前書き

『アイノとアルヴァ アアルト書簡集』(草思社)

  • 2023/10/12
アイノとアルヴァ アアルト書簡集 / ヘイッキ・アアルト=アラネン
アイノとアルヴァ アアルト書簡集
  • 著者:ヘイッキ・アアルト=アラネン
  • 翻訳:上山 美保子
  • 出版社:草思社
  • 装丁:単行本(544ページ)
  • 発売日:2023-10-05
  • ISBN-10:4794226764
  • ISBN-13:978-4794226761
内容紹介:
人間と自然に対する深い理解に基づいたデザインで知られる近代建築の巨匠、アイノとアルヴァ、二人の「アアルト」は、どのようにお互いを信頼しあい、共に歩んできたのか。孫であるヘイッキ・… もっと読む
人間と自然に対する深い理解に基づいたデザインで知られる近代建築の巨匠、アイノとアルヴァ、二人の「アアルト」は、どのようにお互いを信頼しあい、共に歩んできたのか。孫であるヘイッキ・アアルト=アラネンが、これまで多く触れられることのなかったアイノとアルヴァの間の心の交流を、二人の手紙から明らかにします。婚前のアイノの手紙から始まり、パイミオのサナトリウム、マイレア邸などの代表作について二人が交わしたやり取り、アルテックの創設、ヴァルター・グロピウスやモホイ=ナジ、フランク・ロイド・ライトらとの間にあった深い絆、戦争時の行動など、デザイン史・歴史の重要な場面にかかわる手紙も多数収録。二人の生きた姿とともに、20世紀という怒涛の時代が手紙から浮かび上がる、第一級のドキュメントです。
北欧が生んだ建築・デザインの巨匠、アアルト。10月13日からは映画『アアルト』が公開、その人気は日本でも高まり続けています。それは、アアルトの自然を理解し、人間に寄り添うデザインが評価されているのだといえるでしょう。しかし、そんなデザインを生むアイノとアルヴァ、二人の「アアルト」の人間性について知ることのできる資料は、これまで刊行されていませんでした。しかしついに、孫にあたるヘイッキ・アアルト=アラネン 氏が、二人の書簡をまとめた書籍を満を持して出版しました。二人の心のつながりから世界的建築家への成長、そして戦争などの時代の波に翻弄される姿までをおさめた、スペクタクルのような一冊となっています。
今回はその中から、編著者のヘイッキ氏が本書をまとめるに至ったいきさつについて述べた部分を抜粋してお届けします。

夫婦のありのままの姿を描きたい

アルヴァとアイノ・アアルトが共に歩んだ生涯についての本を書きたいと思い続けてきました。私が仕事中心の生活から身を引いたことで、ようやく本格的に取り組めることになりました。
アルヴァ・アアルトのこと、そして、アルヴァが手がけた建築に関する本や記事は無数に出ていますし、今もなお、毎年、世界各国で、新しい著作物が出続けています。2000年代に入ってからは、アイノ・マルシオ=アアルトも評価されるようになりました。ところが、いずれの著作物もアルヴァとアイノ・アアルトの間で育まれた愛情や二人の生涯を伝えるものではありませんでした。
この本では、深い考察や見解を繰り広げるのではなく、ありのままの彼らをお伝えしたいと考えました。そのため、本書は、私たち家族の文書保管庫に保存されていた、第三者に開示することがほとんどなかった個人的な書簡のやりとりを中心にまとめました。書簡を通してアルヴァとアイノの声が聞こえてきますし、生前の祖母アイノに会うことはかないませんでしたが、書簡を介して知ることができました。また、一般的に知られている、後の世に形作られたアルヴァとアイノ・アアルト像の背景に、いったい何があったのかも書簡は伝えてくれています。
この特異な夫婦が共に歩んだ日々や、何に対して辛い思いを抱いていたのかなど、アイノとアルヴァの生の言葉で彼らの日常を知ることができ、文化史的な意味に留まらず、彼らの人物像を知るという意味でも、書簡の公開は意義深いことだと考えています。また、書簡を通して、1949年にアイノが亡くなる前に、彼らがどのような未来を思い描いていたのかも知ることができます。

アアルトハウスの整理

94年の夏の終わり頃から、母とリーヒティエの家の整理を始めました。アルヴァとアイノ・アアルトが、1936年にヘルシンキのムンッキニエミのリーヒティエ20に自宅兼事務所として建てた家のことを、家族の間では「リーヒティエの家」と呼んでいました。現在、アルヴァ・アアルト財団所有となっているこの建物は、一般的に「アルヴァ・アアルト自邸」 、または「アアルトハウス」という名で知られています。
アルヴァ・アアルトの二人目の妻、エリッサ・アアルトが1994年4月に亡くなり、遺産整理がまだ途中でしたが、リーヒティエの家も急いで整理する必要がありました。
アルヴァとアイノ・アアルトは、1930年代からリーヒティエに住んでいました。アイノが亡くなった1949年以降、アルヴァは、1976年に没するまでこの家にエリッサと住み、アルヴァが亡くなると、この家はエリッサが管理しました。つまり、文化史的価値のある財産がこの家にはたくさん残っていたのです。私たちは、残されていたものすべてをアルヴァ・アアルト財団と共に確認しながら、所有者と、管理方法、ここに残すことができるもの、運び出すべきものを考えなければなりませんでした。
数年後、すっかり空になった家の所有権を、アルヴァ・アアルト財団が確保できる、とフィンランド教育文化省とヘルシンキ市の間で合意しました。

