読書日記

五木寛之編『うらやましい死にかた』(文藝春秋)、山田風太郎『人間臨終図巻』(徳間書店)、立花隆『臨死体験』(文藝春秋)、中西進『辞世のことば』(中央公論新社)ほか

  • 2019/05/27

あの世に行くとき

始発駅で、後から出る空いた方の車内に座っていたら、大股で乗ってきたサラリーマンふうの中年男性が、私の並びに腰を降ろすや、手にしていた本をがばと開いた。ホーム向かいの先発電車も、まだドアを閉めていなかったが、読書のために座っていこうと、はじめから決めていたらしい。

本のみならず膝までがばと開き、前かがみになった姿勢には「さあ、読むぞ」という気迫がこもっていた。

ベルが鳴り、向かいの電車が滑り出した。となりの男は、まるめたティッシュでひっきりなしに鼻をこすっては、すすり上げる。

(風邪か? だとしたら、うつりたくないから、さりげなく横へずれようか)

と迷ってから、はたと気づいた。この男、もしかして泣いている?

やがて、「うっうっ」と鳴咽を噛み殺すような声が、歯の間からもれてきた。肩はもう小刻みどころか、はっきりと震えている。本を読んで泣く男性を目撃したのは、はじめてだ。

それにしても、われわれの電車はまだホーム。表紙を開いてから、ものの五分もしないうち、こんなにも泣ける本ってあったっけ?

横目で見れば、五木寛之編『うらやましい死にかた』(文春文庫)

その本ならば、さもありなん。全国から寄せられた、身近な人の死をめぐる文章、四十編。編者が選ぶため読むうちに、こみ上げる思いをおさえられなくなり、涙のみならず鼻水まで「ぐじゃぐじゃになって流れる始末だった」と、広告にあった。

五木さんといえば、私にとって、田村正和の作家版というべき「ハンサム」のイメージがある。なのに、鼻水まで出てしまったと、てらいもせず書き、しかも広告に載せるとは、(この人、すごくいい人なのかも知れないなあ)

と思っていた。そこへ、この泣き男出現。これはもう、読むっきゃない。

完本 うらやましい死に方 /
完本 うらやましい死に方
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(236ページ)
  • 発売日:2014-04-14
  • ISBN-10:4163900446
  • ISBN-13:978-4163900445
内容紹介:
今世紀、ドラマティック・エンディングからナチュラル・エンディングへと、日本人の死生観は変わった。鮮烈な印象の「民草の死」集。

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死に方の本としては、古今東西の有名人の例を集めた、山田風太郎の『人間臨終図巻』(徳間文庫)があるが、『うらやましい死にかた』は、日本人の無名の人版と言えようか。

饅頭を十二個食べて死んだ人。「俺は行くぞ、泣くな」とひとこと言って逝った人。自らのがんの進行を正確につかみ、別れの挨拶を述べた後、点滴をはずさせ「モルヒネをお願いします」と最後の指示を出した医師。枕べに集い、お茶を楽しむ家族に、覗き見てきたあの世のさまを話して聞かせ、笑い声の絶えない中で、息をひきとった人。実にさまざま。

りっぱな最期ばかりではなく、滑稽な死、間の抜けた死もあるが、「生を終えるときに、人間は大きなものを残して去るのだ」と編者。

死が避けられないものである限り、人々が望むのは「安らかに死にたい」ということだろう。私はそれに「死んだ後は、生まれ変わりたくない」をつけ加える。

戦争のない時代に生まれ合わせ、つくづく運がいい人間だと、自分のことを思っている。

歴史上のさまざまな悲惨を振り返ると、この先生まれ変わっても、今以上に、恐怖から解放された生を全うできる世があるとは、考えにくい。だから私は私の命を、この一代で終わりにしたい。

人間臨終図巻 上  山田風太郎ベストコレクション / 山田 風太郎
人間臨終図巻 上 山田風太郎ベストコレクション
  • 著者:山田 風太郎
  • 出版社:KADOKAWA/角川書店
  • 装丁:文庫(510ページ)
  • 発売日:2014-01-25
  • ISBN-10:4041011299
  • ISBN-13:978-4041011294
内容紹介:
武将、町民、政治家、歌人、文豪、音楽家など……下は15歳から上は120歳まで、歴史上のあらゆる人物の臨終の様子を蒐集した稀代のノンフィクション! 第一巻目は15?55歳で死んだ人物を収録。

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死後の世界に関しては、臨死体験者が報告している。もしそれが現実の体験なら、死後の世界は存在することになり、生まれ変わる可能性も否定できない。それに対し、現実体験ではなく、脳内の情報伝達の異常に過ぎないとする説もある。立花隆著『臨死体験(上・下)』(文春文庫)は両説をたんねんに検討する。死んだらどこへ行くかということが、かねてより気になっていた私は、むろん読んだ。

