禰豆子にとってなくてはならない竹と箱
竈門禰豆子(かまどねずこ)は炭治郎の妹であり、もう一人の主役、ヒロインともいえる。禰豆子は鬼と化した後は竹筒をくわえている。『鬼滅の刃』を知らない人には、少し異様な姿にも見えるだろう。この竹筒は人を喰わないようにと水柱、冨岡義勇によって口枷としてつけられた(1巻第1話「残酷」)。以降、口の竹筒は、禰豆子のシンボルとなっている。山奥だったからであろうか、急ごしらえの竹筒であるにしても、竹もまた伝承の世界では重要な意味を持つ。
そして禰豆子は太陽の光を浴びると焼かれて消えてしまうため、移動の時には基本的に箱に入っている。この箱は炭治郎の師匠、鱗滝左近次(うろこだきさこんじ)が作ってくれた。この杉の箱を炭治郎は常に背負い、移動する時も鬼と闘う時も、禰豆子を守るために箱の中に入れている。
さて、この禰豆子にとってなくてはならない竹と箱、この二つには共通点があるのにお気づきだろうか。まず竹は、節と節の間が空洞になっている。そして箱も中に物をしまえる、つまり物が入っていなければ空っぽということである。こうした中が空洞のものは昔話などの伝承の世界では非常に大きな意味を持つ。
禰豆子が目覚ましく成長するわけ―竹
例えば平安時代の作者不詳の物語『竹取物語』は、伝承をもとにしていると考えられる。竹取の翁が、根元の光る竹があるので不思議に思って近寄ってみると、竹筒の中に大変可愛らしい9センチほどの人が座っていたというのだ。その後も竹を切ると、竹の節と節の間に黄金が詰まっており竹取の翁は裕福になる。ここで竹は、美しい女の子を、そして黄金をも宿しているのである。中が空洞である竹は不思議な力を持っていることが語られる。
もともと竹は筍から3か月であっという間に育ち、根で増えていく逞しさがあり、生命力にあふれている。かぐや姫も同じく3か月ばかりで成人しているが、この竹の成長の速さは禰豆子にも重なる。例えば上弦の陸の鬼、堕姫(だき)との戦いにおいて、禰豆子は堕
姫に胴体を切り離されてしまう。堕姫は「アンタみたいな半端者じゃ それだけの傷すぐには再生できないだろうし」と語りかけるが、禰豆子は一瞬で体を再生させる。堕姫は「今の回復再生速度は上弦に匹敵する」と驚く。そしてさらに攻撃を重ねた堕姫は、自分の再生速度を上回って回復する禰豆子に気づく( 10 巻第83話「変貌」)。この戦いで禰豆子が大きな怪我を負わされても再生が速いこと、目覚ましく能力を向上させていくことは竹の生命力や成長力ともつながると言えるだろう。
竹は、身近な道具である籠、杓子、尺八、傘や扇子、凧、箒の材料にもなり、竹垣など住まいの建材にもなっている。一方で、非日常である祭りや神事にも使われてきた。七夕の竹や門松、酉の市の縁起物の熊手やお神酒徳利にさす神酒の口と枚挙にいとまがない。葉も食物の腐敗を防ぐビタミンKが豊富で、餅や寿司を包むのに使われてきた。古来より神聖で不思議な力を持つと考えられた植物でもある。
「桃太郎」、「瓜子姫」などの小さ子とうつぼ
『竹取物語』でも、そうした竹の力に異常誕生譚が結びついている。異常誕生譚とは、異常出生譚とも言われる。人知を超えた生まれ方をした子どもが、長じて活躍する話をさす。こうした特別な存在となる子どもは、普通の生まれ、育ちをしないという昔話のよくある形(モティーフ)を持つ。
例えば昔話では桃太郎は桃から、機を織る美しい娘に成長する瓜子姫は瓜から生まれている。そして昔話として語られるかぐや姫もこのように語られる。こうした特別な授かり方をした小さな子どもたちの話を「小さ子譚」ともいうのだが、この「小さ子」は神様の授かりものと考えたり、神様に願掛けをしたりして生まれたとする話が多い。そして「小さ子」は、これから何かを生み出す果実だけではなく、竹のような中に何かが入りうる閉じられた空洞にいることが多い。こうした空洞は古くから“うつほ”、“うつぼ”という言葉で表してきた。
うつぼとは何か
