書評

『臍曲がり新左』(文藝春秋)

  • 2024/01/09
臍曲がり新左 / 藤沢 周平
臍曲がり新左
  • 著者:藤沢 周平
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(321ページ)
  • 発売日:1981-09-29
  • ISBN-10:416362810X
  • ISBN-13:978-4163628103
内容紹介:
世評高いこの作家の短篇小説を精選、四巻に集成。第一巻たる本巻は、士道小説の傑作十一篇。端正緻密、人生通の大人の読物である

小説の職人の澄んだ視線

藤沢周平について井上ひさしが「数少ない小説職人のひとり」と評したことがあったが、彼の作品の精緻な文体や構成のたしかさは、まさにみごとな職人芸を思わせるものがある。初期には重厚で暗い感じの小説が多かったが、やがてあらたな境地をひらき、柔軟な味わいのものを手がけるようになって以後、あぶらののった感じで、さまざまな素材をあつかった時代小説を、つぎつぎに発表してきた。しかしその手堅い手法は一貫して変わらず、時代もののもつ醍醐味を充分に味わわせてくれる書き手として、独自の地歩をかためてきたといえよう。

「藤沢周平短篇傑作選」は彼が文壇に登場して以来、約十年の間に発表した作品中から、すぐれた短篇を選び、四巻に収めたもので、巻一が〈士道小説集〉、巻二、三が〈市井小説集〉、巻四が〈歴史短篇小説集〉と、主題別にわけられているが、独特な香気を放つ作品が少なくなく、その格調に富み抒情味ゆたかな文学世界にひたることができる。

巻一の表題作である「臍曲がり新左」は、偏屈な性格のために藩中の憎まれ者となっている治部新左衛門が、隣家の息子犬飼平四郎の危難を救けたものの、娘としたしい平四郎の言動が気に入らず、苦りきっているうちに、藩政を専断する筆頭家老を排除する計画をもちかけられる。政治に関心のない新左衛門は、一味に加わろうとしないが、自分の一存でその筆頭家老を倒したところ、平四郎はみごとに後始末をし、新左衛門もいつか平四郎と娘の仲を認める心境となる、といった内容である。戦場生き残りの老武士の偏屈さと、それにめげないさわやかな若者像が対置され、ユーモラスな味をもふくんでおり、作者の人間理解のふかさと、あたたかな眼がうかがわれる。

この巻には就職に苦労する浪人者や、婿入り口をさがす武士の二、三男、それに下級武士などの生活の哀歓を描き、現代人とも共通する問題を織りこんだ作品が多い。

だが下づみの人間の哀歓という点では、〈市井小説集〉の方がより陰影にみちた人生模様を語っている。巻二の表題作「父(ちゃん)と呼べ」は一人息子に失踪された叩き大工の徳五郎が、物盗りに失敗して逮捕された男の子どもをひきとり、老妻とともにかわいがって育て、やっと父(ちゃん)とよんでくれるようになったものの、もどってきた実の息子は悪い仲間に連れ去られ、子どももまたあらわれた母親についていってしまうといった話だが、そのあとで酔っぱらった徳五郎が老妻に向かい、あの子の代わりに父(ちゃん)と呼べといってかきくどくあたり、何ともいえない余情を残している。

死病をかかえて故郷へまいもどったやくざの男が、娘の恋人を助けた後に去ってゆく「帰郷」、親方から独立し、世帯をもった彫師が、妻の病気のためにせっかくの夢も破れ、禁制の仕事を手がける「闇の梯子」、幼なじみの恋人のために職人からやくざ稼業に転じた男の人生の明暗を描いた「おふく」などは、まともな生活からはみ出した者の心に、なお残る人間の真実にふれているし、博奕(ばくち)うちの男が昔の恋人によく似た女を買い、彼女の苦境を救おうと、夫の武士と組んで博奕のいかさまを摘発、金を手に入れたのに、その気持ちがむくわれずに終わる「穴熊」や、妻子に先立たれ、一人残された紙問屋の主人が、縁を切った嫁に慕情を抱きながら、彼女の転落をどうすることもできずにいる「冬の潮」は、愛欲の微妙な心理をえぐっている。

また心中寸前の母子を救けたのはよいが、その母子に居すわられて困る「しぶとい連中」とか、乳児をおいて女房に死なれ、仕事もできないでめそめそしている男をみかねて、同じ長屋の娘が赤ん坊の世話をするうちに情がうつってしまう「意気地なし」など、裏店(うらだな)を舞台に人情の機微をたくみにとらえた作品もある。それらのどれも暗くきびしい現実の中でわずかなぬくもりをもとめようとする人々の心理を、抑制のきいた筆でうつし出しているのだ。

歴史短篇を集めた巻四には、羽州荘内藩士の土屋丑蔵が、殺された兄の仇を討とうとする同族の又蔵と果たし合いを行い、二人が刺し違えるまでの経過を追った表題作「又蔵の火」をはじめ、明智光秀を描いた「逆軍の旗」、上杉治憲の治政をとりあげた「幻にあらず」などが収められているが、武家社会の悲惨さをもっともつよくしめすのは「上意改まる」であろう。これらは負のロマンをはらみながらも、歴史にたいする作者の公正な目くばりをうかがわせる。

それぞれの巻末に付されたエッセイもおもしろく、歴史上の英雄よりも片隅の人々を描くことを好む作者の心情や、善意だけでなく悪意をもふくむ人情を、今も昔も変わらないものとして作品のテーマとするといった創作態度を述べていて、藤沢周平の文学理解を助けることができる。

この「短篇傑作選」のほかに、近作の歴史長篇「密謀」もまた、彼の文学世界の一端をしめすものだ。これは上杉景勝に少年時代から仕え、戦国期に知謀の将として知られた直江兼続(かねつぐ)を主人公として、関ケ原の役前後の上杉家の動きをたどり、この天下分け目の戦いに、精鋭をほこる上杉軍団が参加しなかった謎を追究している。

野望のために権謀を弄する者が多かった時代に、義を重んじ、家康に対立しようとした上杉のありかたに、作者は注目したと思われる。また直江兼続の使う忍びの集団の活躍を描きこんで、話をふくらませているが、彼らも情報伝達者としての役目に忠実であり、忍者どうしのきびしい戦いをかさねながらも、陰の人として埋もれてゆく運命を甘受する。

個人に光をあてながらも、歴史そのもののドラマがもつ重味をみつめ、人間の小ささと大きさをともにかみしめようとする作者の澄んだ視線は、短篇集に収められた諸作とも共通するものであろう。
臍曲がり新左 / 藤沢 周平
臍曲がり新左
  • 著者:藤沢 周平
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(321ページ)
  • 発売日:1981-09-29
  • ISBN-10:416362810X
  • ISBN-13:978-4163628103
内容紹介:
世評高いこの作家の短篇小説を精選、四巻に集成。第一巻たる本巻は、士道小説の傑作十一篇。端正緻密、人生通の大人の読物である

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初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 1982年3月12日

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