書評
『長谷川平蔵―その生涯と人足寄場』(中央公論社)
「鬼平」初めての詳細な伝記
この本は題名からもあきらかなように、火付盗賊改役として知られた長谷川平蔵宣以(のぶため)の生涯と、彼の献策によって江戸の石川島に創設された人足寄場(よせば)の実態を、わかりやすく叙述したものである。長谷川平蔵の名前は、池波正太郎の連作「鬼平犯科帳」で一般に知られるようになった。テレビでは松本幸四郎が鬼平を演じ、今では銭形平次やむっつり右門といった虚構の人物以上に、大衆の間にそのイメージがひろがっている。
また人足寄場については、著者自身、別に「日本行刑史」の中でかなりふれており、研究書としては「人足寄場史」も刊行されているが、一般の知識となったのは松本清張の「海嘯(つなみ)」(「無宿人別帳」のうち)や、山本周五郎の「さぶ」等の小説によってだ。
著者は日本や中国の法制史を手がけてきた専門家だけに、前半で長谷川平蔵の足跡を、武家社会の制度や職務の実態の中に丹念にあとづけ、後半では人足寄場の歴史的変遷と職制のありかた、その特色、そこでの生活の模様などを詳細に紹介している。
人足寄場についての認識は、その後身である石川島監獄の暗い印象があるためか、これまで積極的に評価がされにくかったが、著者は法制史家の立場から、それが応報主義による徒刑とはことなり、近代的な監獄制度とも共通点をもつ日本独自の形態である点を強調し、無宿者の養育所として、犯罪の予防に貢献したとしている。
実施にあたっては、必ずしも理想どおりにはゆかなかった面もあったようだが、その創設につくした長谷川平蔵の功績は、歴史的にも再検討される必要がある。この本はその平蔵のはじめての詳細な伝記であり、彼が四百石の旗本の家に生まれ、京都町奉行だった父の宣雄について執務の実際を見習い、出仕して西城御書院番組の番士をふりだしに、御進物番、御徒頭、西城御先手弓頭を歴任、天明の打毀しの後に火付盗賊改役となり、神道徳次郎(神稲小僧)や大松五郎などの検挙にあたり、老中松平定信の内命をうけて人足寄場取扱に就任、その重責をはたす過程を物語る。
父の宣雄が、息子同様、火付盗賊改だったことを、諸種の史料によって裏づけているのもこの本の一収穫だが、随所に挿入される武家社会のさまざまな習慣などについてのエピソードもおもしろく、小説の素材になりそうな個所がいくつもある。
近世以来の早口言葉のひとつに、「書写山の社僧正」というのがあり、今でも酒席の遊びなどでよくやられるが、その由来にふれ、播州書写山の社僧総代が将軍の交代の際に、新しい朱印状をもらいに登城するおり、奏者番が間違いなく大音声でよばわるため、練習をつね日ごろ怠らなかったというくだりなど、案外一般には耳新しい知識ではなかろうか。
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