匂い立つ祖父の情景
青木玉は幸田文の娘である。すなわち露伴の孫である。露伴は愛妻を失くし、二人の子を失い、後妻と離別した。文は娘一人を連れて実家へ出戻った。かくして親子三代、一人ずつのか細い一家が小石川に暮らす。孫はカラリと晴れている。同時代人にすでに尊重され、我々には“完壁な明治人”とばかり映る文豪露伴は孫にとっては偏屈で面倒なじいさんである。露伴という大猿を引くために文猿と玉猿は七転八倒する。それを描いたのが『小石川の家』(講談社)
持ってきた薬は何のためのものか。
「いえ、お上げしてくるようにって」
「うむ、それでお前は何も聞かずに持って来たのか」……はい、と言っても、いいえと言っても返事にはならない。聞いて来ますの一時のがれも利(き)かない。こういう状態を「三又(さんまた)」といい、いずれ叱られるばかりである。「愚かな奴」といわれて泣いたり怯(ひる)めば「吝(けち)な根性」と一喝である。
九歳の玉さんはこんな気むずかしい祖父の給仕、燗番をさせられる。むろん母は台所。
お銚子の首をつまんで、ちょっとかしげ湯気をさけてお燗がつくのを待つ。始めは何もが冷えているからきもち熱め、すっと引き上げて湯切れを待って、中指薬指の腹で底の熱さを調べ、先ず一つ注ぐ。
“浮かし燗”一つとっても、これは幸田家の芸術である。かぼそく伝える文化である。
お肴がよくお給仕がごたつかず、機嫌よく酔うと祖父は「おっ母さんの所へ行って号外を頼んでおいで」と使いを出す。母は「これで、おつもりにしましょう」とグラス一杯を銚子に入れて出てくる。
きわめて上機嫌なら、「これをちょーいと、こうやって」とお椀のふたを笠に、箸を杖に「静御前はどでごんす」。
無事に夕食がすめば母娘二人、ほっと腰を落とす。「くわばら、くわばら」「鶴亀、つるかめ」。「二度はご免蒙(こうむ)りたい」経験をクールにあざやかにつづりながら、露伴の人柄が懐かしく匂い立つ。さすがに丁々発止の修羅場をくぐった文章である。
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