本によれば、いずれの説も完全ではなく、どちらをとるかは、各人の世界観の違いに帰着するようだ。すなわち、物質界と別に精神界があるとする二元論か、すべてが物質で説明できるとする一元論か。

取材をはじめた頃の著者は、どちらが正しいか、早く知りたいと願っていたという。が、取材を重ねるうち、現段階ではいくら調査研究しても、答の出る問題ではないらしいとわかってきた。だとしたら「生きてる間は生きることについて思い悩むべきである」が、下巻のまとめの言葉である、

同感だった。仮に答がAであったとしても、「BならいいがAなら嫌だ」と拒否することはできないのだから。AであれBであれ、私たちは必ず死ぬのだから、著者の結論は、すこぶるまっとうだ。

(健全な知性とは、こういうのを言うのだろう)

と思う。緻密な論理を積み上げていく思考力と同時に、あるところでぱっと、ものごとの本質をつかみとり、価値判断が下せる。ミクロとマクロとの間を自在に行き来できる著者の頭は、やっぱりすごい。

死が現実に迫ったとき、人が抱く感慨を、次の歌ほどよく表したものはあるまい。

つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

在原業平が詠んだ歌だ。板垣退助が襲撃され、命の危機に瀕したときに「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだというのは眉唾(まゆつば)ものだが、昔から多くの人が、死出の旅路に赴く思いを、言葉に託してきた。

臨死体験 上 / 立花 隆
臨死体験 上
  • 著者:立花 隆
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(490ページ)
  • 発売日:2000-03-10
  • ISBN-10:4167330091
  • ISBN-13:978-4167330095
内容紹介:
眩い光、暗いトンネル、亡き人々との再会——死に臨んで人が体験する不思議なイメージの世界を極限まで追究。大反響を呼んだ大著

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中西進著『辞世のことば』(中公新書)は、真偽のほどのあやしいものや、時期的には死のかなり前に語られたものをも含め、六十人の「生の総体を訴えたことば」を、とりあげる。

それぞれに含蓄があるが、蕪村の臨終の句は、視覚的に印象深い。

白梅に明くる夜(よ)ばかりとなりにけり

目前に広がる、死後の世界を、一幅の絵として切り取ったようだ。その前の二句は、

冬鶯むかし王維が垣根かな
うぐひすや何ごそつかす藪の霜

聴覚は、鶯の気配をとらえながら、頭の中では、過去と現在とが交錯し、意識がめまぐるしく明滅する。

やがて、すべての音と動きが断ち切れ、ふいの静止画像となる。ビデオで言えば、無期限のポーズ。暁の梅の枝に、時間はひっかかったまま止まり、朝が来ることはない、永遠に続く薄明。

辞世のことば / 中西 進
辞世のことば
  • 著者:中西 進
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:新書(224ページ)
  • 発売日:1986-12-20
  • ISBN-10:4121008243
  • ISBN-13:978-4121008244
内容紹介:
つひに行く道とはかねて聞しかど昨日今日とは思はざりしを―。世に知られた在原業平の臨終の歌である。この歌を契沖や本居宣長は死に臨んでの人間の偽りのないまことの心としているが、その契沖… もっと読む
つひに行く道とはかねて聞しかど昨日今日とは思はざりしを―。世に知られた在原業平の臨終の歌である。この歌を契沖や本居宣長は死に臨んでの人間の偽りのないまことの心としているが、その契沖も万感こもることばを遺し、宣長にも周到な遺言状に添えた「詠草」がある。このように古来、日本人は末期の感懐を様様のことばに託してきた。その中から60人を選んで、死へのまなざしが生んだ「純粋な自己発見」の姿を写し出す。

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死に方に関して、もう一冊だけつけ加えたい。藤沢周平の回想録、『半生の記』(文春文庫)だ。著者の師範学校時代の師が、結核で亡くなったときのようすが出てくる。枕べに寄る生徒たちに、先生は乱れる息を整えながら「死ぬということは、なかなか苦しいもんですなあ」と語りかけた。

臨終の言葉として、まことに味わい深いものがある。

半生の記 / 藤沢 周平
半生の記
  • 著者:藤沢 周平
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(237ページ)
  • 発売日:1997-06-10
  • ISBN-10:4167192314
  • ISBN-13:978-4167192310
内容紹介:
自身を語ること稀だった含羞の作家が、初めて筆をとった来しかたの記。郷里山形、生家と家族、学校と恩師、戦中戦後、そして闘病。詳細な年譜も付した藤沢文学の源泉を語る一冊。

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