自著解説

『江戸の流行り病―麻疹騒動はなぜ起こったのか』(吉川弘文館)

  • 2020/06/23
江戸の流行り病―麻疹騒動はなぜ起こったのか / 鈴木 則子
江戸の流行り病―麻疹騒動はなぜ起こったのか
  • 著者:鈴木 則子
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(211ページ)
  • 発売日:2012-03-01
  • ISBN-10:4642057420
  • ISBN-13:978-4642057424
内容紹介:
疱瘡は見目定め、麻疹は命定め-江戸時代、麻疹は大人も発病し命に関わると恐れられていた。将軍から町人まで人々はいかに麻疹と付き合ってきたのか。医学書や御触書、浮世絵などから論じ、麻疹を通して江戸社会を描く。

「現代なら守れる」か ―江戸の流行り病をめぐって―

医療ドラマが人気だ。初対面の方に専門を聞かれて「江戸時代の病気の研究をしています」と答えると、「JINの世界ですか?」という反応がしょっちゅう返ってくる。最初、何のことやらさっぱりわからなかったが、『JIN―仁―』(村上もとか作、集英社)という江戸時代を舞台とする人気医療劇画があって、テレビドラマ化されたのだと教えられた。

あまり何度も耳にするので気になって書店に注文し、第一巻を開くなり驚いた。現代の外科医が江戸時代へタイムスリップし、現代医学の知識でさまざまな病気を治していくというストーリーなのだが、最初の活躍の舞台が文久二年(一八六二)の江戸の町なのである。私が研究している、江戸時代最大の麻疹(はしか)騒動が起こった年だ。主人公の南方仁(みなかたじん)は、近代的薬もなく衛生観念も異なる江戸の下町で、医療知識をフル稼働して麻疹治療に奮闘することとなる。この年、麻疹は日本じゅうで流行したが、とくに江戸の町のパニックは京・大坂・名古屋と比べても極端に大きかった。

麻疹は現在は小児感染症であるが、鎖国を解くまでは二〇年から三〇年おきに流行した。したがって子供だけでなく、子供の時に感染する機会のなかった成人まで麻疹にかかり、また重症化するものも多かった。文久二年夏は、麻疹流行の終息期にコレラの流行が重なって、いっそう被害を大きくしたようだ。『藤岡屋日記』によると、江戸市中名主が書き上げたこの年六月から八月の麻疹による江戸市中死亡者は一万四二一〇人、コレラその他による死亡者は六七四二人にのぼる。江戸の町方人口約五〇万といわれた時代に、である。ちなみに同じ文久二年の播磨国の大庄屋の書き上げでは、麻疹を発症した場合の致死率が一〇パーセントを超える村もあった。

江戸では流行と同時に麻疹絵と呼ばれる色鮮やかな錦絵や、麻疹をネタとした戯作、麻疹なぞなぞ集、麻疹道化百人一首、麻疹養生書など、さまざまな出版物が氾濫し、そこらじゅうに麻疹薬の看板が出現、神社仏閣はこぞって麻疹除けの御札を売りはじめる。麻疹によいとされた生薬と食べ物は投機対象となって急騰し、麻疹禁忌に指定された遊郭(房事が禁忌)・蕎麦(そば)屋・魚屋・八百屋・風呂屋・床屋などは失業状態に陥り、経済的混乱が起こる。幕府は繰り返し、便乗値上げの禁令を出すが効果はない。右のような“麻疹特需”を、享和期の戯作者は「はしか銭」と表現した。

江戸時代、麻疹は計一四回流行したことが確認できるが、こういった麻疹騒動は享和三年(一八〇三)の流行の時から顕著となる。背景には、江戸の町で享保期から進む医療化社会に向けての動きや、豊かな消費生活の展開があった。

徳川吉宗は享保の改革で知られるが、医療政策にも心を砕く。享保一五年(一七三〇)の麻疹流行の時は、麻疹にかかっても薬で治療する習慣のない江戸の町の人々に、麻疹薬を無料配布した。その後、宝暦三年(一七五三)、安永五年(一七七六)、享和三年と流行を重ねる間に、医療一般の浸透に伴って、麻疹になれば医者にかかったり麻疹薬を飲んで治療し、発疹が治まってからも一ヵ月ほどは「後養生」と呼ばれる休養をきちんと取る、という麻疹療養スタイルが、身分の上下を問わず江戸に住む人々の間で定着する。ために享和三年の流行からは、麻疹薬の買い占めや値上げが相次ぎ、価格取り締まりが行われるようになった。

