書評

『私の作家評伝』(中央公論新社)

  • 2024/07/13
私の作家評伝 / 小島 信夫
私の作家評伝
  • 著者:小島 信夫
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(768ページ)
  • 発売日:2024-03-19
  • ISBN-10:4122074940
  • ISBN-13:978-4122074941
内容紹介:
彼らから受け継ぐべきものとは何か――近代日本文学の代表的な文豪十六人の作家と人生を、独自の批評精神で辿り直し、彼らが現代に残した文学的遺産の正体をさぐる、異色の評伝集。本書は、著… もっと読む
彼らから受け継ぐべきものとは何か――
近代日本文学の代表的な文豪十六人の作家と人生を、独自の批評精神で辿り直し、彼らが現代に残した文学的遺産の正体をさぐる、異色の評伝集。

本書は、著者の代表的な長篇小説『別れる理由』と同時期に連載(1968~81年)された評伝シリーズの日本文学篇(海外篇はのちに『私の作家遍歴』として刊行された)。
世界文学にも造詣の深い著者が、いかに深く日本文学を読み込み、その達成を受け継いだかを最も示す評論であり、〈その作家自身の内面にもぐりこんで作品を読み直す〉〈特に、男女関係に鋭く着目する〉など、余人に真似のできない、著者ならではの躍動的な批評眼が発揮された著作でもある(連載中に芸術選奨文部大臣賞)。
また完結時には、本作で試みられた〈評伝中の作家自身の内面にもぐりこむ〉〈自分を評伝の登場人物のように外面的に書く〉という往還的な筆法が、のちの後期コジマ・ノブオの特異な作風=メタ私小説の領域を切り拓いたことを自身、語っている(中野好夫との対談「伝記文学の魅力」1975より)。
そうした重要作でありながら、本作は長らく、『別れる理由』などの派手な経歴の陰に隠れ、注目されてこなかった。
本文庫版は、新潮選書版全三巻(1972~75)を合本にした潮文庫版(1985)を底本とし、さらに、書籍初収録となる柄谷行人・山崎正和との貴重な鼎談を巻末に収録。
日本文学における近代の遺産と現代の基礎づけ、そして彼/女ら=我々と世界文学との接点を再考する上で、いまなお重要な観点を豊富に内蔵した一書として復刊する。

【目次】
永遠の弟子(森田草平)/順子の軌跡(徳田秋声)/狂気と羞恥(夏目漱石)/美貌の妻(森鷗外)/女の伊達巻(有島武郎)/東京に移った同族(島崎藤村)/男子一生の事業(二葉亭四迷)/不易の人(岩野泡鳴)/其中に金鈴を振る虫一つ(高浜虚子)/平坦地の詩人(田山花袋)/明治の弟とその妻(徳冨蘆花)/渋民小天地(石川啄木)/闇汁(正岡子規)/多佳女の約束(続夏目漱石)/神をよぶ姿(泉鏡花)/同じ川岸(近松秋江)/ひとおどり(宇野浩二)
〈巻末鼎談〉「漱石と鷗外の志と現代」柄谷行人×山崎正和×小島信夫(1973)

生きているかのように語られる16人

明治から昭和にかけての作家の生涯と作品を溶け合わせるかのように語られた全十七篇、一行四十字詰め十七行で組まれた、文庫版七六五頁(ページ)に及ぶ大著である。

初出は複数の季刊誌と月刊誌を乗り継いだ複雑な連載のかたちをとっており、しかも一九六七年七月から七四年三月までの長期にわたっている。それが全三巻の新潮選書(七二年に二冊、七五年に一冊)にまとまり、八五年に合本として潮文庫に収録された。本書はこの潮文庫を底本とし、『潮』七三年三月号で行われた山崎正和、柄谷行人との鼎談(ていだん)を併録したものである。

扱われている作家は、森田草平、徳田秋聲(しゅうせい)、夏目漱石、森鷗外、有島武郎、島崎藤村、二葉亭四迷、岩野泡鳴(ほうめい)、高浜虚子、田山花袋、徳冨蘆花、石川啄木、正岡子規、夏目漱石(続)、泉鏡花、近松秋江、宇野浩二の総勢十六名。彼らの実人生と虚構のなかの場面を双方向に出し入れする自在な筆がうるおうのは、男女の機微、嘘と誠、家族や第三者による小さな証言に、生活全体をゆるがすきな臭さをかぎつけた時である。活字でしか知らない書き手がまるで生きているかのように、おまえの弱さはこういう点ではないかと、遠慮なしに問いかける。

あちこちに卓見がある。冒頭に置かれた森田草平は小島と同郷の作家だが、「言葉の奥に、何か恥かしさが瀰漫(びまん)していて、下手にふれると、切りかえしてくるところがある」岐阜弁と、「とりとめのない平地」の人の特徴を語りながら、漱石の弟子にしかなれなかった草平の限界を指摘し、平地生まれでない藤村や、草平の方言を耳で聞いていた師の漱石の文学の一端をも浮かびあがらせる。

