自著解説
『正税帳読解』(八木書店)
奈良時代に作成された国ごとの会計の収支決算報告書「正税帳」を読み進めていくと、当時の地方財政・特産物・交通手段・産業、さらにはパンデミックによる救済措置・被害状況までもが読みとれる。
当時のマスは現在の大きさの半分弱であるが、「撮」となると耳かき何杯分か。
この田租穀はどのようにして量ったのか。だいたいマスでここまで精確に量ることができるのか。それに量りなおしたら、そのつど量は違うだろう。それでもこれを加えた穀の全量の数字は、計算がちゃんと合っている。役人の書いた会計報告だから、数字が合っているのは当然だと言えばそれまでであるが、ではその数字は信じてよいのか。
実はそれを確認する方法は、ほとんど無い。嘘を書くなという当時の政府のお叱りはあるが、具体的にどこがどう嘘なのかはわからない。常識的に考えて、と現代の常識によるしかない。
しかしこれは現代でも同じではないか。特急列車に乗ったという出張旅費請求。本当に特急に乗ったのか。普通列車に乗って、特急料金は懐に入れたのではないか。これを見破るのは難しいだろう。
だがこの旅費の記録によって、この区間に特急列車が走っていたこと、その料金、特急利用を認める旅費規程が存在したことを知ることができる。またこの出張が命令(あるいは許可)されていたことも判明する。全部が嘘で何も分からないということではない。
実際の倉の中身が正税帳通りではなかったとしても、太政官や民部省からの、米を送れ、○○を買って送れといった命令は、その国から報告された数字をもとにおこなわれるだろう(輸送距離や誰が国司か、といったさまざまな要素も関わるのだろうが)。
まず、現に今書いてあることをそのまま、当時の制度の中で読み解くことが先決である。そのうえで、先の伊賀国についてなら、耕地面積と当年の収穫高と田租の比率(凶作なら減免がある)、他の時代の史料との関係などを考えていく、他国と比較するといったこともできる。
正税帳は史料であり、そこから何を読み取ることができるのかは、こちらの問題である。
たとえば駿河国正税帳は天平9年度帳と10年度帳とが残っているが、両者の筆者は違う。刀を造るのに使用する鉄について、数字が違う。単位も「一口別」「刃別」と違う。
9年度帳 一口別充八斤五両一分二銖(8斤5両1分2銖)
10年度帳 刃別八斤五両(8斤5両)
重量の単位は、1斤=16両、1両=4分、1分=6銖であり、大制とその1/3の小制とがある。刀1本あたりの鉄は小制25斤である。これを大制に換算すると9年度帳の「8斤5両1分2銖」になる。10年度帳はこの「1分2銖」を切り捨てている。実際の作業ではもちろん「銖」まで量るといったことはなく、かたまりの鉄を使用するのだろう。
ほかに9年度帳は穎稲(穂首)を「九把五十三分之廿」(9把20/53) と表記している。細かいというか神経質というか、上司にはしたくない性格である。
正税帳を実際に書いたのは誰なのかは、まだ追究する余地がある。AさんかBさんか、名前まで特定できるとおもしろいのだが。
天平10年度駿河国正税帳に、東に向かう珠玉を探し求める春宮坊(しゅんぐうぼう)の官人がみえる。春宮坊は皇太子に仕える役所であり、時の皇太子は安倍内親王(のちの孝謙天皇)である。女性皇太子のために真珠や宝玉を求めたのだろうか。
そして同年筑後国正税帳には、珠玉を買って進上する記事がある。それは縹玉933枚・紺玉701枚・白玉113枚、そして緑玉・赤勾玉・丸玉・竹玉・勾縹玉等である(玉を「枚」で数えている)。
これらは何に用いたのだろうか。即位式用の調度品を作り始めていたのかと想像するのであるが。小さなキラキラをいっぱい付けた装束だろうか。冕冠(べんかん)という特別な冠がある。てっぺんに四角い板があり、そこから旒(りゅう)という飾りの玉を付けたすだれが下がっている、中国の皇帝がかぶっているあれである。孝謙天皇は即位式や東大寺大仏開眼会に冕冠をかぶっていたらしい。それに使わなかっただろうか。
このように、正税帳を読み解とくと、奈良時代の歴史書では記されないさまざまな出来事が具体的に浮かび上がる。
このたび刊行した『正税帳読解』では、こうした天平時代の国ごとの会計報告書・正税帳からわかること、正税帳を読み解くための基礎知識などを一書とした。ぜひご覧いただきたい。
[書き手]
榎 英一(えのき えいいち)
元学芸員、教員。日本古代史。

[主な著作]
『正税帳読解』(八木書店、2026年)
『翻刻・影印 天平諸国正税帳』(共著、八木書店、2024年)
『訳注日本史料 延喜式 中(主税式)』(共著、集英社、2007年)
『律令交通の制度と実態―正税帳を中心に―』(塙書房、2020 年)
奈良時代の収支決算報告書は何を語るのか
耳かき1杯の単位は真実か
