本文抜粋

『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』(草思社)

  • 2023/11/22
フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書 / シャルル・ペパン
フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書
  • 著者:シャルル・ペパン
  • 出版社:草思社
  • 装丁:単行本(192ページ)
  • 発売日:2023-11-01
  • ISBN-10:4794226802
  • ISBN-13:978-4794226808
フランスの高校では哲学が必修、バカロレア(大学入学資格試験)では文系理系を問わず哲学の筆記試験が課されます。本書は『フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者』に続く、シリーズ第二弾。60人に及ぶ哲学者に言及しながら、「主体」「文化」「理性と現実」「政治」「道徳」といったテーマを解説するベストセラー教科書です。著者は、哲学の教鞭をとる一方、教科書、参考書のほか、エッセイや小説を多数執筆。テレビやラジオ、映画にも出演し親しまれています。「おわりに」では、「哲学を学ぶことで私たちは幸せになれるのか?」という本質的な疑問に答えます。

哲学は私たちを救ってくれるのか?

哲学は私たちを何から救ってくれるのか。

哲学は私たちを幸せにしてくれるのか。心の痛みを慰め、実存の苦しみを取り除いてくれるのか。神が人を悪から解放するように、哲学は不幸せから人を救うものなのか。

この問いにイエスと答える人がいるからこそ、現在、哲学の人気が高まっているのだろう。ミシェル・オンフレ、リュック・フェリー、ルー・マリノフ、アレクサンドル・ジョリアンといった哲学者の本が書店で成功をおさめているが、その多くは、哲学に実用性や治療的な役割があることを前面に出し、読者の支持を得ている。哲学は今やカウンセリング室となり、苦しむ人間に対して症状に応じてアリストテレスやエピクテトスの言葉や、ヘーゲルやサルトルの思想を処方箋として提供している。


哲学は「生き方」である

確かに哲学は、必ずしも純粋な思索だけではない。エピクロス派(エピキュリアン)である、ストア派(ストイック)であるということは、考え方だけではなく、エピクロス派、もしくはストア派として「生きる」ことである。哲学とは「生き方」だったのである〔原注:ピエール・アド『生き方としての哲学』(小黒和子訳、叢書ウニベルシタス1138、法政大学出版局)〕。そもそも、苦しみに抗う闘い〔原注:苦しみから解放された状態、アタラクシアの追求が哲学の目的である〕はエピクロス派にもストア派にも共通の地平であり、知識を実存として示すことが求められていた。

どうすればもっと良く生きられるのか

哲学者はしばしば自分との向き合い方や、世界の捉え方、要するに「どうすればもっと良く生きられるか」を示してきた。死の恐怖を逃れ(エピクロス)、自己欺瞞によってブレーキをかけることなく(サルトル)、良い人生に到達(アリストテレス)する術を説いてきたのだ。そういう意味では、確かに哲学は「薬」だった。

だが、念のため付け加えておかねばならないことがある。この「薬」は、精神的に健康な人にしか効果がない。要するに、哲学は「ふつうの人」の苦しみ、つまりは医学的な心の病気(うつ病、神経症、精神疾患)に原因があるわけではなく、人間として生きていれば誰もが突き当たる困難だけを扱ってきた。

哲学が解決しようとしてきた「ふつうの人」の抱える苦しみは実に多彩だ。典型や常識に囚われすぎる苦しみ(バシュラール)、群集心理と生きる不安(ニーチェ)、失敗への不安(ドゥルーズ)、狂信への不安(ヴォルテール)、感傷主義(カント)、ストレスや多忙(ルクレティウス)……。

だが、本当に生活に困難を抱え、つらい人生を生きている人に対し、哲学はたいしたことができない。哲学の強みは弱みでもある。哲学はその本質的な性格上、普遍的な事象が対象ではない場合、役に立たない。個別性を配慮しないかたちでしか「薬=解決策」を処方することができないからだ。だが、その個別性にこそ、各人の抱える問題があり、それこそが治療のカギとなる部分なのである。

精神分析医は、各人の苦しみはそれぞれに個別のものであり、あなたの苦しみはあなただけの苦しみだと考えるが、哲学とは苦しんでいる者に対し、苦しんでいるのはあなただけではなく、それは生きる人すべてに普遍的な問題だと説く。

本当の哲学は、薬どころか毒にもなりうる

そしてまた、哲学とは必ずしも心を静めるものではなく、ときに不安をかきたてる。心を慰めるどころか動揺させることもあるのだ。「処方箋的哲学」への熱狂の裏には、もうひとつ、哲学とは世界や他人、自分自身との良好な関係をもつための知恵なのだという考え方が潜んでいる。だが、実際のところ、哲学はしばしば静謐な休息と同じぐらいに、静寂を打ち壊す蛮勇〔原注:Jean-Michel Besnier, Réflexions sur la sagesse, Pommier.(未邦訳)〕を求めてきた。だからこそ、哲学は習慣や偏見の快適さを打ち破る最良の薬でもあるのだ。

