身のまわりの鋳造製品
人間は、古代からいろいろな材料を加工してさまざまな道具をつくり、生活環境を向上させてきました。道具を製作する技術のなかで、現代の工業製品にまで発展したものに「鋳造」があります。鋳造とは、型に熔かした金属を流して製品をつくることで、「鋳(い)る」ともいいます。鋳造では自動車のエンジンなどの金属部品がつくられています。型でつくるプラスチックやガラス製品なども鋳造品の仲間です。私たちは鋳造品に囲まれて暮らしています。銅に錫や鉛を混ぜた青銅は、表面の緑青錆が緻密で空気を遮断するため、内部は腐食せず製作時そのままの形で残ります。鋳造品は、日本だけでなく世界の各地で、古代から現代にいたるまで製作されました。そのため鋳造物を読み解くことで、人類の歴史を読み解くこともできます。
日本の各地でみられる「江戸大仏」
こうした鋳造物の一つに「江戸大仏」があります。「江戸大仏」は筆者らの造語で、「民衆信仰の対象として江戸時代に鋳造された大型銅造仏群」のこと。東は岩手県、西は香川県の1都17県に48体が現存します。大火、廃仏毀釈、大地震、戦時中の金属供出など数々の困難により亡失したことが確認できるものもあり、江戸時代につくられた大仏の総数は不明です。このたび『江戸大仏』という書籍を刊行しました。江戸時代の1660年から1855年頃までの約200年間に各地でつくられた48体の青銅大型仏を、美術史、産業史、技術史などの専門家が23年かけて現地調査・研究し集大成した研究書です。一番古いものは九品寺大仏(1660年製作)、最大のものでは弥谷寺金剛拳菩薩立像(1811年製作、約5.5メートル)などです。『江戸大仏』では様々な分野の専門家がその成果を発表しておりますが、本コラムでは私の専門である鋳造技術の観点にしぼって、江戸大仏の魅力をご紹介します。
現代人の想像を超える古代技術
筆者は、美術大学で鋳造技術を学び、彫刻や工芸作品を夢中になって製作していました。その後、以前から気になっていた4千年前の中国古代青銅器の技術研究を始め、中国、韓国、台湾、インド、カザフスタン、日本でさまざまな時代の青銅製品の鋳造技術を、鋳造技術者の眼で調査し考古学者と共同で研究してきました。わたしの研究対象は全世界にのこる青銅品の鋳造技術の解明であり、その技術を人類の歴史に位置づけることです。人類は古代から現代まで進歩を続け、現代の我々がその進歩の頂点にいるにちがいない。だから、古代技術は簡単に解明できるだろう――当初はこのように安易に考えていましたが、大きな間違いでした。学んで熟達したと思っていた私の鋳造技術と、古代技術との質量の差は、ピンポン玉とバスケットボールほどもあると、実感するようになりました。多くの古代鋳造技術が未解明のままなのです。
じつは、江戸大仏がどのように製作されたのか、本書が刊行されるまで、ほとんど解明できていませんでした。この江戸大仏の技術を解明するうえで、重要となる「鋳接法と分鋳法」を知る必要があります。
3千年間続いた古代の溶接法
鋳造技術の歴史からみると、鋳造物は、1回の鋳造でつくることからはじまりました。ただ1回の鋳造では限界があり、小さく単純な形の製品に限定されます。やがて複雑化、巨大化の必要に応じて、複数回に分けて部品を鋳造しそれらをつないで組み立てる合理的な方法が始まります。
古代に青銅製品を複雑かつ、巨大につくるために考えたのが、部品をつなぐ古代の溶接法(鋳接法と分鋳法)でした。これは3千年以上前の青銅器でもすでに用いられています。ピンポイントで金属を溶かしながら溶着する近代以降の溶接と似ているのですが、当時はピンポイントで青銅を溶かす科学技術は無く、知恵と工夫で溶接に負けない強度で部品をつなぐことに成功しました。
2千年以上前の古代ギリシャの巨大な青銅像、中国三星堆遺跡の巨大な立人像や神樹、そして日本では奈良の大仏や鎌倉大仏など、私たちになじみの深い歴史的な鋳造物は「鋳接法や分鋳法」などで部品をつなぎ複雑化、巨大化に成功しました。江戸大仏はこれらの技法で部品をつないでおり、同じ巨大青銅像のグループになります。
奈良時代以前につくられた京都府木津川市にある国宝蟹満寺釈迦如来座像という仏像があります。この像は座高約2.5メートルの巨大青銅仏ですが、わたしたちはかつての研究で、1回の鋳造でつくっていることをつきとめました。部品をつないでつくる巨大像とは異なり1回の鋳造でつくる像の一群もあり、全容を解明するにはまだまだ多くの研究が必要です。
江戸大仏研究ではじまる巨大像の解明
江戸大仏の体部には筆頭製作者(鋳物師・冶工など)の居住地と氏名、製作年などが刻まれています。これを詳細に読み解くと、江戸神田に住む鋳物師の名前を記した大仏が群馬県、長野県、福島県、埼玉県、千葉県に広がり、さらには大阪に住む冶工の名前を記した大仏が岡山県にみられます。巨大な江戸大仏は組み立てると重量は2トンを超え、完成した大仏を陸路で運ぶことは困難です。熟練した工人集団が集結する地域で部品に小分けして鋳造し、現地に納品し、そこで組み立てたと考えられます。全国に大仏が広がった背景には、こうした合理化があったのです。長い歴史を紐解くと、部品ごとに鋳造する「合理化」は、自然な流れであることがわかります。本書『江戸大仏』では、江戸時代の1660年から1855年頃までの約200年間につくられた48体の詳細な技術と像の造形、鋳物師名などとの対照によって、時期ごとの部品の分割の方法、鋳接法・分鋳法の使用別、大きさの変化、衣文の特徴、鋳物師ごとの技術特徴など、200年間の変遷が解明すると思われます。
本書『江戸大仏』の特徴として、3次元レーザー計測などを駆使して、最新の手法で正確な全長などの基礎データを提供しました。さらに奇跡的に現存が確認された、鋳型を作成するための木造原型像2体とそれをもとに鋳造した大仏の3Dデータを重ね合わせて、それぞれの形を比較しました。
また普段は決して見ることのできない大仏の像内に入り、調査・撮影しました。
こうした調査の結果、木造原型像から複数の部品を鋳造して組み立てる方法が合理的なことや、そのつなぎ方が緻密で強固なこと、量産方式であったことなどがわかり、どれも想像以上の技術で感心の連続でした。そして何よりも、像内調査では当時の作業現場の工人の姿が目に浮かび、おなじ鋳造技術者としてワクワクしました。
また、江戸大仏は古代ギリシャ、古代中国の大型像技術と同じ鋳接法や分鋳法などでつくられたことは先述の通りです。両者を比較・検討することで地域や時代を超える技術的な特徴がさらに浮き彫りになることが期待されます。
江戸大仏研究は本書により本格的にスタートしました。と同時に、江戸大仏の「鋳接法・分鋳法」の具体的な製法が解明できたことが起点となって、世界の大型青銅像研究が進展すると思われます。
[書き手]
三船 温尚(みふね はるひさ)
富山大学名誉教授。鋳造技術史。
〔主な著作〕
『江戸大仏』(共編、2024年、八木書店)
『国宝 蟹満寺釈迦如来坐像―古代大型金銅仏を読み解く―』(共編、2011年、八木書店)
『鏡笵―漢式鏡の製作技術―』(共編、2009年、八木書店)