいたるまで、あらゆる「武器」が私たちを取り囲んでいる「新世界大戦」の現実を記した書籍『武器化する世界』より、イントロダクションを公開します。

ありえなかった未来が現実になる可能性

明後日、突然電灯が消えはじめる。列車が停車し、夜勤工場が機能しなくなり、全国の若者はネットが繋がらないことに苛立つ。のちに、東日本と西日本の両方に電力を供給する送電網の保護を目的とした、一見見事な数々の防御策やバックアップやフェイルセーフ[機械類が故障した場合や作業者が誤作動した場合などに、安全側に働くシステム]に対して、ハッカーが1年以上かけて、慎重に、そしてたくみにバイパスを作っていたことが明らかになる。原子力発電所、風力タービン、さらには昔ながらの化石燃料からも電気は生成されていたが、どうにもならない。国中の電力系統網が麻痺状態にあるからだ。システムが最終的にマルウェアを除去して再起動するまでに48時間かかる。その2日間、誰もが安定的で豊富な、そして何よりも信頼できる電力に依存していたことを痛感する。

これは基本的に流血をともなわない攻撃だが、完全にそうではない。予備の発電機が足りないかネット接続が遅いせいで集中治療室では死者が出る。信号が消えたせいで71人が交通事故で亡くなる。暗闇の中で誰かが階段から転げ落ちたり、大阪のエレベーターに閉じ込められた男性がパニック発作を起こして窓を蹴破って飛び降りたりと、不必要で些細な悲劇が相次いで発生する。

真の国家危機の際、誰に電話するだろうか? 軍隊は二次的影響に対処するために配備される。結果として犠牲になったものは、自衛隊がアメリカ軍と実施しようとしていた日米共同統合演習に参加する余力だ。その代わりに、自衛隊員は発電機の供給や、警察が便乗泥棒の取り締まりのため通りをパトロールするのを手伝うことで忙しい。

政府はすぐにこれが攻撃であることを発表するが、その手口と実行犯については不明のままだ。何カ月にもわたって、汚職やとりわけ国のインフラ管理のずさんさを厳しく批判するメディア報道に接してきた国民は、政府に対して不信感を募らせている。結果、何を信じていいのかわからない国民は、ハッキングされた当局者のメールが暴露されると政府に対する怒りを爆発させる。そのメールは、老朽化したシステムを十分なアップデートをせずに使いつづけているため、電力供給網内部で深刻なカスケード障害[一部の障害が、システム全体の不具合の原因になること]が発生する危険があることを大臣に知らせる内容だ。さらに悪いことに、これらのメールは本物である。政府の報道官は、システムが強固で「目的に合っている」ことが確認されていると説明して懸念の解消に努めるが、根拠が弱く、身勝手な印象を与えるだけだ。それは何よりも、他の文書の一部が政府のシステムから一掃されていたことが明るみに出るからだ。

外部からは隠蔽工作のように見える。政府の反論は、政治家からTikTokスターにいたるまで、買収されたのか、本気で怒っているのか、あるいは単なる便乗目的の世論形成者に煽られたメディアの報道合戦で埋もれてしまう。残念ながら、「よい社会を作る力」という選挙スローガンのもとで話す首相を揶揄する動画が拡散される。96歳の祖父(元救急医療員で、80歳までチャリティマラソンに参加していた)の葬式で泣いている女性の写真は、この災難の象徴になる。「総理、おじいちゃんは〝目的に合っていなかった〟の?」という見出しが紙面を飾る。

中国は2年前、日本の主要な高圧送電網の交換に名乗りを上げたが、国家安全保障の立場から認められなかった。今、中国の電力会社が51パーセント出資する合弁企業が、独自の技術を使って、格安で迅速にネットワークを再構築するという新しい申し出をする。外交・防衛委員会の委員長は、以前の計画を最も厳しく批判したひとりだったが、彼はこの新しい提案に関する意見を述べるまえに亡くなってしまう。代替証拠がなく、警察は強盗に襲われたと結論づける。それでも、この事件は契約を勝ち取るための込み入った策略であり、国の送電網が支配される恐れがあると主張する者もいる。なお、この合弁企業には潜在的利益の危機だと考える多くの日本の中小企業が参加している。彼らは高額な報酬で辣腕弁護士を雇っており、ほどなくして名誉毀損の令状がどっと押し寄せる。裁判で勝てるかどうかは重要ではない。真の狙いは、弁護費用を脅迫の材料にすることだ。その結果、少なくとも公の場で誰もリスクのある話をしなくなってしまう。

また中国政府は、中国友好の立場で賢明な判断が下されることを期待する、という殊勝な声明を出す一方で、東京の上野動物園にジャイアントパンダのチューリンを提供して日本の対中感情を和らげようとする。取引は成立する。こうして中国は、契約、勝利、そしておそらく中国が求めていた長期的な影響力を手に入れる。

