書評

『真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみI フェアプレイの文学』(荒蝦夷)

  • 2025/02/19
真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみI フェアプレイの文学 / 真田 啓介
真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみI フェアプレイの文学
  • 著者:真田 啓介
  • 出版社:荒蝦夷
  • 装丁:単行本(464ページ)
  • 発売日:2020-06-12
  • ISBN-10:4904863690
  • ISBN-13:978-4904863695
内容紹介:
個人誌・同人誌から国書刊行会〈世界探偵小説全集〉、論創社〈論創海外ミステリ〉などなど、真田啓介ミステリ評論を集大成。「クラシック・ミステリ・ルネサンス」30年史の証言としても希有なる真田評論の集大成です。解説は小林晋(I)・塚田よしと(II)の両氏。新たなるミステリ評論の地平を、ぜひ。全2巻各500冊。

愛好家による緻密で誠実な批評

評者が初めて「真田啓介(まだけいすけ)」という名前を目にしたのは、一九九四年に国書刊行会で刊行が開始された<世界探偵小説全集>の第一回配本として、アントニイ・バークリーの『第二の銃声』が出たときのことだった。そこに解説として付けられた真田啓介という探偵小説研究家の論考は、バークリーという作家の全貌を手際よくまとめた後に、『第二の銃声』がクリスティの『アクロイド殺し』に見られる手法を踏まえながら、いかに「二発目」を撃とうとしたかをくわしく論じたもので、こういう緻密な読みができる人が我が国にもいるのかと大いに驚かされたことを憶えている。そのときはまだ、「真田啓介」が「マーダー・ケース」すなわち殺人事件をもじったペンネームだとは知らなかった。

その『第二の銃声』論を皮切りに、真田啓介が書く探偵小説論には可能なかぎり目を通し、そのたびに目がさめるような思いを味わってきたが、その真田啓介の論集が「古典探偵小説の愉しみ」二巻本としてまとまったことはまさしく近来の快事である。仙台市で地方公務員として勤務する著者らしく、荒蝦夷という地元の出版社から出たことも喜ばしいし、おそらくは著者の蔵書と思われる古典探偵小説の原書カバーを敷き詰めたデザインの装幀も美しい。

古典探偵小説の愛好家というものは、熱がこうじると、翻訳で読むだけでは収まらなくなる。未訳作品で隠れた名作があるという噂を聞くと、それを原書で読んでみたくなる。真田啓介がたどったのも、そういう道だった。その道を歩む者は、慣れない英語と取っ組むことになるため、必然的に読むスピードがのろくなる。一文一文を嚙みしめるようにして、玩味しながら読む癖がつく。ゆっくり細部に目を配る癖がつく。

だから、真田啓介の探偵小説論の最大の美点は、作品に対してつねに誠実であるところだ。真田啓介はこう書く。「読むという行為は、一にも二にもテキストを、テキストそれ自体を--それに触発された自分の思いではなく、ましてや自分の側からテキストに貼り付けた思いではなく--読むことのはずである。そのテキストの語るところを虚心に、仔細(しさい)に吟味しつつ、客観的に作者の意とするところを探っていくほかはないだろう。正確な読みというのは、手間ひまのかかる作業なのである」。こうした誠実な態度は、なにも探偵小説愛好家にかぎらず、どんな小説読者にもお手本になるはずだ。

この二巻本で、第一巻『フェアプレイの文学』ではアントニイ・バークリー、そして著者が「英国余裕派」と名付けるロナルド・ノックス、レオ・ブルース、エドマンド・クリスピンといった作家たちが集中的に論じられる。そして第二巻『悪人たちの肖像』では、それ以外の主に英国作家たちや、江戸川乱歩、横溝正史といった日本作家も取り上げられる。とりわけ論考が多いのは、探偵小説に対する批判あるいは批評を内包しているような作品を書いたバークリーで、著者に言わせれば、それは探偵小説を憎んでいるからではなく、「愛するあまりの揶揄であり、愛する故にその発展を図らんがための批判」なのだという。これはおそらく、そうした皮肉な作品に惹かれてしまう、真田啓介本人にも当てはまるだろう。探偵小説の細部を仔細に点検し、いわゆる「フェアプレイ」が貫かれていない個所を発見すれば躊躇なくそれを指摘するのは、愛するあまりのふるまいなのである。

