対談・鼎談

『旦那の意見』山口瞳 (中央公論社)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/09/04
旦那の意見  / 山口 瞳
旦那の意見
  • 著者:山口 瞳
  • 出版社:中央公論社
  • 装丁:-(254ページ)

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丸谷 長短三十九篇の随筆が入っている非常におもしろい本で、特におもしろいと思ったのは、「下駄と背広」という非常に長い随筆ですね。日本のいわゆる随筆というもので、これだけ長い随筆は、ほかには『方丈記』があるだけじゃないでしょうかね(笑)。〈私小説的田中角栄論〉という副題になっているんですけれども、まさしくそのとおり、山口瞳という一人の中年の文筆業者の自叙伝と重ね合わせる形で、田中角栄を論じています。これも一種前衛的な試みといえる感じになってますね。非常に方法的に凝ってるわけです。たとえば、昭和二十年に山口さんが兵隊にとられて鳥取県にいる。

徒然草・方丈記  / 山崎 正和
徒然草・方丈記
  • 著者:山崎 正和
  • 出版社:学習研究社
  • 装丁:文庫(217ページ)
  • ISBN-10:4059020516
  • ISBN-13:978-4059020516

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Yという兵隊がいた。これは箸にも棒にもかからぬ奴だった。どういうわけか演習に出たことがない。学科の時に手をあげたことがない。(中略)彼はまた、夜になると、しばしば脱柵し、女子青年団員を、片っ端からヤッツケテクルのだった。朝帰りしてきた彼は、古年次兵を相手に、娘の抵抗がどのようなものであったか、どうやって組み伏せたか、どんな具合に娘がヨクナッテイッタカを実演してみせてくれた。私は、同じ初年兵である彼が、どんな手段でもってそういう立場を獲得できたのかということが、まるでわからなかった。まるきり、見当がつかない。とにかく、そういう男がいるのだと思うより仕方がない。一種の怪物だった

こういう男なんですね、その男に山口さんは、兵隊のときにひどくいじめられた。ところが、戦争が終わったときに、そのYという男は、いきなり歓声の声をあげて、山口さんに抱きついて、「おい、ついに、俺たちの時代が来た
ぞ」とこういった。「おい、これからはダンスも出来るんだぞ。女を抱けるんだぞ」こういったというんだな。

という話からパッと変って、ここが特徴的なんだけども、田中角栄の話になるんだな。自民党の代議士の一人が、総裁戦で別の立場に立って争った。その代議士が、田中角栄と同じエレベーターに乗ったとき、角栄が手を差し伸べて握手を求めて、「オナラブル・エネミイ!」と叫んだ、実にけったくそが悪いことではないか、という話にすぐポンと移るんです。ここのところの移り方、この呼吸というのは、この田中角栄論の非常に特徴的なところなんですけれども、実に特徴的であるだけに、何かある感触はなまなましく伝わる。

もう一つ、自叙伝的といっていいと思うのは、田中角栄の経歴というものが山口瞳さんのお父さんの経歴と非常によく似ているということを、角栄の『私の履歴書』という本を読んで、山口さんは発見するわけですね。

衆院選に初当選した時の写真が掲載されているが、目のあたりといい、口もとといい、そのチョビ髭さえも私の父とあまりにもよく似ているので、その頁では大笑いを禁じ得なかった。これが、明治の半ばから大正の初めにかけて生まれた、一旗組の少壮実業家の顔である

山口さんのご両親の結婚のことも書いてある。それによるとお父さんはすでに結婚していて、娘が一人いたんですね。そのうちに山口さんのお母さんと恋愛して、駈け落ちして、先妻であった人を実家に帰しちゃって、その帰った先妻のところに縁切り状を郵便で送りつける。で、山口さんのお姉さんを育てる、山口さんをみごもる、そういう状態でフウフウいっているお母さんのところに、これはだれが母親なのかわからないけれども、その先妻が母親なのかな、ここが書いてないんだけれども、山口さんよりニヵ月年長の男の子が送り届けられる。そういうことをする男である。

そういう自分の父親と重ね合せた田中角栄の肖像ってのを、たいへんくっきりと書いて見せるわけですね。

そこでぼくは、この田中角栄論が、なぜおもしろいかというと、こういうふうに自叙伝的なものと重ね合せることによって、田中角栄を論ずるときにわれわれがいちばん論じにくいものがいきなり出てきちゃったってことなんですね。つまり、われわれの内なるヒットラーっていう考え方があるでしょう、あれとまったく同じように、われわれの内なる田中角栄が、ここでいきなり出てきちゃった。で、いろんな政治論があって、政治評論家がいて、いろんな田中角栄論がじつにいやになるくらい書かれたけれども、しかし、われわれの内部にこういうふうな形で田中角栄がいるんだということを、これほどはっきりしめしてくれた田中角栄論は、ほかになかったと思うんです。そこのところが、この田中角栄論の最上の美点であると思う。飯沢匡さんの戯曲は読んでませんから、そこは保留しますが、飯沢さんの喜劇を除いていえば、田中角栄によって触発されて書かれた最高の文学は、いままでのところはこれだといわなければならない。