「うつぼ」に関して、折口信夫(1887 ― 1953)は、日本の民俗学、国文学者でもあり、または釈迢空という名の歌人でもあるが、次のように述べている。
「うつぼ」は、「中が空で、そこに物の入る用意をしているもの」「そこに魂の入るべき空洞を有したもの」である。「うつほ」とも言い、中がくりぬいてある舟を「うつほ舟」と言ったりもする。こうした「うつぼ」は「両端が、這入る所のない様に閉ざされて居ながら、何時か物の這入る様に用意されているものです。その意味で、うつぼは、神霊の宿る所、という事になります。」と説明している。
つまり中が空であるということは、これから何か物が入る可能性を秘めている。そういう形状を「うつぼ」と言い、「うつぼ」の閉ざされた空間は神霊が宿る人知を超えた力を持つという考え方を示している。だからこそ神様からの授かり物、小さ子が「うつぼ」の中にいると言える。平安時代中期には『うつほ物語』(宇津保物語)という題の物語もある。これは親子何代にもわたる長編物語なのだが、この絵は貴族の父亡きあと娘が落ちぶれて彼女の息子とともに山で暮らしている場面だ。娘は、仙人に琴を習った父から琴を伝授されており、熊から譲り受けた大きな杉の木の〝うつぼ〟で息子と琴の修練に励みながら暮らしている。
『うつほ物語』と禰豆子の箱の共通点―杉
この物語の発端で母と子がこもる〝うつぼ〟が杉の木であって、禰豆子の箱と同じ材木の杉であることも興味深い。
杉もまた神木と考えられている。鈴木棠三『日本俗信辞典』によると、鳥取県では「スギは神木なので、人家の屋敷に植えると位負けする」、秋田県では「屋敷内にスギを植えると家が滅ぶ」と言って人家の周りに杉を植えることを忌む。山の神の木、という意識があるからだろう、切ったために、村に祟りがあったとする話は各地で見られる。富山県魚津市では「庭下駄や棺桶を杉で作らない」、氷見市では「一本スギを三度廻るとキツネが出る」といったタブーもある。
こうした神聖な杉の“うつぼ”に『うつほ物語』の母子が住み、この世のものとは思われぬ琴を奏でる。『鬼滅の刃』では箱に禰豆子が入ることで守られ、そして超人的な力を発揮する。
“うつぼ”としての壺を利用する鬼―玉壺
たとえば壺も“うつぼ”である。『鬼滅の刃』でも自ら作った壺から出てくる鬼がいた。上弦の伍の鬼、玉壺である。玉壺は、12巻第98話「上弦集結」で初めて登場するときも、ただの壺が置かれていると思いきや、壺から声を発しズヌヌヌヌヌという効果音とともに壺から現れる。
玉壺の血鬼術で生み出された金魚の化け物は、柱の一人、時透無一郎が首を切り落としても死なず、体についている壺の方を切り壊したら退治できた。それを見た無一郎は「壺から力を得ていた…」と考えている。そして、玉壺は壺から様々な水の生き物を出し攻撃もする。壺の中から金魚を出し、その金魚たちが毒の針を多数口から吹いて飛ばす「千本針魚殺」(13巻第111話「芸術家気取り」)や、壺からタコの足がたくさん出てきて捕まえた相手を締め上げる「蛸壺地獄」(14巻第119話「よみがえる」)など壺から様々なものが出てきて、それらと戦うことになる。壺は普通の壺の大きさで、たくさんの金魚が入っているようにも、何倍も大きなタコの足が何本も入っているような大きさにも見えない。
それは玉壺の壺もまた、ただならぬ力を持つ“うつぼ”だからであろう。
[書き手]久保 華誉(くぼ・かよ)
1975年、静岡県富士市生まれ。聖心女子大学卒業。國學院大學大学院修了、博士(文学)。野村純一教授に師事。国立国会図書館国際子ども図書館非常勤調査員(学芸員)、立教女学院短期大学非常勤講師などを勤めた。現在、東京女子大学非常勤講師。主著に『日本における外国昔話の受容と変容―和製グリムの世界』(三弥井書店、2009年)、児童書の『怪談オウマガドキ学園』(童心社)シリーズで昔話の再話を分担執筆。日本昔話学会委員、日本口承文芸学会、日本民話の会、日本野鳥の会会員。物語に連なる古今東西の芸術に関心を持ち、ピアノはDIAPASONとPETROFを愛奏。