不可能が可能に見える手品を解剖
美術にとりたてて関心がなく、エッシャーという名前に聞き憶えがなくても、彼の作品をどこかで目にしたことがある人は多いのではないか。川沿いの田園風景を描いた昼の景色が、空を飛ぶ黒い鳥と白い鳥の群れを介して、不思議なことに夜の景色へと連続的に変化してしまうという、あの有名な≪昼と夜≫をはじめとして、エッシャーの作品には絵心を持たないわたしのような人間でも強く惹きつけられる、センス・オブ・ワンダーがある。そんなエッシャー好きでも、心のどこかにかすかなためらいがある。結局のところ、エッシャーの作品は錯覚を利用した一種の騙し絵であり、いったんタネを知ってしまうとつまらなくなる手品と同じで、それは芸術作品とは呼べないのではないかと。好きな画家は誰かと訊ねられて、エッシャーだとすぐに答えられないもどかしさが、わたしにもあった。そういうためらいをすっかり吹き飛ばしてくれたのが、本書『エッシャー完全解読』である。
世の中に、「謎解き」を標榜する書物はたくさんある。しかしそのほとんどは、謎と呼べないような「謎」を扱っていたり、恣意的としか思えない「解」を提示するだけだったりして、真に「謎解き」の名に値しない。そうした凡百の謎解き本と、本書は一線を画している。わたしたちは、邦訳が出ているブルーノ・エルンストの『エッシャーの宇宙』を読んで、エッシャーの作品の謎についてはすでに解明されたように思い込んでいないだろうか。それが錯覚にすぎなかったことは、本書を読めばわかる。
『エッシャー完全解読』が追求するのは、副題として掲げられている、「なぜ不可能が可能に見えるのか」という謎である。特に取り上げられるのは、「不可能建築」と呼ばれる三つの作品で、三階建ての建物の二階の内側から梯子を上り始めた男が三階の外から入ることになる≪物見の塔≫など、ありえない建築物がまるで自然に存在しているように描かれている。著者の近藤滋は、エッシャーが遠近法の決まり事を厳格に守っていることを丁寧に実証したうえで、エッシャーのトリックを見破ってみせる。
手品師が観客の見えないところにタネを隠しているのとは違い、エッシャーの作品の場合、トリックはすべてわたしたちの目の前にある。エルンストのはるか先を行く本書の独創性は、鑑賞者がつい見過ごしがちな細部に目をやっているところだ。その意味で、本書にはまるで小説作品を読み解いているようなおもしろさと興奮がある。≪物見の塔≫の例で言うなら、なぜ余分な屋根とテラスの建て増しがあるのか、なぜ一階に格子窓から顔を出している囚人がいるのか、といった問いが、不可能を可能に見せる工夫につながっているという著者の指摘には、それこそ目から鱗が落ちた。
著者は数学者ではなく生物学者であり、やはり数学者ではなかったエッシャーの創作過程を追うために、丹念きわまりない手作業を費やしている。一生をかけて秘密の庭を探索したエッシャーのように、著者の謎解きにも相当な時間がかかったはずだ。だからわたしたちも、じっくりと時間をかけて本書を読み、新たな目でエッシャーの作品と向き合おう。