1994年、この家に残されていた家財の確認作業をしたときは、まだこの家が将来どうなるかはっきりとしていませんでした。あまたある古い家の屋根裏と同様、この家の屋根裏にもありとあらゆる古いものが残されてました。残された多くのものの中には、昔の船会社のステッカーや印が押された古い旅行かばんがほこりをかぶった状態で見つかりました。古い旅行かばんは、アルヴァやアイノとともに世界中を旅をしたものにまず間違いありません。その中身は、何十年もの間、誰の目にも触れていなかったのでしょう。旅行かばんを開けてみると、アルヴァの描いた水彩画やスケッチが入っていました。その他、A3サイズの茶色の厚紙でできたファイルが紐で縛った状態で出てきて、中には古いスケッチが挟んでありました。
母がファイルの一つを開け、中身を確認し始めました。息をのむ音が聞こえたので、いったい何が出てきたのかと見に行ってみました。ファイルには、彼女の母、つまりアイノの1949年1月の死の床の様子を鉛筆で描いた絵が入っていたのです。母は、ただ、黙って、一枚一枚じっと絵を眺め、その目には涙が浮かび始めていました。アルヴァの繊細な鉛筆の運びと線で描いたスケッチは、二十枚ほどありました。スケッチを見ていると、アルヴァが、人生の伴侶であり、仕事仲間、そして、自分を支え、最も信頼を置いた批評家でもあったアイノの死を受け入れることができぬまま、死の床の傍らにいたのだろうことを容易に感じとることができます。おそらく、太い線を描き出せる鉛筆を自然にその手に握り、これまでと同じようにアイノの絵を描き始めたのでしょう。ただ、この絵を描いていたときは、アイノがまた再び息を吹き返すよう、あるいは、アイノの記憶をすべて記憶に留めるようなつもりでいたのではないでしょうか。


自分にとってのアイノとアルヴァ

リーヒティエの家のリビングにあるグランドピアノの上に置かれていた写真から受けた私のアイノに対する印象は、穏やかで落ち着いた女性、というものでした。写真のそばには、花を挿したアアルトベースがよく置かれていたものです。家族がリーヒティエの家に集っても、アイノについて話をすることはありませんでした。アイノの写真が目の前にあっても、です。子どもの頃、祝日には、定期的に親族がアアルトおじい様のもとに集まりましたが、アイノの話題に触れることはけっしてありませんでした。最初は私自身がとても幼かったため、アアルトおじい様の妻のエリッサが自分のおばあ様ではなく、本当のおばあ様は、グランドピアノに置いてある写真の人だ、ということをよくわかっていませんでした。しかし、物事を理解できるようになってから、祖母の話を聞きたいと思っても、アイノのことが語られることはありませんでした。母もおばあ様の話はしてくれず、数年前まで沈黙を守っていました。
それでも、ここ最近、リーヒティエの家へ行くと、この家はアイノの家なのだと感じます。リーヒティエの家で、アイノとアルヴァが共に取り組んだ世界に親しめば親しむほど、アイノの存在をより一層強く感じるようになりました。マイレア邸の設計や戦後フィンランドの困難な復興計画に、アイノとアルヴァが事務所で共に熟考していたのだ、ということを容易に感じとることができます。一方、アルヴァが米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授職に赴き、アイノが一人で過ごした夜には、グランドピアノの前に座っていたであろうことも想像することができます。最近、建物の設計や内装の工夫にアイノが深く関わっていたことをより実感するようになりました。
私にとってアイノは、アイノです。他の呼び方は思いつきません。祖母に実際に呼びかけるとすれば、おばあ様、おばあちゃん、それとも別の呼び方をしたのか、想像がつきません。

[書き手]ヘイッキ・アアルト=アラネン
アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルトの孫。母親がアアルト夫妻の長女にあたる。アルヴァ・アアルト財団副会長、アルテック社役員、アルヴァ・アアルト・アカデミー役員。
アイノとアルヴァ アアルト書簡集 / ヘイッキ・アアルト=アラネン
アイノとアルヴァ アアルト書簡集
  • 著者:ヘイッキ・アアルト=アラネン
  • 翻訳:上山 美保子
  • 出版社:草思社
  • 装丁:単行本(544ページ)
  • 発売日:2023-10-05
  • ISBN-10:4794226764
  • ISBN-13:978-4794226761
内容紹介:
人間と自然に対する深い理解に基づいたデザインで知られる近代建築の巨匠、アイノとアルヴァ、二人の「アアルト」は、どのようにお互いを信頼しあい、共に歩んできたのか。孫であるヘイッキ・… もっと読む
人間と自然に対する深い理解に基づいたデザインで知られる近代建築の巨匠、アイノとアルヴァ、二人の「アアルト」は、どのようにお互いを信頼しあい、共に歩んできたのか。孫であるヘイッキ・アアルト=アラネンが、これまで多く触れられることのなかったアイノとアルヴァの間の心の交流を、二人の手紙から明らかにします。婚前のアイノの手紙から始まり、パイミオのサナトリウム、マイレア邸などの代表作について二人が交わしたやり取り、アルテックの創設、ヴァルター・グロピウスやモホイ=ナジ、フランク・ロイド・ライトらとの間にあった深い絆、戦争時の行動など、デザイン史・歴史の重要な場面にかかわる手紙も多数収録。二人の生きた姿とともに、20世紀という怒涛の時代が手紙から浮かび上がる、第一級のドキュメントです。

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