いわゆる「黄金時代」の探偵小説家たちにはすべて、いい意味でのアマチュアリズムがある。生活のために書くのではなく、ただ愉しみのために読んで書く、「芸術の基本はアマチュアリズムにこそある」と言い切る在野の研究家真田啓介は、「愛する人」という語義の「アマチュア」をそっくりそのまま体現している。

そしてまた、真田啓介の批評に一貫して流れているのは、節度のあるバランス感覚である。真田啓介が見るところでは、古典的な英国探偵小説が「黄金時代」と呼ばれるのにふさわしい水準に達した最大の原動力は、「プロットとキャラクターが作中で覇権を争う、この両者のせめぎ合い」だった。その言葉どおりに、真田啓介の探偵小説論では、プロットの微に入り細を穿(うが)った分析もあるかたわら、キャラクターたちの人間性を味わう部分もかなりのスペースを占める。決して奇をてらわず、「現代の社会と人間が、かつては多少なりともそなえていた節度と倫理観を失ってしまったように見える」その失われた多くのものの代表として、「フェアプレイ」の観念に信を置き、その意味では著者が自認するとおり保守的と言ってさしつかえない「ゆとりと落ち着き」に満ちた記述は、著者が「真正の探偵小説」として称揚する「英国余裕派」の作品群から学び、血肉としたものなのに違いない。

「作品の良し悪しは、自分で読んで自分で判断するしかない」と思い定めた真田啓介の論集は、一人の読書人がたどった道の貴重な記録であると同時に、読書という行為の意味をわたしたちに教えてくれる。

【第二巻】
真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみII 悪人たちの肖像 / 真田 啓介
真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみII 悪人たちの肖像
  • 著者:真田 啓介
  • 出版社:荒蝦夷
  • 装丁:単行本(464ページ)
  • 発売日:2020-06-12
  • ISBN-10:4904863704
  • ISBN-13:978-4904863701
内容紹介:
個人誌・同人誌から国書刊行会〈世界探偵小説全集〉、論創社〈論創海外ミステリ〉などなど、真田啓介ミステリ評論を集大成。「クラシック・ミステリ・ルネサンス」30年史の証言としても希有なる真田評論の集大成です。解説は小林晋(Ⅰ)・塚田よしと(Ⅱ)の両氏。新たなるミステリ評論の地平を、ぜひ。全2巻各500冊。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。


【増補版】
真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみⅠ〔増補版〕 フェアプレイの文学 / 真田啓介
真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみⅠ〔増補版〕 フェアプレイの文学
  • 著者:真田啓介
  • 出版社:論創社
  • 装丁:ハードカバー(440ページ)
  • 発売日:2024-12-18
  • ISBN-10:4846024695
  • ISBN-13:978-4846024697
内容紹介:
入手困難の絶版本となっていた、第74回日本推理作家協会賞【評論・研究部門】受賞作が増補版となって再刊!

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真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみⅡ〔増補版〕 悪人たちの肖像 / 真田啓介
真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみⅡ〔増補版〕 悪人たちの肖像
  • 著者:真田啓介
  • 出版社:論創社
  • 装丁:ハードカバー(456ページ)
  • 発売日:2024-12-18
  • ISBN-10:4846024709
  • ISBN-13:978-4846024703
内容紹介:
入手困難の絶版本となっていた、第74回日本推理作家協会賞【評論・研究部門】受賞作が増補版となって再刊!

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真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみI フェアプレイの文学 / 真田 啓介
真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみI フェアプレイの文学
  • 著者:真田 啓介
  • 出版社:荒蝦夷
  • 装丁:単行本(464ページ)
  • 発売日:2020-06-12
  • ISBN-10:4904863690
  • ISBN-13:978-4904863695
内容紹介:
個人誌・同人誌から国書刊行会〈世界探偵小説全集〉、論創社〈論創海外ミステリ〉などなど、真田啓介ミステリ評論を集大成。「クラシック・ミステリ・ルネサンス」30年史の証言としても希有なる真田評論の集大成です。解説は小林晋(I)・塚田よしと(II)の両氏。新たなるミステリ評論の地平を、ぜひ。全2巻各500冊。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2020年8月1日

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