自著解説

『荏柄天神縁起』(八木書店)

  • 2024/12/27
荏柄天神縁起 /
荏柄天神縁起
  • 編集:前田育徳会尊経閣文庫、解説:土屋貴裕
  • 出版社:八木書店
  • 装丁:大型本(200ページ)
  • 発売日:2024-12-26
  • ISBN-10:4840623899
  • ISBN-13:978-4840623896
内容紹介:
荏柄天神縁起 三巻 鎌倉時代 元応元年(一三一九)奥書 重要文化財菅原道真の生涯と北野社(現在の北野天満宮)創建に至るまでの経緯を描く北野天神縁起絵巻の一本。「荏柄天神縁起」の名称は、… もっと読む
荏柄天神縁起 三巻 鎌倉時代 元応元年(一三一九)奥書 重要文化財

菅原道真の生涯と北野社(現在の北野天満宮)創建に至るまでの経緯を描く北野天神縁起絵巻の一本。「荏柄天神縁起」の名称は、もと鎌倉の荏柄社に伝来した北野天神縁起であることによるもので、元禄年間ごろに同社の別当一乗院から前田家に入ったものとされる。上中下三巻からなっており、上巻十一段は道真の幼少時から大宰権帥への左遷と九州下向までを、中巻十三段は配所における道真の生活と失意の中の逝去、没後の数々の祟りや日蔵の冥土めぐりを、下巻十三段は北野社創建と数々の霊験を描く。奥書には元応元年(一三一九)、藤原行長によって奉納されたと記されている。鎌倉期の北野天神縁起絵巻諸本のうち数少ない完本の一つとして貴重である。

中世絵画史上で重要な位置を占める四つの絵巻

前田育徳会尊経閣文庫といえば、古典籍類を中心に、貴重書の宝庫として、国文学や歴史学の分野では著名な存在である。いっぽうで、同文庫には多くの絵画作品が所蔵されていることはあまり知られていないかもしれない。今般、尊経閣善本影印集成として刊行される四つの絵巻作品(荏柄天神縁起・一遍聖絵・豊明絵草紙・祭礼草紙)は、尊経閣文庫を代表する絵画作品としてのみならず、日本の中世絵画史を考える上でも極めて重要な位置を占める作品である。

荏柄天神縁起(えがらてんじんえんぎ)とは

この絵巻シリーズの第一冊目で取り上げるのが「荏柄天神縁起」である。菅原道真(845~903)の生涯と天満宮の草創、天神の霊験や利生を描いた天神縁起絵のバージョンの一つで、天神縁起絵は中世を通じて、とりわけ絵巻の形式をとって相当数制作された。現在確認されるだけでも三十件近くあり、同じ主題で描かれた中世絵巻の中でも群を抜いて作例が多い。

前田育徳会尊経閣文庫に所蔵される「荏柄天神縁起」は、奥書に元応元年(1319)の年紀を有し、三巻三十六段、天神縁起絵の諸段を網羅した完本として重要な作例である。もとは鎌倉・荏柄天神社に伝来し、江戸時代前期、加賀前田家第五代当主の前田綱紀(1643~1724)の頃に前田家の所蔵するところとなった。その後江戸時代を通じて加賀前田家に伝来わり、大正十五年(1926)、加賀前田家第十六代当主前田利為によって設立された尊経閣文庫に収蔵された。

前田家の天神信仰と関連文物の収集

前田家がこの天神縁起絵を所蔵するに至ったのは、前田家が菅原という本姓を名乗ったことによる。そもそも前田利家(1538~99)やその子・利長(1562~1614)の頃、前田家は源姓を名乗っていたようだ(ただ、家紋には、菅原氏の梅鉢文を用いていた)。それが三代藩主利常(1594~1658)の頃になると、前田家は菅原姓に特に強いこだわりを持つようになり、家譜類を菅原姓へと書き換えていったようである。

自らの家が名家の末裔であることを示すため、自家の系譜を「整える」ことはよく見られた。織田信長の平姓、豊臣秀吉の豊臣姓、徳川家康の源姓などが有名な例である。前田家が源姓から菅原姓へと「改姓」した理由は明らかではないが、菅原の名乗りが、前田家における天神信仰のムーブメントを起こしていったことは容易に想像できる。

