前書き

『矛盾と創造 自らの問いを解くための方法論』(祥伝社)

  • 2023/05/09
矛盾と創造 自らの問いを解くための方法論 / 小坂井 敏晶
矛盾と創造 自らの問いを解くための方法論
  • 著者:小坂井 敏晶
  • 出版社:祥伝社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(424ページ)
  • 発売日:2023-05-01
  • ISBN-10:4396618069
  • ISBN-13:978-4396618063
内容紹介:
人間と社会を深い洞察で解き明かしてきた著者が、
パリ第八大学でフランスの学生に説いてきた
知のあり方、方法論。
多様な分野の知見を一緒にした時、隠れていた矛盾が露呈する。見過ごしてきた問いに気づく。その矛盾の解き方を先達からどう学び、どう活用するか。

格差・責任・民族…近代の袋小路に挑み続ける著者が、パリ第八大学でフランスの学生に説いてきた知のあり方、方法論とは。『矛盾と創造――自らの問いを解くための方法論』から「まえがき」を公開する。

矛盾の解き方を先達からどう学び、どう活用するか

考えるヒントを求める人々、特に学生や若い研究者に向けて本書を構想した。前著『答えのない世界を生きる』は学問論であり、その考えに至った私の半生を描く構成だった。本書は今までに上梓した『責任という虚構』から『人が人を裁くということ』『神の亡霊 近代という物語』を経て『格差という虚構』に至るまでの執筆経緯を分析する。矛盾の解き方を先達からどう学び、どう活用したのか。

文献収集や調査の方法、論文の書き方、斬新なテーマを見つけるコツなど研究の手引がたくさん出版されている。それらはプロになるための手ほどきだ。本書の狙いは違う。技術やノウハウの前に学ぶべき、もっと根本的なことがある。パリ第八大学でフランスの学生に説いてきた知のあり方であり、方法論である。

『社会心理学講義』も方法論だったが、本書は社会科学全般に視野を広げるとともに矛盾の一般的解法に焦点を絞った。また前者は内容に重心を置いたが、本書は形式に注目し、より抽象的次元での解法を目指す。

本書の主張は次の三点に要約できる。

①矛盾を妥協的に解消せず、背後に隠れる根本的な問題と対峙しなければならない。その際、思考の型が役立つ。分野を横断して共通する型を学ぼう。

②対象を見る側が変わらなければ、問いも答えも視野に入らない。それは頭だけでできる作業でなく、心と身体を懸ける闘いである。

③創造、創造と巷がやかましい。どうしたら独創的な仕事ができるかという問いは出発点からしてすでに的外れだ。斬新な研究テーマやアプローチを求める者は他人と比べている。そこがそもそも独創的でない。科学者にとっても思想家にとっても芸術家にとっても本当に大切なのは自分自身と向き合うことであり、その困難を自覚することだ。創造性の呪縛から解放されよう。

独創的な研究を目指す者は、自分の見つけた問いや答えが他の人によってすでに発表されていると、がっかりする。だが、それはおかしい。答えを他の人が提示していないかと私もまず本や論文を読み漁る。自分のアプローチの斬新さを確認するためではない。他人の頭を使って解決できるならば、私が答えを見つける必要などない。カントやウィトゲンシュタインのような難解な本も、読むのは同じ内容を自分で書くよりはるかに易しい。だが、誰も満足な答えを教えてくれないから、仕方なしに自分で考えるのである。

本書は大学院生に向けた高度な研究手引ではない。具体的材料や表現は段階に合わせる必要があるが、三つの主張はどれも子ども時代に学ぶべき基礎である。

本書の構成を簡単に示す。

天文学と影響理論の変遷を題材に第一章で巨匠の思考法に注目する。アリストテレスからコペルニクス・ケプラー・ニュートンを経てアインシュタインにつながる天文学の系譜を眺めよう。独創的な理論を発表しようなどと彼らは考えなかった。先達の理論の不備を敏感に嗅ぎ取り、より完全な理論に仕上げようとしただけだ。社会心理学で影響理論を練り上げた巨匠も同様である。フランスのガブリエル・タルドとギュスターヴ・ル・ボンの暗示理論への反発、そして二〇世紀前半を席巻した行動主義心理学への批判をかわきりに、トルコ出身のムザファ・シェリフ、米国のソロモン・アッシュ、フランスのセルジュ・モスコヴィッシという流れの中、前任者の仕事の欠陥を乗り越える努力が新理論を生み出してきた。