21世紀の宣戦布告なき戦争

これは悪夢のシナリオだ。もちろん、とうていありそうにない話である。だが、カッターナイフを持った19人のジハード主義者が2001年にアメリカ上空を飛ぶ4機の航空機をハイジャックして、人類史上最悪のテロ攻撃を実行するという考えも、ありえないはずの出来事だった。あるいはイランにとって、スタクスネットと呼ばれるコンピュータ・ワームがUSBメモリを介してナタンツの核施設――地下深部にあり、精鋭部隊や対空システムやレーザーワイヤで保護されている――に侵入し、爆弾用ウランを濃縮するために使用されている遠心分離機を破壊することは想定外だったに違いない。またロシアは、2014年にほとんど発砲らしい発砲をせずに隣接する国の一部を占領したが、実行犯とは無関係だと主張した。インフラのハッキングから殺人にいたるまで、これらのシナリオの一部は、21世紀の宣戦布告なき「影の戦争」ですでに使用されている。

兵器はますます高価になり、国民は(権威主義体制であれ)戦争で犠牲者が出ることに寛容でなくなりつつある。いずれにせよ、力が炭鉱や不凍港や農地の広さで測られる時代は過去のものとなった。国家は常に非軍事的な手段を用いて、他国を威嚇し、誘惑し、欺き、勝利への道を切り開いてきたが、今日の世界はかつてないほど複雑になり、緊密に相互接続されている。かつて、相互依存性は戦争を抑止する手段であると思われていた。これはある意味そのとおりだった。だが、戦争の原因となる圧力が消えることはなく、むしろ相互依存性が新しい戦場になった。武力衝突がない戦争、すなわち非軍事的紛争には、転覆工作、制裁、ミーム、殺人などさまざまな方法が用いられており、現代のニューノーマルになってきていると言えるかもしれない。

その過程で、戦争と平和の境界は曖昧になり、現在「勝利」とは素晴らしい日であることを意味しているが、将来はどうなるか保証できない。むしろ私たちは、しばしば気づかれず、宣戦布告されず、終わりもないという永続的に低レベルの紛争が行われる世界を生きることになり、その世界では同盟国でさえ競争相手になる可能性がある。私たちはすでに、とりわけロシアと西側の現在の対立において、情報から――奇妙なことに――サッカーのフーリガンにいたるまで、さまざまなものが「武器化」される時代を生きている。そう、たとえば、2016年にフランスで開催されたUEFA欧州選手権で、ロシアの熱狂的なサッカーファンが対戦相手のイングランドのファンと衝突したとき、「イギリス政府の情報筋」は『オブザーバー』紙に、信憑性よりも高潔さでもって「プーチンが仕掛けたハイブリッド戦の続きのようだ」と語った。

あらゆるものが武器化される可能性があるのなら、こうしたことは無意味になるのではないか? ある程度、それは公正な指摘である。だが、たとえあらゆるものが武器化できるとしても、一部は他のものよりも優れた武器になる。本書は新しい戦争方法の、ひょっとしたらめずらしい戦争方法の、もしくは新しい戦争世界のフィールドガイドである。予言書というよりは、人間が進む可能性のある未来についての入門書のほうが近い。新型コロナウイルス感染症で思い出されるように、人生はさまざまな予期せぬ方向転換を行い、そのうちの一部は世界を変える可能性がある。本書で述べる未来は、永遠に紛争が続き、そのなかでチャリティから法律まであらゆるものが武器として利用される恐れがあるため、ついディストピアであると考えたくなる。だが少なくとも私は、核ミサイルよりも不愉快なミームのターゲットにされるほうがいい。幸いなことに、情報戦において迫撃砲による集中砲火は存在しない。本書は流血をともなわない紛争の未来についての展望ではない(結局のところ、経済制裁や反ワクチンの偽情報、保険関連予算の汚職で命を落とす人がいるからだ)。だが少なくとも、流血が少ない紛争であることは確かであり、国家同士の直接的な武力衝突は犠牲が多く主流でなくなりつつある。それはまた、善人が協力すれば、悪人と同じ手段を効率的に活用できる世界ということでもある。もちろん、私はこれを皮肉を込めて言っている。地政学においては、誰もが利己的であり、完全な善人も完全な悪人もめったにおらず、さまざまな醜い思惑が渦巻いているからだ。それでも、安定性とルールに基づく国際秩序に多少なりとも関与しているそれらの勢力と、概してその両方に挑戦しようとしている勢力とのあいだにかすかな線を引くことができる。

本書はこうした未来を支持しているわけではない。好むと好まざるとにかかわらず、これは世界が向かいつつある可能性のひとつである。私たちは今このことをよく考えてみるべきだ。他の国より賢く機敏で冷酷な国が、私たちに対してこれらの手段を使っていることに不満を言うのも結構なことだが、私たちがそんな反応をするだけでは、この先もずっと不満を言いつづけることになるだろう。結局のところ、知力と想像力ほど武器化されたときに強力なものは存在しないのだ。

[書き手]マーク・ガレオッティ
ロンドン大学スラブ東欧学研究所名誉教授、プラハ国際関係研究所フェロー。ケンブリッジ大学ロビンソンカレッジ、LSEで政治学博士号を取得。その後、キール大学歴史学部長、イギリス外務省の上級研究員、ニューヨーク大学のグローバルアフェアーズ教授、客員教授を歴任。邦訳書に『スペツナズ』、他著書多数。
武器化する世界:ネット、フェイクニュースから金融、貿易、移民まであらゆるものが武器として使われている / マーク・ガレオッティ
武器化する世界:ネット、フェイクニュースから金融、貿易、移民まであらゆるものが武器として使われている
  • 著者:マーク・ガレオッティ
  • 翻訳:杉田 真
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(280ページ)
  • 発売日:2022-07-21
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