中世ヨーロッパで武人として生きる
「騎士」と聞くとなにを思い浮かべるだろう。騎士は何百年も前の遠いヨーロッパに存在した肩書きだが、それにもかかわらず、書籍、漫画、ゲームをはじめとする日本のエンターテインメントの世界では、かなり馴染みのある存在である。
剣を岩から引き抜いて偉大なる王となったアーサー王と、禁断の恋や聖杯探しで知られる12人の円卓の騎士たちの物語群は、中世ヨーロッパで広く知られていた。そうした伝説に描かれているのは魔法使いや妖精やドラゴンが存在する世界で、夢とロマンに満ち満ちている。だが、本書の冒頭でばっさり切り捨てられているように、アーサー王はジェフリー・オブ・モンマスが書いた『ブリタニア列王史』に出てくる架空の王、そして円卓の騎士たちはその後の作家たちが作り上げた魅力あふれるたくさんの空想物語のキャラクターでしかない。見事なまでに人を惹きつけはしても、純粋に文学の世界の騎士たちだ。
そんな夢物語とは異なり、本書で言う「騎士」は、戦があれば(場合によってはなくても)主君のもとへと馳せ参じる中世ヨーロッパの生身の武人たちである。ここでは、アーサー王伝説とは対照的に、実在した人物をもとに騎士の本当の姿が描かれている。
騎士になりたい若者向けの非公式マニュアルというスタイルをとる本書は、1300~1415年の「最新」情報をもとに、15世紀初頭に執筆されたことを装う歴史書である。訓練、儀式、装備、戦術、そして戦争ビジネスにいたるまで、ときに小ネタをはさみながら、騎士の実生活を余すところなく解き明かしている。言うなれば、中世の軍人の解説書だ。
とはいえ、なにより大事なものは騎士道精神と武勇だと言われても、騎士とて人間である。おそらく理想と現実のはざまで悩み、仕事をして出世を望み、資金繰りを考え、女性関係で気を揉み、もしかすると中間管理職の悲哀のようなものまであったかもしれないなどと思ってしまうのは訳者だけだろうか。
一方、本書で時折引用されているジェフリー・チョーサーの詩で、中世文学の傑作のひとつ『カンタベリー物語』はフィクションである。この作品は、イングランドのカンタベリー大聖堂をめざす巡礼の旅人たちが、宿屋でひとりずつ自分の知っている話を披露するという設定で展開し、本書に登場する「騎士」、「騎士見習い」、「郷士」の話もそのひとつである。『カンタベリー物語』は1387~1400年に執筆されたと言われており、本書でカバーされている時代とほぼ一致する。
本書の原題にあるように、騎士は英語でナイト(Knight)だ。もちろんそれは中世の戦士の称号だが、実は英国には現在もナイトの爵位がある。そちらは一代限りの世襲されない称号で、国の功労者などに授けられるものである。授与式では、ナイトに叙される者がひざまずき、国王あるいは女王が右、左の順にその者の肩を剣で触れる。中世の慣習が今でも英国に残っているところが興味深い。また、ナイトになると名前の前に「サー(Sir)」をつけて呼ばれるようにもなる。たとえば、ポール・マッカートニーならサー・ポールという具合で、これも中世の騎士と同じである。さらに、エドワード3世が創設したガーター勲章はなおも英国の最高勲章として、国家元首や王族などに贈られている。歴史は確かにつながっているのだ。
[書き手]大槻敦子(翻訳者)