正税帳からわかること
正税帳は毎年国ごとに作成され、中央政府に提出されたその国の一年間の正税(しょうぜい。田租や出挙利稲の蓄積による穎稲・稲穀)の収支決算報告書で、今日でいえば都道府県の一般会計の歳入歳出決算書にあたる。すべて聖武天皇の天平期(730~739年)のもので、平城京左京と全国20ヶ国の計27通の正税帳類の断簡が正倉院文書として伝来する。この度刊行した『翻刻・影印 天平諸国正税帳』には全27通を翻刻・影印で収録した。本書を読むことで、当時の交通や産業・流通の実情や、モノの価格や度量衡、神社の存在、天然痘での被害対策や被害状況など、多彩なことを知ることができる。その一端を紹介する。
遺骨を京に運ぶ使者
正税帳は会計報告であるから、誰が死んだといった記事は無い。ただしその遺骨の輸送担当者に公費で食費を支給した記事はある。天平10年(738)度周防国に次の記事がある(行頭の数字は行数番号、〈 〉内は2行書き)。83 (十一月)十九日向京大宰故大弐正四位下紀朝臣骨送
84 使〈音博士大初位上山背連靺鞨、将従十九人、合廿人、四日食(下略)〉
この当時、伝染病が蔓延していた。天平10年10月、大宰大弐正四位下紀朝臣男人は亡くなった。その遺骨を京に運ぶ使者が周防国(山口県東部)を通過しているのである。「紀朝臣」とだけで名前を書かないのは、当時の制度で敬意を示している。骨送使が「音博士」(中国語発音を指導)であるのも珍しい。将従(食料が出る正式の従者)が19人というのは、大初位上(律令制の位階30のうち27番目)音博士にはふさわしくないから(大初位上なら1人か2人)、亡くなった紀朝臣男人の従者などが、男人の遺産などを運んだのだろう。
この当時、伝染病で亡くなる従者なども多数いただろうが、その遺体はそのあたりに埋めるか、捨てられた。遺骨を遺族のいる京まで届けるのは、あくまで高位高官の特別待遇である。この骨送使への食料は、周防国横断の片道だけであるから、大宰府への帰任は翌年である。
同じ正税帳の
29 (七月)廿四日下伝使〈大宰故大弐従四位下小野朝臣骨送使、対馬島史生従八位下白
30 氏子虫将従三人合四人四日食(下略)〉
は、前年天平9年6月11日に亡くなった大宰大弐従四位下小野朝臣老の遺骨を京に運んだ骨送使が、帰任する途中である。年度内に往復の食を支給した場合は往路にまとめて記すから、復路だけ支給のこの骨送使が上京したのは前年である。京での滞在が長いようだが、やはり本宅がよかったのか。骨送使が対馬島史生(ししょう。下級の書記官)というのは、疫病のために大宰府官人に欠員が多かったのだろう。大宰大弐は2年続けて亡くなっている。
那須湯の湯治治療
天平10年度の駿河国正税帳にも、名前を記さない病身の「従四位下小野朝臣」が登場する。2人の小野朝臣が同一人なら面白いが、こちらは小野朝臣牛養という別人のようである。牛養は翌天平11年10月に亡くなっている。11 依病下下野国那須湯従四位下小野朝臣〈上一口、従十二口〉六郡別一日食(下略)
温泉として有名な下野国那須の湯(栃木県)の初見である。その効能は奈良時代から知られていて、平城京から湯治治療にくるほどだったようである。「六郡別一日食」は駿河国(静岡県中部)を2度通過していることを意味し、年内に往復して帰京していることがわかる。
薬酒
湯治は無理でも、薬酒はどうだろうか。天平8年度薩摩国正税帳にある。77 疾病人壱伯肆拾捌人給薬酒漆斗参升弐合〈卅人々別六合、八十人々別五合、卅八 人々別四合〉
病気の30人に1人6合、80人に1人5合、38人に1人4合の「薬酒」を支給している。ただし正税の在庫記事としては単に「酒」とある。特に注記も無いから薬草を漬け込んだ酒ということではなく、「薬として飲む酒」ということらしい。なお当時のマスの規格は現代の半分弱(1合=約80cc)である。
天平8年度摂津国正税帳では、疫病の病人に酒糟(さけかす)を支給している。正税帳には病人への治療の効果があったかどうかは書いていない。
9 糟捌斛〈賑給疫病者一千六百人、人別五合〉
高齢者への救済措置
酒糟支給記事にある「賑給(しんごう)」は、国家の慶事や疫病・飢饉などに際し、高齢者・身寄りのない人・僧・病人などに食料などを支給する制度である。正税帳では、その支出と、関係する国司の出張費の記事がみえる。病気が重いかどうかなどは、具体的にどういった基準で選別したのかわからない。役人としての無難な対応は、年齢での線引きである。天平9年度和泉監(和泉国)正税帳には、こうある。21 依九月廿八日恩 勅賑給高年八十年以上壱伯弐拾
22 伍人 稲穀壱伯伍拾弐斛〈百年三人別三斛、九十年廿一人別二斛、八十年一 百一人別一斛〉
稲穀はモミ米で、精米すると半量になる。1斛(こく。後に「石」)=10斗=100升である。100歳を超えた人が3人いたというが、この100年前にはまだ戸籍は無かっただろうから、どのようにして確認したかは不明である。
このように、本書『翻刻・影印 天平諸国正税帳』では、奈良時代の正史『続日本紀』が書き記すことのない古代社会の一端を知ることができる記事が満載である。本書の一読をおすすめしたい。
[書き手]
榎 英一(えのき えいいち)
元学芸員、教員。日本古代史。
[主な著作]
『翻刻・影印 天平諸国正税帳』(共著、八木書店、2024年)
訳注日本史料『延喜式 中(主税式)』(共著、集英社、2007年)
『律令交通の制度と実態―正税帳を中心に―』(塙書房、2020年)