天神信仰を背景に、前田家は天神関連の美術や典籍類を収集していくことになる。前田育徳会には、後水尾天皇が賛を付した「天神像」が所蔵されるが、これは利常の代に前田家が収蔵したものである。利常の後を継いだ綱紀は、さらに天神関係の文物を収集するようになる。綱紀は、元禄二年(1689)に道真の伝記を記した『菅家伝』を、またその後に『菅家伝』の続編ともいえる『聖廟雑記』を書写させ、自ら外題と奥書を記している 。しかも、これらの伝記類は「鎌倉荏柄天神別当一乗院所持」(『菅家伝』奥書)、「鎌倉荏柄天神別当一乗院蔵書」(『聖廟雑記』奥書)とあり、もとは鎌倉・荏柄天神社一乗院の蔵本だった。

前田家と荏柄天神社との関係

そしてこの荏柄天神社一乗院こそ、「荏柄天神縁起」のもともとの所蔵先だった。それにさかのぼる延宝五年(1677)末頃、加賀藩書物奉行であった津田太郎兵衛光吉は鎌倉の社寺を訪ねて宝物調査を実施しており、こうした縁から、前田家と荏柄天神社との関係も構築されていったものと推察される。山本基庸という加賀藩藩士が記した文書によると、その後一乗院に百両を用立てる代わりに「荏柄天神縁起」は前田家の有に帰したことが分かる。これまで十分に明らかにされてこなかった「荏柄天神縁起」の伝来、特に前田家に収蔵される前後の状況が今回かなりの部分明らかになった。

多くの美術作品の伝来や収蔵経緯といったものは、なかなかたどることが難しい。様々な情報を集め、それをつなぎ、推論を重ねていく作業はさながら「推理小説」を組み立てているかのようだが、通常は「このピースがあればストーリーがつながるのに!」という決定的な情報を欠くことが多い。だがこの「荏柄天神縁起」に関しては、前田家に多くの史料が残されていたこともあって、その背景の一端が明らかになった。とはいえ、これらの史料は筆者が探し出したものではなく、前田育徳会当局のご尽力により見出されたもので、心より感謝申し上げたい。

こうした「伝来秘話」ももちろんのこと、まずはこの絵巻の詳細なカラー図版をお楽しみいただければと思っている。これまで「荏柄天神縁起」の全巻カラー図版は戦前のコロタイプ印刷があるだけだった。それだけでも今回出版される本の希少性が伝わるのではないだろうか。美しい大型図版をぜひ手に取ってご覧いただければと願っている。

[書き手]
土屋 貴裕(つちや たかひろ)
現在、東京国立博物館 学芸研究部調査研究課 絵画・彫刻室長
東京国立博物館で「春日大社 千年の至宝」(2017年)、「国宝 鳥獣戯画のすべて」(2021年)、「やまと絵 受け継がれる王朝の美」(2023年)等の特別展を担当。
[主な著作]
『高山寺の美術』(編著、吉川弘文館、2020年)
『もっと知りたい鳥獣戯画』(編著、東京美術、2020年)
『鳥獣戯画研究の最前線』(編著、東京美術、2021年)
『セレクション 絵巻』(東京国立博物館、2022年)
『もっと知りたいやまと絵』(東京美術、2023年)
『東京国立博物館所蔵近世やまと絵50選』(共著、吉川弘文館、2023年)
荏柄天神縁起 /
荏柄天神縁起
  • 編集:前田育徳会尊経閣文庫、解説:土屋貴裕
  • 出版社:八木書店
  • 装丁:大型本(200ページ)
  • 発売日:2024-12-26
  • ISBN-10:4840623899
  • ISBN-13:978-4840623896
内容紹介:
荏柄天神縁起 三巻 鎌倉時代 元応元年(一三一九)奥書 重要文化財菅原道真の生涯と北野社(現在の北野天満宮)創建に至るまでの経緯を描く北野天神縁起絵巻の一本。「荏柄天神縁起」の名称は、… もっと読む
荏柄天神縁起 三巻 鎌倉時代 元応元年(一三一九)奥書 重要文化財

菅原道真の生涯と北野社(現在の北野天満宮)創建に至るまでの経緯を描く北野天神縁起絵巻の一本。「荏柄天神縁起」の名称は、もと鎌倉の荏柄社に伝来した北野天神縁起であることによるもので、元禄年間ごろに同社の別当一乗院から前田家に入ったものとされる。上中下三巻からなっており、上巻十一段は道真の幼少時から大宰権帥への左遷と九州下向までを、中巻十三段は配所における道真の生活と失意の中の逝去、没後の数々の祟りや日蔵の冥土めぐりを、下巻十三段は北野社創建と数々の霊験を描く。奥書には元応元年(一三一九)、藤原行長によって奉納されたと記されている。鎌倉期の北野天神縁起絵巻諸本のうち数少ない完本の一つとして貴重である。

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ALL REVIEWS 2024年12月27日

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