つまり、少なからず危険が伴う努力を積み重ね、哲学を学んだところで、本当の哲学は、薬どころか毒にもなりうるものであり、古典を読み、試験で複雑な問題に取り組むうちに、孤独や人間不信、思い上がりや教条主義、憂鬱や狂気に陥る可能性だってある。

毒にも薬にもなる哲学を、デリダは、プラトンの『パイドロス』についての評論で、「パルマコン」と呼んだ〔原注:ジャック・デリダ「プラトンのパルマケイアー」(藤本一勇・立花史・郷原佳以訳『散種』叢書ウニベルシタス 989、法政大学出版局所収)〕。ソクラテスは「パルマコン」をドラッグにたとえていた。「パルマコン」は、パイドロスがもってきたテクストであり、彼はこれを外套の下に隠し持っていた。書かれたテクストは、対話を重視するソクラテスの思想とは対立するものであったが、ソクラテスの哲学に入り込み「治療」することになるものであった。

ここでは、哲学は、事の次第で毒にも薬にもなる「媚薬」だと考えられている。つまりは、使う人の心がまえ次第なのである。魅力あふれる「パルマコン」は、「道を逸脱させる」力、「常識や自然界の法則、習慣から外れさせる」力をもっている(そのテクストはソクラテスを魅了し、これまでなじんだ道から逸れ、共同体の外へと向かわせようとしたのだから)。そこには危険が待つ。

だが、当然のことながら、いつもの道を外れるという実存的な「賭け」がある。デリダは「脱出(エクソード)」まで話を広げているが、では、どこに行くというのか、どんなリスクがあるのか、どんな状態で戻ってくるというのだろう。

使いこなせるかどうかがカギ

もし、哲学が毒にも薬にもならないものだったら、そこに魅力はないだろう。魅力とは、ラテン語のfascinumを語源とし、魅了することであり、呪いをかけることでもある。これまでと違う考え方と出会う魅力と、これまでとは違う常軌を逸した状態に陥る魔力とでも言おうか。要するに、何事もバランスが大事であり、上手に使いこなし、中庸を守ることだ。ただし、アリストテレスが言うように、中庸はまた両極のあいだの頂上でもある。

適量を心得れば、哲学は有効だ。例えば、エピクロスの知恵を少しだけ借りて、人生のちょっとした喜びを味わう。だが、エピキュリアンになりすぎると、行動から遠ざかり、人生をだめにする。

もちろん、薬として使うだけではなく、毒だって少量ならば、ワクチンとして活用できる。ショーペンハウアーのペシミズムは、度がすぎると絶望してしまうが、少量だけなら、幻想や甘ったるい期待から身を護る手段となる。要するに、中毒にならぬ程度に薬も毒も使いこなせるようになればいいのだ。

とはいっても、哲学の場合、医者が処方箋を書くわけでも、服用条件が明示されているわけでもない。哲学はまた自立を学ぶ学校でもある。各人が自分にとっての適量を見極めるしかない。自分を見直し、自分にとって必要なものを見つけるためには、それぞれが、自分にとっての適量を探り、無限に開かれた書物の集大成を起点に一歩を踏み出すしかないのだ。

ニーチェの言ったことを思い出すといいだろう〔原注:ニーチェ「生に対する歴史の功罪」(『反時代的考察第二篇』所収)〕。ニーチェは同時代のドイツの歴史学者たちが過去に執着するのを見て、空疎な知識は人を無気力にさせ、健康を奪うものだと指摘した。その一方、同じように見える知識が人生を硬化させるのではなく、生の充実につながる場合もあると付け加えている。毒だったもの(死んだ知識)が薬(行動と結びつき、人生を豊かにする知恵)になることもあるのだ。

結局、「使いこなせる」かどうかがカギになる。必要な知識の量、自分が「背負う」ことができる量、その服用の仕方を見定めるのだ。哲学の歴史とは、どこの書店でも合法的に入手できる思索の処方全集なのだろう。


[書き手]シャルル・ペパン(Charles Pépin)
1973年、パリ郊外のサン・クルー生まれ。パリ政治学院、HEC(高等商業学校)卒業。哲学の教鞭をとる一方、教科書、参考書のほか、エッセイや小説を多数執筆。映画館で哲学教室を開いたり、テレビやラジオ、映画に出演している。邦訳に『フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者』『幸せな自信の育て方 フランスの高校生が熱狂する「自分を好きになる」授業』などがある。
フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書 / シャルル・ペパン
フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書
  • 著者:シャルル・ペパン
  • 出版社:草思社
  • 装丁:単行本(192ページ)
  • 発売日:2023-11-01
  • ISBN-10:4794226802
  • ISBN-13:978-4794226808

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