作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】コーネル・ウールリッチ『喪服のランデブー』『死者との結婚』『アイリッシュ短篇集1~6』

  • 2017/10/17
コーネル・ウールリッチは一九〇三年、ニューヨークに生まれた。コロンビア大学でジャーナリズムを専攻したが中退し、一九二六年には早くも初の小説を刊行している。ただし、普通小説の分野ではまったく鳴かず飛ばずの状態が続き、やむなく三〇年代半ばよりサスペンス小説に転向、パルプ雑誌などに短篇を書き始めた。彼の名を一躍高めたのは、四〇年より書き始めた「黒のシリーズ」で、題名に黒の一字が入るムーディーなサスペンス長篇である。このシリーズの代表作には『黒衣の花嫁』(四〇)『喪服のランデブー』(四八)がある。またウィリアム・アイリッシュという別名義でも作品を発表し、こちらでは『幻の女』(四二)『死者との結婚』(四八)などの傑作を著している。

ノワールとハードボイルドのジャンル的な違いを示すのが、コーネル・ウールリッチの存在である。ウールリッチはノワール作家であるが、ハードボイルド作家ではない。ハードボイルド作家と同じく文体の技巧を本願とする作家であるが、その作風には重なるところがない。ハードボイルド作家が描写における視点を第一義的に問題にするのに対し、ウールリッチは描写によって醸し出される雰囲気のみに配慮する作家である。ノワールとはそうしたもので、描き出される構図の歪みと、そこから生じる不安の心理を題材にする小説なのである。

ウールリッチの文体は優れている。技巧が卓越しており、まったくの虚構を描いておきながら、その虚構に現実とつりあうほどの存在感を与えることができる作家なのである。例えば、『喪服のランデブー』一作だけ見ても明らかだ。

ある街角で毎日のように待ち合わせをしてデートをする恋人たちがいた。ところが、その女性の方が、ある日思いがけない出来事によって事故死を遂げてしまう。頭上を飛んでいた軽飛行機から投げ捨てられた瓶が、彼女の頭部を直撃したのだ。遅れてきた青年は、事故の事実を知り、彼女を殺した者に復讐することを決意する。フライトの予定を調べ、搭乗者の名前を手に入れ、長い時間をかけて一人一人殺害していくのだ――。

少し考えればこの小説がいかに現実性を無視しているかがよくわかる。飛行機から投げ捨てられた瓶が人に当たる可能性からしてまず限られたものだろうが、それ以上に殺人者の青年が複数の搭乗者をいかにしてつきとめ、その後を追いながら殺意の機会を持つことができたか、という問題がある。しかも一人は遠洋航路の上で殺害されているのだ。怒りの力はともかくとして、ここまで一人の人間が完壁な追跡者になりうるものなのだろうか?

だが、ウールリッチの筆にかかると、それらの疑問はたちまち氷解してしまう。殺意を向けられた者たちの恐怖と、青年のなんともやりきれない殺意とが小説全域を覆い、有無を言わせぬ説得力を生じさせているからである。特に青年が恋人を喪った街角に巡礼を繰り返す場面には、一種壮絶なまでの情念が漂っている。愛する者へと固着した心は、かくも凄まじき執念となるものなのだろうか。この小説においては然り、である。なぜならば、恋人たちの愛が幸せの絶頂の中で突如として中断されてしまったからだ。突然の暴力によって幸福が奪われる不条理がここでは描かれているが、同時にそれは恋愛の昂ぶりという非日常が日常の中に焼きつけられるという、ありえない奇跡を産み出しているのである。劇的な事件によって日常と非日常の境界が喪われる、その一瞬の浮遊感がウールリッチ最大の特長である。

たとえばそれはアイリッシュ名義の『暁の死線』(四四)では極めて明るい方向に展開する。これは、都会生活に疲れた男女がある晩出会い、夜明けを迎えるまでに巻き込まれた事件を解決して町を出ようと決意する小説である。一種のボーイ・ミーツ・ガール・ストーリーなのだが、まったくありえない固着観念(夜明けまでに町から出られなければ、一生町を出られなくなる)が、この一瞬の浮遊感によって現実感を帯び、読者も主人公の二人とともに死線をめざす冒険に出ることになる。まったくその反対が『死者との結婚』だ。ここでもある都会の生活に疲れた女性が登場する。彼女は列車事故を機に他人になりすまし、優しい男性の愛情を獲得する。ここまでは浮遊が続くのだ。しかし次の瞬間、ウールリッチは彼女の足に錘をつけ、どん底へと投げ込んでみせる。浮遊から墜落まで、その落差が一層の悲劇を呼ぶのだ。哀切極まりない結未の一語は、この作家にしか書けないものだが、そこに極度の人間嫌いであり、結婚にも失敗した作家の素顔が覗けている、と感じるのは少々残酷な見方だろうか。

もちろん彼にも愚作はある。全盛期はいいところ四〇年代の末までで、ヒッチコックが『裏窓』(五ニ)を映画化したころには、すでに自己模倣やまとまりのないプロットをただただ書きのばすだけの三流作家に堕していた。それでも、彼が遺した作品の輝きは少しも損なわれるものではないのである。紹介した他の作品では、やはりアイリッシュ名義の『幻の女』の名を忘れてはいけない。ファム・ファタール=運命の女を描いた小説の典型として、永久に記憶されるべき名作であり、ロバート・シオドマク監督の映画化作品ともども、後のノワール作品に大きな影響を与えた。また、彼は本質的に短篇向きの作家だったが、短篇集はどれも珠玉の出来映えである。

ウールリッチは三〇年の離婚以来母親と二人きりでニューョークのホテル住まいを通した。五七年に母親を喪ってからはアルコール依存症のため廃人同様となり、六八年に亡くなった。個人的な幸せには遠かったが、都市生活者の哀歓を美しく描く、不世出の作家であった。ローレンス・ブロックら、ニューヨークの作家たちは多かれ少なかれ、どこかで彼の作品の洗礼を受けているといっていいだろう。

【必読】『喪服のランデブー』『死者との結婚』『アイリッシュ短篇集1~6』
喪服のランデヴー  / コーネル・ウールリッチ
喪服のランデヴー
  • 著者:コーネル・ウールリッチ
  • 翻訳:高橋 豊
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(322ページ)
  • ISBN-10:4150706018
  • ISBN-13:978-4150706012

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死者との結婚  / ウィリアム・アイリッシュ
死者との結婚
  • 著者:ウィリアム・アイリッシュ
  • 翻訳:中村 能三
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(314ページ)
  • ISBN-10:4150705534
  • ISBN-13:978-4150705534

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晩餐後の物語―アイリッシュ短編集   / ウィリアム・アイリッシュ
晩餐後の物語―アイリッシュ短編集
  • 著者:ウィリアム・アイリッシュ
  • 出版社:東京創元社
  • 装丁:文庫(355ページ)
  • 発売日:1972-03-10
  • ISBN-10:4488120032
  • ISBN-13:978-4488120030

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ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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