書評
『夕べの雲』(講談社)
丘の上の家族誌
大浦家は、東京から郊外の多摩丘陵のひとつである丘の上に家を建てて引っ越してきた。何しろ新しい家は丘の頂上にあるので、見晴らしもいいかわりに風当たりも強い。それに三百六十度の眺望がきくというのは、彼ら一家も天からお見通しということでもある。こういうのは住むにはぐあいが悪い。落ち着かない。みれば、古くからこの一帯に住んでいる農家は、強風にさらされるのを避けて、みんな丘や林を背にしている。
大浦家は、小説家の大浦とその妻君、高校生の晴子、中学生の安雄、小学生の正次郎の五人で構成されている、他に、大浦の兄が大阪に、二、三の親しい友人が東京に、そして出入りの植木屋、クリーニング屋などがいる。
大浦はなんとか風よけになるような木を家のまわりに植えようとする。彼は会社勤めをやめて、一日じゅう家にいることができるから、家族の暮らしぶりや、木や花の成長や季節の移りをじっくり観察することができる。同時に、一家の主(あるじ)でもあるから、この生活に充分コミットもできる。
そういう視点から、庄野潤三の『夕べの雲』は書かれていて、とても貴重な生活誌、一九六四年(昭和三十九年)当時の、ということは東京オリンピックの年だが、東京近郊に新しく居を構えた日本の一家族の叙情詩にもなっている。
もちろん、ただのドキュメントではなくて、新聞連載の一回三枚という枠の中に、非常な低声(こごえ)でだが、鋭い世俗批評と、童話の世界にそのまま道が通じているようなほのぼのとしたドラマが組みこまれていて、次はどうなるのか、と本では一行アキになっている次の回が待ち遠しくてならない。
僕が『夕べの雲』を最初に読んだ時、すらすら読めて、とても気持よかったこと、やはりその頃読んだばかりだったジュール・ルナールの『日記』や『ぶどう畑のぶどう作り』に似ているな、と思ったことを覚えている。
びっくりしたのは、そのあと、ある批評家の本で、これを「治者の文学」と呼んでいたことで、なんでそんな堅苦しい読み方をしなくちゃなんないの、と不満を抱いた記憶もある。
今度、再読して、覚えたのは、徹底して、懐かしさの感情だ。再読ということからくる懐かしさではなく、この物語で語られる世界そのものが、隅々まで、懐かしさを掻きたててやまないのだ。
そうだ、僕にもこういう悠然としていて、無口で、妻君や子供たち、風や木や花、蛇や鳥たちに細やかな心配りをする父親がいた。いや、いた、と想像し、その想像上の父親を、今度は思い出して、懐かしむ。そういう手のこんだ感情を、この小説は誘い出してくれるのだ。
これこそ、良質の小説だけが持つ効用・功徳というものだ。
大浦が大阪の兄に誘われて、急に思いたって、家などめったに空けたことがないのに信州に出かけた留守に、丘の上の家に雷が落ちる。天に身をさらしているようなものだから、仕方がない。
母子四人は、なぜか子供部屋に身を寄せあってうずくまる。
帰ってきた大浦に妻君が、空襲で焼夷弾が落ちたときよりずっとこわかった、という。雷もひどい。わざと主の留守を狙って落ちるのだから。しかし、妻君はこうもいう。
「もしあの時、あなたが家にいたら、わたしたちはきっとやられていたと思います」
いい小説はいつ読んでもいい。生きていることは、懐かしい。
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