徳田秋聲の文学を、背の低さと結びつけ、自分より上背のある女性との関係に意味を与えるあたりも独特だ。秋聲は「人間の営みというものは、第三者にとってみれば、茶の間のきこえてくるお話にすぎない、と感じる一種の冷酷さというもの」を備えていた。さもしく、憐れで、悶々(もんもん)とした時、かんしゃくをおこし自棄になる時、日々の亀裂に秋聲は非凡な観察の眼を走らせる。

他の作家の三倍の言葉が費やされた宇野浩二については、毀誉褒貶(きよほうへん)の対象になる愚直さを超えた「純な心」を持ち、シンプルにものを見た書き手であると評価する一方、それが大家になれなかった原因でもあると断じるのだが、悪口を書いているのか褒めているのか判然としないその口調には不思議な愛が感じられる。これだけの面子(めんつ)を扱って堅苦しい近代文学史にならないのは、紹介された作家たちがいつのまにか厄介な親族に似た存在のようになっているからだろう。

要するに本書は評伝ではなく一篇の長篇小説なのだ。逸話の膨張ぶりはもとより、すぐ横道にそれていく語り口、そして先人の研究からこぼれた、人生において「一番何でもないこと」「平凡なこと」への執拗(しつよう)なまなざしがつくりだす空気は、このあと小島信夫自身が書き継いでいくことになる長篇小説のそれに酷似している。おそらく、この一連の散文がなかったら、一九八〇年代以後の小島信夫の、「とりとめのない平地」のような小説は存在していなかっただろう。画期をなす創作として、二読三読を推奨したい。
私の作家評伝 / 小島 信夫
私の作家評伝
  • 著者:小島 信夫
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(768ページ)
  • 発売日:2024-03-19
  • ISBN-10:4122074940
  • ISBN-13:978-4122074941
内容紹介:
彼らから受け継ぐべきものとは何か――近代日本文学の代表的な文豪十六人の作家と人生を、独自の批評精神で辿り直し、彼らが現代に残した文学的遺産の正体をさぐる、異色の評伝集。本書は、著… もっと読む
彼らから受け継ぐべきものとは何か――
近代日本文学の代表的な文豪十六人の作家と人生を、独自の批評精神で辿り直し、彼らが現代に残した文学的遺産の正体をさぐる、異色の評伝集。

本書は、著者の代表的な長篇小説『別れる理由』と同時期に連載(1968~81年)された評伝シリーズの日本文学篇(海外篇はのちに『私の作家遍歴』として刊行された)。
世界文学にも造詣の深い著者が、いかに深く日本文学を読み込み、その達成を受け継いだかを最も示す評論であり、〈その作家自身の内面にもぐりこんで作品を読み直す〉〈特に、男女関係に鋭く着目する〉など、余人に真似のできない、著者ならではの躍動的な批評眼が発揮された著作でもある(連載中に芸術選奨文部大臣賞)。
また完結時には、本作で試みられた〈評伝中の作家自身の内面にもぐりこむ〉〈自分を評伝の登場人物のように外面的に書く〉という往還的な筆法が、のちの後期コジマ・ノブオの特異な作風=メタ私小説の領域を切り拓いたことを自身、語っている(中野好夫との対談「伝記文学の魅力」1975より)。
そうした重要作でありながら、本作は長らく、『別れる理由』などの派手な経歴の陰に隠れ、注目されてこなかった。
本文庫版は、新潮選書版全三巻(1972~75)を合本にした潮文庫版(1985)を底本とし、さらに、書籍初収録となる柄谷行人・山崎正和との貴重な鼎談を巻末に収録。
日本文学における近代の遺産と現代の基礎づけ、そして彼/女ら=我々と世界文学との接点を再考する上で、いまなお重要な観点を豊富に内蔵した一書として復刊する。

【目次】
永遠の弟子(森田草平)/順子の軌跡(徳田秋声)/狂気と羞恥(夏目漱石)/美貌の妻(森鷗外)/女の伊達巻(有島武郎)/東京に移った同族(島崎藤村)/男子一生の事業(二葉亭四迷)/不易の人(岩野泡鳴)/其中に金鈴を振る虫一つ(高浜虚子)/平坦地の詩人(田山花袋)/明治の弟とその妻(徳冨蘆花)/渋民小天地(石川啄木)/闇汁(正岡子規)/多佳女の約束(続夏目漱石)/神をよぶ姿(泉鏡花)/同じ川岸(近松秋江)/ひとおどり(宇野浩二)
〈巻末鼎談〉「漱石と鷗外の志と現代」柄谷行人×山崎正和×小島信夫(1973)

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2024年4月6日

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