第二章では同一性と変化をテーマに分野を超えて共通する型を析出する。同一性と変化はとてもむずかしい概念である。同一性つまり、あるものがそれ自身であるとは、どういうことか。変化したのに同一性を保つとは、どういう意味か。最初のものと変化後のものは、どういう関係にあるのか。変化すれば、同じでありえないし、同じままなら変化しえない。この矛盾をどう解くか。社会科学者の奮闘を垣間見よう。

そして第三章で拙著を解題し、巨匠に学んだ軌跡を辿る。今まで発表した主体虚構論の舞台裏に光を当てよう。最初から暗黙に漂っていた結論が次第に言語化されて発展してゆく過程を示したい。すでに上梓した各書では読者の説得を意識して構成した。対するに、本書は私が考えた推移がわかるように組み立てた。

本当に大事なのは技術やコツでない。頭だけで学問はできない。腸(はらわた)を刻む実存の闘いだ。私はモスコヴィッシの薫陶を受けた。彼の自伝を頼りに第四章で思想家の本質を探ろう。学問の背景には人生がある。テーマ選択の仕方にもそれは表れるし、自らとの対決から噴出する疑問と答えを昇華した文章の行間には著者が悩んだ軌跡がある。

モスコヴィッシの苦悩をみた後、第五章で私の躊躇を分析する。目前にぶらさがる結論が感情に妨げられて視野から隠される。対象を見ているだけでは解決はもたらされない。解釈枠つまり研究者の精神が変化しなければ、答えを掴めないどころか、問いさえ視界に入らない。

第六章では規範論の意味を考える。社会問題を扱う本はほとんどが規範論だ。何が問題で、どうすれば解決するかを探る。私のアプローチは違う。人間はどう生きているのか、社会はどう機能するのかを記述するだけだ。なぜ私は規範論を厭うのか。規範論の本当の機能は何なのか。

終章では今までの仕事の欠陥を反省し、残された時間でやるべきことを模索する。成就できるかどうかはわからない。だが、進む方向に迷いはない。人間を理解するとは何を意味するのか。社会科学の限界を見極めよう。

すでに発表した材料が本書にはたくさん出てくる。私の思考形式の分析であり、いつも同じ型に貫かれている事実を示すのが目的だから、それは仕方ない。私は新しいことを何一つ書いてこなかった。すでによく知られた材料を再吟味しただけだ。だが、多様な分野の知見を一緒にした時、隠れていた矛盾が露呈する。見過ごしてきた問いに気づく。その際に型が果たす役割の分析が本書の仕事である。

学習の本質は冗長性にある。情報をつまみ食いする悪癖を捨て、情報の背後にある世界観と認識論を掴もう。そのためには同じことを何度も考え直さねばならない。すでに発表した私論を読み返しながら、私自身が多くを学んだ。意外なところに疑問が現れ、以前に解けなかった問題の答えが見つかった。違う文脈に置かれると同じ材料が新たな光に照らされる。今までに上梓した拙著を難しいと感じた読者は執筆の舞台裏を知り、異なる角度から再検討されたい。

[書き手]小坂井敏晶
矛盾と創造 自らの問いを解くための方法論 / 小坂井 敏晶
矛盾と創造 自らの問いを解くための方法論
  • 著者:小坂井 敏晶
  • 出版社:祥伝社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(424ページ)
  • 発売日:2023-05-01
  • ISBN-10:4396618069
  • ISBN-13:978-4396618063
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人間と社会を深い洞察で解き明かしてきた著者が、
パリ第八大学でフランスの学生に説いてきた
知のあり方、方法論。

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