魔法で輝きだす、おもちゃの劇場
エリザベス・ハンドの作品集『過ぎにし夏、マーズ・ヒルで』の帯には、「珠玉の抒情SF選集」と謳われている。しかし、ここに収められた作品には、ジャンル・フィクションとしてのSFを思わせる設定や道具立ては一切ない。あえて言えば幻想小説に近接してはいるが、架空の場所で現実には起こらないような出来事が平気で起こるのがお約束になる、ジャンルとしてのファンタジーではまったくない。彼女がつねに描くのは、現実に生き、喪失や悲嘆を経験する、わたしたちのような人々の物語である。メランコリーに彩られたその世界にも、幻の光を受けてあざやかに輝きだす、奇跡のような瞬間が訪れる。それが彼女の独特な小説の魔法なのだ。ここには三篇の中篇と一篇の短篇が収録されているが、長丁場を引っぱるだけの起伏が物語に要求される長篇よりも、むしろテーマの凝縮度を高めながら、キャラクターをじっくり書き込むだけのスペースもある、中篇というサイズが彼女の作風にぴったり合っている。
この作品集で最も長く、短い長篇といってもいいだけの分量がある「イリリア」は、往年の名女優を曽祖母に持つマデラインと、彼女のいとこで、奇しくも同じ日に生まれた似た者同士、ローガンの物語である。二人は自然に惹かれ合うようになり、こっそり屋根裏部屋で会っているときに、壁の中に驚くようなものを発見する。
壁の内側にはおもちゃの劇場があった。折り紙や金ぴかの厚紙、ブロケードやレースの端切れで作ってある。緋色の薄紙でできた幕がプロセニアム・アーチにとりつけてある。舞台の床は黄色と緑のまだらになっていて、花をちりばめた野原を表しているかのようだ。……舞台の奥にはトピアリーの庭と朽ちた彫像の群れがあり、倒れた塔と雪を頂く山々があり、いちばん遠くには金色の砂浜と、冬の太陽を背にして影になった難破船が見える。
エリザベス・ハンドの小説世界は、ある意味でこのミニサイズの劇場のようなものである。そこには色彩あざやかで、顕微鏡で覗いたように精緻な彫塑をほどこされた細部描写があふれていて、読者の目を奪う。しかしこのミニチュアの劇場には、役者がいない。
二人は学校演劇でシェイクスピアの『十二夜』に出演して、舞台という空間が生み出す魔法を知る。しかし、密会していたことが家族に見つかって、おもちゃの劇場も壊され、二人は仲を裂かれて別々の道を歩むことになる。曽祖母譲りの演劇と音楽の才能が充分に開花することがないままに長い年月が過ぎてから、二人は再会するが、そのときにおもちゃの劇場がまたしても読者の目の前に現れる。今度は、マデラインもローガンも小さな人形としてその中にいる。そして舞台には、ありえないことに、本物の雪が降っている。
これがエリザベス・ハンドの小説世界の完璧な隠喩だ。彼女が描くキャラクターたちは、こういうおもちゃの劇場に配置された人形かもしれない。しかし、その人形は、果たされなかった夢や、実ることのなかった愛というエモーションを担って生きている。そして彼女の小説は、そうした人々をやさしく包み込む、ささやかだが強い力を持っているのだ。