木村 彼には江戸っ子的な美的感覚があって、それを逆撫でするものは大嫌いなんですね。下駄と背広なんて取り合わせは、理屈抜きでいやだというわけです。江戸っ子というのは、あんまり儲からないけれど、それなりの一定の潔癖な感覚があって、山口さんのその感覚に、田中角栄さんが触れたわけですね。

だから一方では、川端康成さんが、たいへん怖いっていうんですね。「創意の人」の項に、

川端さんは私を叱ったり説教したりするのではない。そんなことは一度もなかった。そうではなくて黙っておられるのである

それがじつに怖いって書いてあるんですね。そういう点で、この人は、非常にセンシティブで、感受性が高いという気がしました。

山崎 この文章には表裏二面がありまして、表側から見ると丸谷さんのおっしゃるとおりですが、裏側にももう一つ後味の悪い真実が隠れている。つまり、山口さんはお父さんのことを、田中角栄の事件に触発されて書いた。その結果、田中角栄というものがわたしたちにとって、内なる角栄として、近いものと見えたということはあるかもしれないけれども、その反面、文学者山口さんにとって、お父さんとは田中角栄になぞらえて語れる程度の、そんな簡単なものだったんだろうかという疑念が、わたくしには浮かぶんですね。

そしてさっき丸谷さんがいみじくも、「ここのところが書かれてない」とおっしゃったんですが、じつはその書かれてないところに、山口さんの知恵があるという気がするんです。

山口さんが同じ本の「女の文章」の項で書かれたことを引用しますと、

女の人が文章を書くと、肝腎(かんじん)なことはちっとも書かない。教えてくれない。織田昭子さんが、織田作之助と、いつどこで結ばれたのか。「足かけ四年半」の間に、織田作之助は他の女性と結婚し、別れるが、それがどんな女性で、何故そんなことになったのか。その間に、彼女は別府へ行くが、それは何故か。そういうことが、さっぱりわからない

さらに、私小説を書くということは、自分の身辺の人間を傷つけるものであり、しかし、傷つけて血を流すことなしに、私小説は成立しないし、そしてそういう私を書かないで作家というものはあり得ないと、山口さんはこの本の中(「私小説と歳月」の項)でかなり大上段に振りかぶってるわけですね。そこでわたくしは、まさにそれをインデックスとして、この角栄論、あるいは父親論を読むんだけれども、そうすると、あまりに全体としてほどがいいという感じがするんですよね。

丸谷 いろんな問題が一度に出されたという感じがするわけですよ。それで非常に答えにくいんだけれどもさ……。

山崎 ぼくも、いいにくいことをいっちゃったな(笑)。

丸谷 ぼくは、きょうはとても愉快だ。山崎さんと意見が対立することは、珍しいことなんだよ。ひとつ大いに論じましょう(笑)。まず、汚職をした総理大臣程度のものとして、父親が捉えられるかどうかという問題。山崎さんは山口瞳批判にことよせて、じつは近代日本文学を批判してるだけだと思うな。

山崎 ……(笑)。

丸谷 つまり、志賀直哉にとっての父親というものは、そういう観念的なものだったと思う。しかし、森鴎外にとっての父親というものは、もっと厄介なものだったと思う。だから森鴎外は父親を書かないわけですよ。それで山口さんっていう人は、志賀直哉的な父親の把握というものを、ずっと学び続けてきた人ですね。

山崎 うーん、なるほどなあ。ただ、わが国には、そういう血の流し方というものが明治以来できて、よかれあしかれ、それは私小説として成立しているわけですね。わたくし自身はとらないけれど、山口さんは、そういう血の流し方を作家の試金石にしてるんです、同じ本の中で……。それをやってない人間に対して、彼は非難の声をあげてるわけですね。

それなのに、山口さん自身は父親を書くのに、なぜ随筆という、非常にほどのいい形式をとったのか。あるいは随筆という形でもいいですよ。私小説と随筆の違いなんてのは、じつは文体論上非常にあいまいなものですから、それはいいんですけれども、すくなくとも山口さんは真っ向から自分の家を書き、自分の父親を書き、その前に照らし出された自分自身のみじめさ、むごたらしさを書くべきでした。それをやらないんなら、父親のことは潔癖に何も書かないことだと思う。

