言語間の水平移動ではすまされない現実
翻訳とは二言語間の「等価性の交換」だという認識が一般にある。Aという言語のテクストをBという言語に水平に移し替える。A=Bなら、これを訳し戻したらB=Aになるはずだが、そうはいかない。
『吾輩は猫である』の英題はI am a Catだけれど、これだけを見て『吾輩は猫である』と訳すことは事実上不可能だ。
こんな翻訳の等価性の“ウソ”をユーモラスおよび皮肉な形で示したのが、マーク・トウェインだった。自作『キャラヴェラス郡の悪名高き跳び蛙』の三バージョンを収めた本を編んで出版したのだ。一つは原文、一つは仏語訳(これがちっともおかしくない)、もう一つはそれを英語に再訳した「逆翻訳」。訳し戻された『跳び蛙』は原文とは別物になっており、翻訳の等価性神話が痛快なまでに覆されていく。
こうしたエピソードを交えて翻訳の本質を論じているのが、アンナ・アスラニアンの『生と死を分ける翻訳 聖書から機械翻訳まで』である。
米ニクソン副大統領とソ連フルシチョフ首相との熾烈な「言葉の殴り合い」となった会談で、両者の諺合戦を通訳はいかに訳したか? 一歩間違えば争いに発展しかねない緊張の場だ。通訳が発話者の言葉を訳す際には「彼女は~、彼は~」ではなく「私は~」という一人称を使うのがセオリーだが、これにより通訳が発話者本人と混同されることがある。とくに罵倒などを訳すと、通訳に怒りだす人たちもいる。
この種のトラブルはローワン・アトキンソン主演の英国コメディドラマ「ブラックアダー」で痛烈に描かれているという。スペインの王女が通訳を使ってイギリスの王子に言い寄ろうとし、通訳が「私が王女です」と伝えると、王子は「えっ、ヒゲがあるなんて聞いてないぞ」と応じる。
滑稽な一幕に見えて、じつは通訳・翻訳者のオーソリティという問題を深く照らしだしている。翻訳者は原話・原文と訳文の差異とどう向い、どのようにコントロールするのか。
チェコ文学者による『翻訳とパラテクスト』は、翻訳の不等価性、不均衡性を掘りさげた稀有な研究書だ。翻訳とは二言語間の水平移動ではない。本書の引用によれば、「[翻訳は]きわめて大雑把だが、<上>か<下>のどちらかへなされる」ものだ。その上下には文化だけでなく、言語のヘゲモニーや経済力も関わってくるだろう。文化資本が著しく異なる言語間での翻訳では、その勾配は急角度になる。
本書は、十九世紀前半に活動した翻訳家のユングマン、二十世紀前葉のユダヤ系翻訳家でカフカの『城』のチェコ語訳なども手がけたアイスネル、二十世紀後半の作家クンデラの仕事をパラテクストという視点からつぶさに分析する。
チェコでは十九世紀初頭までには、原文の意を汲みつつ加筆や補遺を盛んに行う古典主義の翻訳法と、原文の句読点一つ忽(ゆるが)せにしない忠実なロマン派の翻訳法がせめぎ合っていたようだ。ユングマンはシャトーブリアンの『アタラ』の原文から宗教色を排した訳し方をしたり、新しい表現を生みだして、自分の新語に注釈というパラテクストを付けたりした。さらに自ら辞書を作ってこの新語を定着させてしまうという超翻訳者でもあった。
アイスネルはアンソロジストでもあった。チェコを代表する三人の詩人のなかにヴルフリツキーというあまり知られていなかった詩人を入れた点に阿部は注目する。その理由の解明はアイスネルが「添え書」として付けたパラテクストによってなされる。スラブの性向とラテン―ゲルマンの影響を見事に融合し、「小さな民族の域内に留まっていたチェコ文学」を解放した故の評価だった。
このように翻訳と言語開発や研究はときに急接近し近接する。アイスネルは民族と男女の共生を目指した『恋人たち』という文学評論の書を早くも一九三〇年に出し、翻訳不可能性への絶望を究めたのち「文芸翻訳における自由訳の重要性」を説いた。
冷戦下にチェコからフランスへ亡命し創作言語を仏語に切り替えたクンデラは、翻訳の非水平性、すなわち言語や書籍の流通・波及の極端な不均衡をくぐり抜けた作家だ。
フランスで豊かな言語環境と読者を手にする一方、一時期はチェコ語読者を失い、「翻訳がすべて」だという状況に陥る。その作家人生には、自ら翻訳を手がけ、自作をチェコ語から訳され、自作を解説し、また仏語からチェコ語に翻訳されるという四つのフェイズがあった。
「原作なしに翻訳だけで作品は完全に理解できる」というクンデラの断言に私は驚いたことがあったが、その背景にはこうしたパラテクストがあったのだ。