書評

『20世紀最後の戯曲集』(新潮社)

  • 2020/03/09
20世紀最後の戯曲集 / 野田 秀樹
20世紀最後の戯曲集
  • 著者:野田 秀樹
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(210ページ)
  • 発売日:2000-09-01
  • ISBN-10:4103405120
  • ISBN-13:978-4103405122
内容紹介:
鶴屋南北戯曲賞、紀伊国屋演劇賞個人賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞した野田演劇の記念碑的作品集。
戯曲読んだことありますか? ありませんよね。戯曲は読むものじゃなくて、観るものだと思ってるもの、フツーは。戯曲を必要とするのは、主に高校の演劇部や大学の演劇サークルなんかに入ってる人たちで、あとはせいぜいのところが、研究者か評論家。つまり、戯曲っていうのは、演劇関係の人しか読まないテキストなのだ。

でも、考えてみると不思議でもある。同じ文字で書かれたものなのに、活字中毒を自認する人たちですら、ほとんど戯曲を読まないなんて。描写にあたる地の部分がなくて、台詞だけで構成されてるから物足りないと思ってるんだろうか。たしかに戯曲には、舞台転換や役者の入退場・立ち位置の指示はあっても、小説における地の文章は存在しない。戯曲の場合、描写は演出に委ねられるから。その台詞を口にする時、登場人物がどんな気持ちなのか、周囲の雰囲気はどう変化するのか、それらは演出家の解釈による。だから、毎月どこかで上演されてるチェーホフの『三人姉妹』なんかでも、演出家と役者によって「これが同じ作品!?」ってくらいの出来不出来の差があったりして、まあ、そこが戯曲の面白さであり、難しさなんだけど。

でも、考えてみると小説だってそんなところなきにしもあらず。同じ作品でも読み手の読解力によっては、まるで別の物語になっちゃうことがあるんだから。つまり、面白い作品っていうのは、小説、戯曲かかわらず一筋縄にはいかない何かを抱えているんだと、わたしは思う。誤解と非難を恐れずに言えば、ベストセラーの多くはその逆で、読解力が必要とされる描写じゃなく、誰が読んでもわかる説明によって成立している平板さゆえに売れているんじゃないかと疑うんだけど、どう思いますか。って、アレ、話が逸れちゃった。

つまり、何が言いたいかというと、だから戯曲は読んでも面白いってこと。生身の役者が喋って動いてっていう前提で書かれているから、小説を読む時よりも想像力が必要とされるけれど、でも大丈夫。優れた戯曲の台詞は、地の文に頼れない分、小説のそれよりもイメージを喚起させる力に溢れているから。たとえば、『20世紀最後の戯曲集』の中に収められた『パンドラの鐘』。九九年の暮れ、野田秀樹氏と蜷川幸雄氏がそれぞれ違う役者を使ってほぼ同時期に上演したことで話題になった作品なんだけど、これがすっごくいい。

太平洋戦争開戦前夜の長崎。遺跡発掘が行われている現場で、考古学者の助手オズは想像力によって、数々の発掘物から歴史の闇に葬り去られていた古代王国の姿を鮮やかに蘇らせていく。それは、兄の狂王を幽閉し王位を継いだヒメ女と葬式王ミズヲの物語。ミズヲが異国で掘り出してヒメ女に捧げた巨大な鐘の謎をめぐって、二つの時間、二つの空間が重なっていき――。

時代や国が違っても、たとえば誰かを好きになる気持ちは普遍的。その普遍を軸にすれば、舞台上の時空が一瞬にして現代から過去へ、日本から異国へ変わっても不自然じゃない。うろ覚えで恐縮だけれど、かつて野田氏は、そんな風に変幻自在な自分の作風を解説していたことがあると記憶している。

この戯曲もそうだ。自分が犠牲になることで原爆投下を防いだ女王が存在した幻の古代王国と、原爆が投下されてしまった現実の日本。二つの世界を重ねることで、野田氏はとても勇気ある仮説を提示している。次に挙げる台詞を読んでほしい。

大きな穴を掘って、この鐘を埋めるの。私と一緒に、もうひとつの太陽を爆発させる術も息絶える。ミズヲ、(中略)埋めるのがお前の仕事。そして埋められるのが、滅びる前の日の王の最後の仕事よ。これができないものは、葬式王なんて名乗ってはいけない。それができないものは、滅びる前の日に女王などと呼ばせてはいけない。

わたしはこの台詞にショックを受けたものだ。だって、ここで野田氏が敢然と触れているのは、天皇の戦争責任なんだから。もっと言えば、この台詞は「日本には王が存在しなかったから原爆が落とされた」と読み換えることだって可能なのだ。そして、ヒメ女はこう言い放つ。

埋めてさしあげて、私を。

野田秀樹といえば、ひとつの言葉や概念に幾つものの意味を持たせる遊びの名手として知られているし、この戯曲でもそれらは効果的に多用されてもいるけれど、もっとも素晴らしい台詞はこれだと思う。とてつもなくセンスのいい言葉の選び方だと思う。〈埋めてさしあげて〉。自分に対して敬語を使う、この一言にヒメ女の王としての気高い心性の全てがこめられている。舞台でこの台詞を聞いた時は、総毛立ちましたよ、わたしは。

一九〇〇年代最後の年、最後の日に、そんな言葉が生まれたことを、わたしはしっかり覚えておきたいと思う。こんな物語が小説ではなく戯曲から生まれたことも、覚えておきたいと思う。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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20世紀最後の戯曲集 / 野田 秀樹
20世紀最後の戯曲集
  • 著者:野田 秀樹
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(210ページ)
  • 発売日:2000-09-01
  • ISBN-10:4103405120
  • ISBN-13:978-4103405122
内容紹介:
鶴屋南北戯曲賞、紀伊国屋演劇賞個人賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞した野田演劇の記念碑的作品集。

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初出メディア

ダカーポ(終刊)

ダカーポ(終刊) 2000年12月6日号

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