丸谷 山口瞳という人は、むやみに倫理的でしてね、いわば石門心学の流れをくむ道学だと思うんだけど、むやみに人にものを教える、叱る、小言をいう、旦那の意見ですね、まさしく。あの題は意識的な自己批評になってるんです(笑)。ぼくはそういう道学的な感じは、あんまり好きじゃない。しかし、にもかかわらず、ここに山口瞳というたいへんな才能の持ち主がいて、文章を書くと、ぼくがおもしろがるということは確かなんだな(笑)。

山崎 それは絶対疑いません、反論のしようもない(笑)。

丸谷 そこでまあ内心困ったり、批判したりしながらおもしろがって読むわけだ。が、この田中角栄論のときには、特にぼくはふだんとは違う感銘を受けた。それは一つには、山口瞳が近代日本文学から、親父を批判する方法を学んだわけね。だけど、世間の親父たちは、もうみんなずるくなっていて、近代日本文学に書かれたような親父であることをやめちゃったわけですよ。ところが、ここにえらく勉強熱心な男がいて、近代日本文学の古典に忠実な親父であることを、新潟県から出てきて一所懸命やったんだな(笑)。とうとうそいつが総理大臣になっちゃったわけだ。そのときに山口瞳は、傑作を書くことができた。

山崎 わたくしは、これが逆であったらよかったと思う。山口さんが、田中角栄という人物はあらゆる悪徳を犯した、しかし、おれはあいつが好きだ、このいやらしい愛情をどうしてくれるんだといって居直ったら、わたくしは涙を流せたと思う。

丸谷 ぼくは、ほぼそれに近いと思う。

山崎 うーん、しかし、文学作品というものは、随筆でも私小説でも、ほぼ近いというのは最もいけないケースなのでね(笑)。

丸谷 議論白熱だな、この辺のところ(笑)。

山崎 当時、田中角栄にみんな非難の言葉を投げかけた。ジャーナリストもそうでした、政治家もそうでした。この文章の中で山口さんがとっている態度も、いちおう田中角栄は悪いということになっています。たとえば、金の問題は許さない、下駄をはいて背広を着ることは許さない。許さない、と彼はやっぱり書いてますよ。

そういう角栄像を重ねることによって、山口さんは父親に対する否定的感情を表現しようとするのですが、わたくしにはそこのところが厭なのです。そうすることによって、作者は本当に自分の父親に正対して、その悪どさ、いやらしさを書くことを避けたともいえます。また逆に、直接の対象に角栄ではなくて父親を選んでいたら、氏はこれほど気楽に批判を書くことができただろうか、という疑いも浮かびます。父親憎悪の表現として、これはきわめてずるいやり方で、角栄批判の通俗的世論を前面に置き、それによりかかって父親像を浮きあがらせようとした。

丸谷 遠景に……。

山崎 遠景にして、串刺しにした。わたくしはどうしても、これは方法論としてさかさまだという気がする。

丸谷 それはね、山崎さんがおっしゃったような田中角栄論が、もしいままでにあったならば、ぼくはそれをもっと褒める(笑)。

山崎 こう整理したらいいのかもしれません。田中角栄論としては、ここに彼が父親というなまなましい私小説的な関係をもった人間を登場させることによって肉がついた。これはある意味で賛成します。しかし、父親像の表現としては、これは逃避であって、田中角栄というああいう人物を見て、わたしの父親を適当にご想像ください、こういってるにすぎない。父親を書いた随筆としては、これはまあ失敗作、というよりは、意図された失敗作である、これで妥協できませんか(笑)。

丸谷 うーん、しかし、どうだろうねえ、山崎さん、大星力弥(『仮名手本忠臣蔵』の登場人物。由良之助の息子)の父親には、みんな関心もつけれども、竹田出雲(江戸期の浄瑠璃作者)の父親には関心もたないんじゃない?

山崎 いえ、それはさかさまです。そのさか立ちを成立させたのが、わが国の私小説というジャンルなんでね。いまや一般の人たちは、確かに田中角栄に興味をもちますが、それと同じ程度に、あるいはそれ以上に、山口瞳という一文学者の父親に関心もちますね。

丸谷 そうかなあ。

山崎 だから関心をもたせる文学的技術として、田中角栄を引き合いに出してきたということは、わたくしは肯んじない。というより彼はむしろ正面から自分の父親に相対することを避ける意味で、田中角栄をもち出した。というのは、わたくしはもともと、父親像などというものはそんなに書けるもんじゃないと思うんですよ。わたくしは初めから書けないから、書きませんといいます。わたくしはむしろ、書けないものを適当に書いたということを非難してるわけです。

丸谷 ぼくはもちろん書く気はない(笑)。ないが、しかし、田中角栄という難問を出されたときに、何か補助線を引かなければ答えが出なかった。そのときに、よくぞ健気にこういう補助線を引いたという感じがする。

