作家論/作家紹介
陸沈の思想――幸田文、志村ふくみ、岡部伊都子
志村ふくみ『語りかける花』(人文書院)も『一色一生』以来のファン待望の本だろう。染織の人間国宝である著者が京都嵯峨野での「草木の声をきき、色をいただく」毎日の生活をうつす。どのページを開いても、草や木の色が匂いたち、疲れた深夜の読書には最適の本である。
たとえば梅。「淡い黄味のある紅色が、みずからの灰汁の中でぽおっと赤みを帯び、初々しい紅色に生まれかわる。蕾(つぼみ)をいただいたままの梅が、絹糸のなかでかがやき、ほころんだかと思われて、毎年のことながら勿体(もったい)ないほどのよろこびである」。たとえば曙草。「切れの深い五つの花瓣は淡黄色で、このひとつひとつに面相筆でかいたような濃い紫の玉がちりばめられ、その中に萌黄色の円い玉が二つ、ならんでいる。淡黄色に紫と萌黄。まさに私などねたましいほどの見事な配色である」
こうした繊細な表現の裏に、時間があるだけ機(はた)にしがみついていたい、という著者の生活が浮かび上がる。人生は激しくもあった。
二歳で養女に出され、十八歳で本当の母を知り、母を通して染織と出合った。「自らが招いた業火」の中を「両方の翼に一人ずつ子供をかかえて一気にかけ抜けたこともある。そこを突き抜けた時、仕事を得た。仕事は私を裏切らなかった。裏切るのは私の怠慢だけであった」。強い方だと思う。
とくに心にのこる短文が二つ。友人の一人を「陸沈」と呼んだもの。「海に沈む、のではなく陸に沈む、市井(しせい)にかくれ住むように生きて、その小さな節穴から、じっと世界をみている。その視線は意外に鋭く、虚を衝くようなところがあって、私は時としてたじろぐ時がある」
「陸沈」、私も好きな言葉だ。「市井の人」とか「野に遺賢あり」というよりよほどいい。
志村さんはあとがきで、七十をすぎて山深く、木に会い、崩れを見ようと出かけた幸田文の気力に打たれつつ、「自分はものをとおしてしか書けないとすれば、もっとものの奥に入ってゆき、これだけは見届けたい、伝えたいというものに突き当るまで筆をとってはならない」と覚悟している。
心に残るもう一文。
これが志村さんにとっての「老い」である。幸田さんとはずいぶん違うが、これはまたこれで芳醇濃密な時間といってよい。
最後は岡部伊都子さんの『生きるこだま』(岩波書店)。京都のたおやかな随筆家と思っていた方が、思いがけなく、反戦・差別に関しても気骨ある発言者と知ったのは径書房の『いま、人間として』誌上だったろうか。このじわじわと真綿で首をしめられるような社会で「敢然と怒りつづけることのできる精神」にはげまされてきた。
逝(い)ける人々との魂の交流が主調である。丸岡秀子、末川博、荒畑寒村らの肉声がこのような形で伝えられることをありがたく思う。
が、できたら四章「加害の女から」を冒頭に持ってきてほしかった。やさしく、茶目っ気もあった兄の戦死。そして婚約者の戦死。「何も彼も済ませてゆきたい」と言ったのに、その意味も悟れなかった「私」。その時間も空間もなかった。
「天皇陛下のためになんか、死ぬのはいやだ。国のためとか、君のためなら、よろこんで死ぬけれども」といった彼に、「わたしなら、よろこんで死ぬ」と答えた著者の痛恨。
戦後、軍隊の慰安所に彼だけは「誰がどう言っても。誘っても、笑っても。どうしても行かなかった」と、そのことだけを伝えに北海道からあらわれた戦友がいた。「勇んで死ね」と送り出した恋人である自分を加害者として断罪するこの文章は重い。
読んできて、三人の方とも婚を解いた経験をもつことに気づいた。そして名文とは単に文体の巧みでなく、やはり背骨とする思想の確かさによるものだ、とわかった。手足と体を用いての「ものの覚えかた」でもある。実体験もないままに、読老の求めに応じて軽く跳びはねてみせ、あるいは斜めの言説で人の心をざわつかせるような「エッセイ」とは、これらは読後感がまったく異なる。量は少なくても質のよいものを、それは情報過多の時代の希求となりつつあるのではなかろうか。