医療の普及と併行して、麻疹医療情報も市場価値を持つようになる。なにしろ滅多に流行しない病気なので、医者も治療に不慣れであり、家庭に伝わる経験則もない。安永五年の流行からは、流行周期を見込んで、流行の数年前から医者向けのマニュアル麻疹医書が刊行されたり、享和三年の流行以降は、素人向けの麻疹禁忌を書き付けた冊子が売り出されるに至ったのである。

麻疹禁忌は、流行を重ねるたびに雪だるま式に増加していった。それは先にもふれた房事・髪結い・入浴・音曲・酒・蕎麦・鰻・脂のつよい食べ物・多種多様な野菜類など、じつに多岐にわたる。これらを病後三〇日から一〇〇日間も禁じられた。いずれも花のお江戸の庶民生活を象徴するようなものばかりであることに気づく。吉原を頂点とする巨大売春社会、江戸の人々が毎日通った高温の銭湯、町内に一ヵ所は必ずある髪結床、お手軽なファーストフードの鰻・蕎麦・天麩羅(串刺しにして売られていた)・寿司、そして諸国から集まるぜいたくな珍味…。日頃の奢侈(しゃし)と不摂生を暗に糾弾するかのような禁忌リストだ。禁欲的な生活を強いられることに不平をこぼしながらも、経済的混乱が起こるくらいに各人が禁忌を真剣に守ってしまう背景には、麻疹と云う非日常の事態への恐怖だけでなく、自分たちが常日頃享受している都市的生活様式への漠然とした不安、いうなれば都会人の潜在的「健康不安」とでもいうべきものもあったと推測される。

麻疹をめぐるパニックの大きさは、その年の麻疹の流行状況だけで決まるのではなく(年によって流行規模は変わる)、こうして医療化やライフスタイルの都市化が進むほど、そして流行り病を商機とみる人々ががんばるほど大きくなるので、幕末の文久二年の流行は、江戸時代最大の「麻疹クライシス」を生み出したのである。

さて、くだんの劇画の主人公・南方仁は、江戸の医療技術では治せない病人をあまた救い、最終的には現代に戻ることができた。その現代日本の麻疹事情はというと、二〇一二年に麻疹撲滅宣言を出す計画で、二〇〇八年度から五年間の経過措置として、幼児期だけでなく、一〇代での二回目のワクチン接種の機会を設けてきた。ところが接種率はいまだ目標値には達しておらず、今後再び大流行が起こることすら予想されている。欧米諸国やオーストラリア、韓国などは、すでに国内からの麻疹ウイルスの排除に成功している。依然として多数の患者の報告があるのは、主にアジアとアフリカ諸国で、日本はその麻疹後進国のひとつなのだ。

文部科学省・厚生労働省・日本医師会が二〇一一年に作成した麻疹予防接種促進のためのポスターには、「現代(いま)なら守れる」「二回の予防接種ではしかは無くせる」というコピーと、文久二年の江戸の町を背景に南方仁・勝海舟・坂本龍馬などテレビドラマ『JIN―仁―』の出演者の顔が並ぶ。たしかに予防接種が徹底すれば、麻疹からは守られるようになるだろう。だが、新型インフルエンザをはじめとして、つぎつぎに立ち現れる新たな流行り病に対して、現代社会はどれだけ適切な対応ができるようになったのか。グローバリゼーションや医療の商品化がますます進み、ネット上では玉石混淆の情報があふれる時代に、感染症のリスクマネジメントは私たちの日常生活のなかで、むしろ日々深刻な課題となってきているように思われる。

[書き手] 鈴木 則子(すずき のりこ・奈良女子大学教授)1959年静岡県生まれ、専門は日本近世史、医療社会史、女性史。
江戸の流行り病―麻疹騒動はなぜ起こったのか / 鈴木 則子
江戸の流行り病―麻疹騒動はなぜ起こったのか
  • 著者:鈴木 則子
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(211ページ)
  • 発売日:2012-03-01
  • ISBN-10:4642057420
  • ISBN-13:978-4642057424
内容紹介:
疱瘡は見目定め、麻疹は命定め-江戸時代、麻疹は大人も発病し命に関わると恐れられていた。将軍から町人まで人々はいかに麻疹と付き合ってきたのか。医学書や御触書、浮世絵などから論じ、麻疹を通して江戸社会を描く。

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初出メディア

本郷

本郷 2012年5月第99号

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