山崎 それは子役を出して、芝居をつくる手なんです(笑)。

丸谷 それが近代日本文学なんですよ。

山崎 そう。だからそれをわたくしは非難してるといわれたら、それでもいいんです。ただ、子役を出しても、ほんとに自分の子を引きずり出して、そいつからほんとになま血を流させているのと、殴るふりしかしてないのとの違
いはあるんでね。その点、日本の私小説というのは、ずいぶんみじめなものですけれども、みじめながらに、ほんとの血が流れてるものもあるんです。それに比べて、随筆という、ほどのいいスタイルに逃げたということは、最初からその血を流す気はないんだという証拠のような気がするんです。

丸谷 ちょっと待て(笑)。近代日本文学は、いまそういう運命に逢着してるんです。そしてその近代日本文学が逢着した運命とまさしく見合う形で、近代日本の政治は、ピッタリ同じ運命をたどってるんですね。

山崎 ちょっと待ってください。その政治のほうは、ちょっと置いといて、それじゃ丸谷さんは、どうして血のにじむような苦労をして、その子役を出さない小説を一所懸命書いているんです?

丸谷 だって、それは趣味の問題だ(笑)。

山崎 だとすれば文学はすべて趣味の問題なので、わたくしは山口氏の趣味を非難してるんです。

丸谷 ぼくは、この随筆読んでいちばんおもしろかったのは、山口さんのような型の小説家というものは、意外に日本の現実と結びついてるものだなあということでしたねえ。

山崎 なるほど、それは厳しい。

木村 結局、著者には頭のいい人、お金をたくさんつくった人に対する憧れのようなものが、やはりあるんでしょう。大蔵大臣までの田中さんは決して嫌いな政治家ではなかったと、途中で書いています。その憧れをもってる人が、背広に下駄をはくような恰好でしか、日本では出世してこない。それに対する嫌悪感がまた非常に強いですね。そういう憧れと嫌悪感の両方が出ている。

で、自分の仕事場の二階から眺めると、いい洋館があって、あれ買いたいなと思っていた。その洋館が結局、田中角栄さんのものになってしまった。そこで彼の田中さんに対する怒り、不満が爆発したわけで、そういう憧れと恨みが、たまたま洋館ということで結び合わされなかったら、彼の田中角栄論は存在しなかったんじゃないか。

山崎 私怨をもって公論を論ずるということは、文学者に許される特権だと思うんですよ。ただしその私怨は、ほんとに本人にとって恥ずかしいほどの私怨でなければならない。ところが、山口さん、決してこれを書いて恥かいてない。わたしは、恥ずかしいことを書く文学を高級な文学だといってるわけではなくて、山口さん自身が恥ずかしいことを書いてない文学を非難しておきながら、自分がそこにおさまるところに、ある辛さを見ちゃうんだな。もうこれでおしまいッ(笑)。

丸谷 それに反対はしません。しかし、日本の政治評論家たちは、それにもかかわらず山口さんのこの田中角栄論以上のものを、ついに一篇たりとも書かなかった。

山崎 それは認めましょう(笑)。

丸谷 この田中角栄論、論であるにしてはあまりにも問題提起だけですよ。論旨を展開することも、結論を出そうとすることも、ちっともやってませんよ。でも、ぼくは、この問題提起、やはり非常に大事なことだと思う。人の心を打ったり、人を考えこませたりする刺激の強さにおいて、これをしのぐだけの文章を一篇たりとも書かなかった日本の政治評論家たちは、一体何をしているのかと、ぼくはいいたいな。

木村 要するに実感がこもってるっていいますか。この本の最初に著者近影が載っていますが、ヒョイと背中を曲げて横向きに煙草に火をつけているところなぞ、田中角栄論の姿勢そのままですね。

山崎 わたくしは、これ読んで思い出したのは永井荷風です。もっとも荷風の父親の永井禾原という人は、確かに知識人ではありました。それから偉い官僚であって、成りあがりというふうにはいえませんけれども、しかし、やはり江戸文化というものを文化の基準としたときに、漢学者であった永井禾原というのは、荷風の目から見ると反文化なんですよね。ですから、江戸趣味につながる美しいものが論理で押しつぶされていくというような感覚で先代を見てる目が、荷風そっくり。そういうふうにみれば、この『旦那の意見』全体を通して、筆者はここで昭和の永非荷風を演じているという印象はうけます。

丸谷 荷風と田中角栄と山口瞳と、三人に共通しているのは、お母さん子だということだね(笑)。

山崎 筆者の筆が冴えてるからだろうけど、お母さんというのは、すごい人物ですね。この母親とこの父親は、それぞれ人物として非常におもしろそうだ。そのぶつかったとこを、ぜひ小説に書いてほしいですよ。

【この対談・鼎談が収録されている書籍】
鼎談書評  / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • 発売日:1979-09-00

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文藝春秋

文藝春秋 1977年9月10日

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