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たとえば梅。「淡い黄味のある紅色が、みずからの灰汁の中でぽおっと赤みを帯び、初々しい紅色に生まれかわる。蕾(つぼみ)をいただいたままの梅が、絹糸のなかでかがやき、ほころんだかと思われて、毎年のことながら勿体(もったい)ないほどのよろこびである」。たとえば曙草。「切れの深い五つの花瓣は淡黄色で、このひとつひとつに面相筆でかいたような濃い紫の玉がちりばめられ、その中に萌黄色の円い玉が二つ、ならんでいる。淡黄色に紫と萌黄。まさに私などねたましいほどの見事な配色である」
こうした繊細な表現の裏に、時間があるだけ機(はた)にしがみついていたい、という著者の生活が浮かび上がる。人生は激しくもあった。
二歳で養女に出され、十八歳で本当の母を知り、母を通して染織と出合った。「自らが招いた業火」の中を「両方の翼に一人ずつ子供をかかえて一気にかけ抜けたこともある。そこを突き抜けた時、仕事を得た。仕事は私を裏切らなかった。裏切るのは私の怠慢だけであった」。強い方だと思う。
とくに心にのこる短文が二つ。友人の一人を「陸沈」と呼んだもの。「海に沈む、のではなく陸に沈む、市井(しせい)にかくれ住むように生きて、その小さな節穴から、じっと世界をみている。その視線は意外に鋭く、虚を衝くようなところがあって、私は時としてたじろぐ時がある」
「陸沈」、私も好きな言葉だ。「市井の人」とか「野に遺賢あり」というよりよほどいい。
志村さんはあとがきで、七十をすぎて山深く、木に会い、崩れを見ようと出かけた幸田文の気力に打たれつつ、「自分はものをとおしてしか書けないとすれば、もっとものの奥に入ってゆき、これだけは見届けたい、伝えたいというものに突き当るまで筆をとってはならない」と覚悟している。
心に残るもう一文。
ある朝、あたり一面に霜が下りた時、漸く、自分の影が深い時を刻んで、地上に篆刻(てんこく)されているのを見た。訪問者が静かに扉をたたいたのであろう
これが志村さんにとっての「老い」である。幸田さんとはずいぶん違うが、これはまたこれで芳醇濃密な時間といってよい。
最後は岡部伊都子さんの『生きるこだま』(岩波書店)。京都のたおやかな随筆家と思っていた方が、思いがけなく、反戦・差別に関しても気骨ある発言者と知ったのは径書房の『いま、人間として』誌上だったろうか。このじわじわと真綿で首をしめられるような社会で「敢然と怒りつづけることのできる精神」にはげまされてきた。
逝(い)ける人々との魂の交流が主調である。丸岡秀子、末川博、荒畑寒村らの肉声がこのような形で伝えられることをありがたく思う。
が、できたら四章「加害の女から」を冒頭に持ってきてほしかった。やさしく、茶目っ気もあった兄の戦死。そして婚約者の戦死。「何も彼も済ませてゆきたい」と言ったのに、その意味も悟れなかった「私」。その時間も空間もなかった。
「天皇陛下のためになんか、死ぬのはいやだ。国のためとか、君のためなら、よろこんで死ぬけれども」といった彼に、「わたしなら、よろこんで死ぬ」と答えた著者の痛恨。
戦後、軍隊の慰安所に彼だけは「誰がどう言っても。誘っても、笑っても。どうしても行かなかった」と、そのことだけを伝えに北海道からあらわれた戦友がいた。「勇んで死ね」と送り出した恋人である自分を加害者として断罪するこの文章は重い。
読んできて、三人の方とも婚を解いた経験をもつことに気づいた。そして名文とは単に文体の巧みでなく、やはり背骨とする思想の確かさによるものだ、とわかった。手足と体を用いての「ものの覚えかた」でもある。実体験もないままに、読老の求めに応じて軽く跳びはねてみせ、あるいは斜めの言説で人の心をざわつかせるような「エッセイ」とは、これらは読後感がまったく異なる。量は少なくても質のよいものを、それは情報過多の時代の希求となりつつあるのではなかろうか。
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