現存する正税帳(しょうぜいちょう)は、8世紀・天平時代の国ごとの会計報告書である。相当細かい数字も書いてある。天平2年(730)度伊賀国の当年収納した田租の穀(もみ米)は、弐仟漆伯捌拾弐斛(石)弐升漆合漆撮(2782石0斗2升7合0勺7撮)である。当時のマスは現在の大きさの半分弱であるが、「撮」となると耳かき何杯分か。
この田租穀はどのようにして量ったのか。だいたいマスでここまで精確に量ることができるのか。それに量りなおしたら、そのつど量は違うだろう。それでもこれを加えた穀の全量の数字は、計算がちゃんと合っている。役人の書いた会計報告だから、数字が合っているのは当然だと言えばそれまでであるが、ではその数字は信じてよいのか。
実はそれを確認する方法は、ほとんど無い。嘘を書くなという当時の政府のお叱りはあるが、具体的にどこがどう嘘なのかはわからない。常識的に考えて、と現代の常識によるしかない。
しかしこれは現代でも同じではないか。特急列車に乗ったという出張旅費請求。本当に特急に乗ったのか。普通列車に乗って、特急料金は懐に入れたのではないか。これを見破るのは難しいだろう。
だがこの旅費の記録によって、この区間に特急列車が走っていたこと、その料金、特急利用を認める旅費規程が存在したことを知ることができる。またこの出張が命令(あるいは許可)されていたことも判明する。全部が嘘で何も分からないということではない。
正税帳の報告をどう読み取るか
実際の倉の中身が正税帳通りではなかったとしても、太政官や民部省からの、米を送れ、○○を買って送れといった命令は、その国から報告された数字をもとにおこなわれるだろう(輸送距離や誰が国司か、といったさまざまな要素も関わるのだろうが)。まず、現に今書いてあることをそのまま、当時の制度の中で読み解くことが先決である。そのうえで、先の伊賀国についてなら、耕地面積と当年の収穫高と田租の比率(凶作なら減免がある)、他の時代の史料との関係などを考えていく、他国と比較するといったこともできる。
正税帳は史料であり、そこから何を読み取ることができるのかは、こちらの問題である。
たとえば駿河国正税帳は天平9年度帳と10年度帳とが残っているが、両者の筆者は違う。刀を造るのに使用する鉄について、数字が違う。単位も「一口別」「刃別」と違う。
9年度帳 一口別充八斤五両一分二銖(8斤5両1分2銖)
10年度帳 刃別八斤五両(8斤5両)
重量の単位は、1斤=16両、1両=4分、1分=6銖であり、大制とその1/3の小制とがある。刀1本あたりの鉄は小制25斤である。これを大制に換算すると9年度帳の「8斤5両1分2銖」になる。10年度帳はこの「1分2銖」を切り捨てている。実際の作業ではもちろん「銖」まで量るといったことはなく、かたまりの鉄を使用するのだろう。
ほかに9年度帳は穎稲(穂首)を「九把五十三分之廿」(9把20/53) と表記している。細かいというか神経質というか、上司にはしたくない性格である。
正税帳を実際に書いたのは誰なのかは、まだ追究する余地がある。AさんかBさんか、名前まで特定できるとおもしろいのだが。
珠玉は何に使われたのか
天平10年度駿河国正税帳に、東に向かう珠玉を探し求める春宮坊(しゅんぐうぼう)の官人がみえる。春宮坊は皇太子に仕える役所であり、時の皇太子は安倍内親王(のちの孝謙天皇)である。女性皇太子のために真珠や宝玉を求めたのだろうか。そして同年筑後国正税帳には、珠玉を買って進上する記事がある。それは縹玉933枚・紺玉701枚・白玉113枚、そして緑玉・赤勾玉・丸玉・竹玉・勾縹玉等である(玉を「枚」で数えている)。
これらは何に用いたのだろうか。即位式用の調度品を作り始めていたのかと想像するのであるが。小さなキラキラをいっぱい付けた装束だろうか。冕冠(べんかん)という特別な冠がある。てっぺんに四角い板があり、そこから旒(りゅう)という飾りの玉を付けたすだれが下がっている、中国の皇帝がかぶっているあれである。孝謙天皇は即位式や東大寺大仏開眼会に冕冠をかぶっていたらしい。それに使わなかっただろうか。
このように、正税帳を読み解とくと、奈良時代の歴史書では記されないさまざまな出来事が具体的に浮かび上がる。
このたび刊行した『正税帳読解』では、こうした天平時代の国ごとの会計報告書・正税帳からわかること、正税帳を読み解くための基礎知識などを一書とした。ぜひご覧いただきたい。[書き手]
榎 英一(えのき えいいち)
元学芸員、教員。日本古代史。

[主な著作]
『正税帳読解』(八木書店、2026年)
『翻刻・影印 天平諸国正税帳』(共著、八木書店、2024年)
『訳注日本史料 延喜式 中(主税式)』(共著、集英社、2007年)
『律令交通の制度と実態―正税帳を中心に―』(塙書房、2020 年)
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