正常な読み方なんてない
いま世界では、「多様性(ダイバーシティ)」という言葉が、健全な未来を築くにあたってのキーワードとして盛んに用いられている。人種、国籍、性別、文化、信仰といったものの違いを尊重して、集団のなかに異なる属性の人々を包摂するという概念だ。そして、いままでは障害とみなされてきた脳や神経(ニューロ)の特性をその人の個性として受け入れようとする考え方が、「ニューロダイバーシティ」と呼ばれている。本書は、ニューロダイバーシティに深く関わる行為としての「読字」、つまり、文字を読む行為に着目したユニークな作品だ。世の中には、主に教育現場で〝正しい〟とされている読み方に困難を感じている人々が大勢いるそうだ。たとえば、本書でも数多くの体験談が紹介されているディスレクシア(難読症)。日本では「読み書き障害」「識字障害」といった言葉で、読み書きを覚えられない子どもたちの学習障害として広く認知されるようになった。本書では、読字の歴史をふりかえりながら、文字を読めない人が不当に貶められていた時代に、読めるふりをしながら生きてきた人々や、周囲の無理解のせいで苦難の道を歩んできた人々の姿が紹介されている。ディスレクシアのほかにも、主に自閉症と関連づけられるハイパーレクシア(過読症)、文字に色がついて見える共感覚、実際には存在しないものが見えてしまう幻覚が原因で、〝正しい〟読み方ができない人々が登場する。本書の原題でもある「リーダーズ・ブロック Reader’s Block」が、読字プロセスを阻む障壁を意味する言葉として用いられている。
とはいっても、子どものころからすらすらと文字を読んできた人や、読書を趣味や生きる糧にしている人、情報収集のために速読を常としている人たちには、ディスレクシアの人々が直面している苦労はどこか他人事に思えるのではないだろうか。本書の真骨頂は実はその先にあって、識字能力が簡単に失われてしまう現実にも多くの頁が割かれている。その最たる例が、アレクシア(失読症)や認知症だ。昨日まで読めていた人が突然読めなくなったり、本を片時も手放したことがない人が少しずつ読めなくなったりする。その衝撃、悲嘆、絶望、喪失感は察するに余りあるのだが、本書では、新たな読み方を見つける人々や、識字能力を失っていく人ができるだけ長く「読者」でいられるように支援する人々の姿も紹介されている。
そうした人々の姿を通して、著者のマシュー・ルベリーはこう訴える―世の中で〝正しい〟とされてきた読み方にこだわることはない。好きなように文字を追ってもかまわない。オーディオブックを聞くのだって立派な読書だ。さらに言えば、大好きな本を手に取り、紙の感触を確かめながら頁をめくり、本を五感で味わうことだって、「読書」と呼べるのではないだろうか?
つまりそれは、文字を読む行為にも多様性を認めようという主張であり、「あなたはあなたのやり方で読めばいい」という著者からのエールでもあるのだ。ぜひとも、ご一読を。
[書き手]片桐晶(翻訳家)