自著解説
『俊成筆昭和切 古今和歌集両序』(八木書店)
俊成真筆「古今和歌集両序」との邂逅
貴重書の宝庫、天理図書館での邂逅
天理大学附属天理図書館は善本稀本の文字どおりの宝庫であり、書誌学や文献学、本文研究に関心を寄せる者にとって欠くべからざる存在である。私ももう20年近くになるであろうか、年に1度は『天理図書館稀書目録』既刊5冊を通読し直すようにしており、コロナ禍の時期を除いて年に最低1度は訪書しているはずである。閲覧をご許可下さっている同館には、ただただ深謝するばかりである。近年は『古今集』『新古今集』の伝本・本文の研究を少しずつ進めており、天理図書館には両集に関わる古写本も豊富にあるため、集中的に原本調査を行ったのが2024年のこと。その中にこのたび影印刊行の運びとなった、藤原俊成(1114~1204)真筆の昭和切『古今和歌集』両序―真名序と仮名序の全文―が含まれていたのであった。
息が止まった「真名序」冒頭
率直なところ実地に閲覧するまでは、相当な古写本の可能性はあるにせよ、俊成真筆とまでは言えない伝俊成筆であろうと思い込んでおり、調査の主眼は他の書目にあった。ところが当該両序が出納され、収納箱の蓋を外して原本を取り出し、オモテ表紙をめくって墨付き1丁目オモテ面の「真名序」冒頭を眼の当たりにして驚愕した。本当に息が止まった。どう見ても俊成の特徴的な、鋭角な勢いを持ったその真筆にしか見えなかったのである。俊成真筆の『古今集』としては、晩年の筆とされるいわゆる昭和切や、それよりも早いとされる了佐切という古筆切の存在が知られている。しかし昭和切は1928年(昭和3年)に分割されるまで、全20巻のうちの巻1~10を収めた上帖が完存しており、そこに真名序・仮名序も含まれていたのではなかったか(これが勘違いだったのであるが)、とするとすでに古筆切となっている以上は、昭和切とはまずは無関係ということになるが、どうであったか、一方の了佐切のほうはよく分からない、一体これは何なのだ?と、原本を前に混乱し切った。
価値と責任
と同時に、こうした場合に最も当てにならないのが自分の眼であり、本当にこれは俊成の真筆と認めてよいものなのか?と考えもした。これはもう必死に調べて検討を重ね続けた。何しろ相手はほかならぬ大歌人俊成であり、その手に成る『古今集』の真名序・仮名序の全丁・全文が現れたのだったとしたら、これは日本古典文学や日本語学、あるいは日本史その他の研究上、絶大な資料的価値を有することになるからである。かつその筆蹟は古来名物として尊ばれており、今で言う1頁分の断簡だけでも、さらには数行分であったとしても、古美術品、また文化財としての多大な価値を有するものなのである。すなわち俊成真筆と認定して発言することそれ自体が、重大な責任を負うことであり、これは相当以上の覚悟を持って臨まなければならないものと、正直恐ろしくもなった。
以来紆余曲折を経て、この天理図書館の残簡は、久曾神昇『古今和歌集成立論』(1960~1961汲古書院)において翻刻紹介のみされつつも、その後存否自体が不明となっていた昭和切の両序そのものに該当するとみてまず間違いない、と判断するに至った。可能な限りのさまざまな角度からの検証を試みた結果、当該両序について、俊成真筆であることを疑わせる要素は、最後まで見出されなかった。
「奈良の帝」注記の摺り消し訂正
当該両序を1丁1丁、繰れば繰るだけの発見があった。例えば数百年にわたって『古今集』の流布本たる地位を占め続けてきたいわゆる定家本との間に、異同がいくつも存していること、『古今和歌集成立論』の翻刻からでは知られなかった複数種の豊富な傍書が見出されること、真名序に訓読の仕方を示した訓点が施されてもいたこと、などなどである。また特に仮名序には勘物と呼ばれる注記が存する。その勘物の中で「奈良の帝」を「文武天皇也」としたものがある。はて俊成自身は聖武天皇説ではなかったか?と曖昧な記憶を辿り、あらためて原本のその勘物部分を熟視してみたところ、何と「文」字部分に擦り消しの痕があり、おそらくは本来「聖」字とあったその字を「文」に書き直したものと推察された。
つまり俊成はかつては聖武天皇説に拠っていて、当該両序の勘物でも当初はそうしていたものの、晩年のとある段階で何らかの理由によって、文武天皇説へと見解を改めていたらしいということを、当該両序の言わば書誌的な側面から明らかにし得たのだった。
といったことなどを、本書の解題では能う限り述べたつもりであるものの、しかし専門外に及ぶ言挙げも少なくないため、失考を懼れてもいる。凡ミスもあるかもしれない。ご専門、ご関心の多くの諸氏に本書をご覧いただき、多くのご批正をいただければと思っている。
本書活用への期待
なお『古今集』俊成本の代表的な伝本として、国立歴史民俗博物館蔵の永暦2年(1161)奥書本が挙げられる。同本にもまた当該両序と同様に、それをどのように読むべきかという朱の訓点などが施されているが、既刊のモノクロ影印本では朱色が潰れて判別しづらかったため、本書においてあらためてカラー影印化した。このあたりも専門的に学んできたわけでは全くないため、その道の方々にご検討、ご活用いただけることを強く願っている。末筆ながら、実地調査と影印化をご許可下さった天理大学附属天理図書館、及び国立歴史民俗博物館、また種々ご高配賜ったご収蔵機関、ご教示下さった諸氏にあらためて、心より御礼申し上げる次第である。
[書き手]
久保木 秀夫(くぼき ひでお)
1972年 東京都生
1998年 日本大学大学院文学研究科博士後期課程中途退学
1998年 国文学研究資料館文献資料部助手
2007年 国文学研究資料館文学資源研究系助教
2008年 総合研究大学院大学文化科学研究科
日本文学研究専攻学位取得 博士(文学)
2010年 鶴見大学文学部講師
2012年 鶴見大学文学部准教授
2018年 日本大学文理学部教授
[主な著作]
『大東急記念文庫善本叢刊 中古中世篇 別巻3 手鑑』解題(共著、2004年、汲古書院)
『冷泉家時雨亭叢書 第50巻 為広・為和歌合集』解題(共著、2006年、朝日新聞社)
『林葉和歌集 研究と校本』(2007年、笠間書院)
『中古中世散佚歌集研究』(2009年、青簡舎)
『新古今和歌集の新しい歌が見つかった!800年以上埋もれていた幻の一首の謎を探る』(共著、2014年、笠間書院)
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