複雑すぎる世界を読み解く軸を与えてくれる
本書『世界の本当の仕組み』は、カナダのマニトバ大学特別栄誉教授バーツラフ・シュミルの「How the World Really Works: A Scientist’s Guide to Our Past, Present, and Future」の全訳だ。通読すると、著者がどれだけデータを重視し、幅広く追い求めているか、その徹底ぶりに感心させられる。そして、その背景として、著者自身を含めてどれほど多くの方々や、組織・機関が地道な調査・分析を営々と続けているかを想像すると頭が下がる。それにしても、本書の翻訳の過程は発見の連続だった。ページをめくるたびに、まったく知らなかったこと、漠然としか知らなかったこと、勝手に間違って思い込んでいたことなどが、次々に明らかになっていった。トリビア好きやクイズ好き、統計好きの人には垂涎(すいぜん)の1冊となるかもしれず、もちろんそのように本書を楽しんでもらっていいのだが、著者の狙いは別にある。
なぜ本書が必要なのか? ありていに言えば、私たちが無知だからであり、事実がないがしろにされているからだ。といっても、それは私たちが昔と比べて特段愚かになったからではない。世の中は複雑になる一方であり、情報量が爆発的に増加し続けて人間の頭の容量をはるかに超えてしまっていること、都市化や機械化が進んでいるせいで、多くの人が食料や素材、製品、エネルギーの生産現場から切り離されていること、専門化やブラックボックス化が加速して、ほとんどの物事の仕組を知らなくても、生活できてしまっていることなど、さまざまな要因が考えられる。
世界を知る7つのキーワード
現状に問題がなければ、無知でもかまわないのかもしれないが、生活や社会、人類、さらには生物圏全体までもが存続を脅かされているとしたら、そうも言ってはいられない。そして、実際、状況は厳しい。知識が足りない人や事実を誤認あるいは無視している人が公共政策を決めたり、公共政策に影響を及ぼしたりしていたら危ういし、一般大衆も知識不足だったり、事実を軽視したりしていたら、誤った言説を鵜呑みにしやすくなる。したがって、基本的な現実を知り、認めることが不可欠だ。だが、先ほど述べたように、世の中は複雑化して情報量も事実も増えているから、とてもすべてに目を向けることはできない。そこで本書では、現代社会が抱える重大な問題に的を絞っている。そして、その核を成すのが、地球温暖化とその主要な原因である化石燃料の消費だ。
第1章から第3章までは、「エネルギー」と「食料」と「素材」の観点からこの問題に迫る。電子化やバーチャル化が目覚ましい今日でも、私たちの文明は物質に依存しており、その依存を支えているのが化石炭素であること、したがって、簡単に脱炭素化ができないことがそこでは示される。
第4章、第6章、第7章は、近年のキーワードとなっている「グローバル化」「地球温暖化」「シンギュラリティ」といった現象に着目しながら、歴史の流れの中での事実の捉えられ方や対策の講じられ方を振り返る。
間に挟まった第5章では、さまざまな「リスク」を、曝露時間当たりの死亡率という共通尺度を使って比べ、リスクは往々にして過小評価や過大評価されていることを明らかにする。今後もリスクはなくならないが、リスクを正しく認識すれば現実離れした恐れや安心が減り、対策の重点の置き方も適切になりうる。
「私は悲観主義者でも楽観主義者でもなく、科学者だ」
これだけ事実を大切にする著者だから、調べれば簡単にわかる事実さえ無視されたり捻じ曲げられたりし、準備や対応が見当違いだったり後手に回ったりする現状には、どれほどもどかしさを感じていることか。本書も指摘しているとおり、2019年に始まった新型コロナウイルスのパンデミックは、この現状を浮き彫りにしてくれた。著者は、新たなパンデミックの発生を2008年の著書で予想し、時期まで的中させていたのだから、さぞ無念だっただろう。したがって、無策の人、事実に逆行するような主張あるいは行動をする人々に対しては、著者は手厳しい。本書のところどころで、実名を挙げながら歯に衣着せぬ批判をしている。だが著者の提唱する事実依拠の姿勢の重要性は、本書で取り上げたテーマに限られない。著者は事実がますますないがしろにされ、社会が分断され、話し合いさえ成り立たなくなってきている昨今の風潮全般にも強い懸念を抱いているのだろう――噓が横行し、フェイクニュースや陰謀論を信じ込み、意見の合わない人を敵視して会話を行なうことさえできないような風潮にも。それを踏まえて読むと、本書はなおさら意義が深まり、いっそう示唆に富む作品となる。著者の言うとおり、「民主的な社会では、考えや提案の優劣を決める議論は、当事者全員が現実の世界にまつわる有意義な情報を多少なりとも共有していないかぎり、道理に適った形では進まない。誰もが自分の偏った見方を持ち出し、物理的可能性からかけ離れた主張を繰り広げるだけでは駄目なのだ」から。
著者は「私は悲観主義者でも楽観主義者でもなく、科学者だ」と言う。その著者の目から見た私たちの未来は、地球温暖化などによってこの世が破滅を迎えるアポカリプスの筋書きと、テクノロジーの飛躍的進歩によってすべての問題が解決されるシンギュラリティの筋書きという両極端に間にある。そして、「未来は相変わらず、既定のものではない。その成り行きは、私たちの行動次第なのだ」という言葉で本書は締めくくられる。事実を重視する著者の意見だから、心強いと同時に、否応なく大変な責任を感じさせられる。言うは易く行うは難しだし、正論や事実が通るとはかぎらないのも世の常とはいえ、本書がぜひ現状に一石を投ずることになってほしいものだ。
[書き手]
柴田裕之(しばた・やすし)
翻訳家。訳書に、ハラリ『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『21 Lessons』(以上、河出書房新社)、リフキン『レジリエンスの時代』(集英社)、リフキン『限界費用ゼロ社会』(NHK出版)、コルカー『統合失調症の一族』(早川書房)、ファーガソン『大惨事(カタストロフィ)の人類史』(東洋経済新報社)、エストライク『あなたが消された未来』(みすず書房)、ケーガン『「死」とは何か』(文響社)、ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』、ベジャン『流れとかたち』(以上、紀伊國屋書店)などがある。