読書日記

町田康「読書日記」週刊エコノミスト2016年5月17日号|『アリスはどこへ行った?』『金太郎の母を探(たず)ねて 母子をめぐる日本のカタリ』

  • 2017/12/02

アリスが不思議の国にいる間 家族や友人はどうしていたか

この30年というもの1日も欠かすことなく浴びるように飲んでいた酒を昨年の12月26日、完全にやめた。したところどうなったか。特にどうと言うことはない。やめるまでは、「酒は涙か溜息(ためいき)か。心の憂さの捨て所」いう有名な文句の通り、酒で紛らわしていた憂愁の念が日々に溢(あふ)れてとんでもないことになるのではないか、と懸念されたが、いざよしてみるとそれほどのこともない。というのは憂愁の念が酒に酔って消えていたのではなく、酔いに取り紛れていただけだからだろう。憂愁の念は低値で安定してずっとあり、急激に不安になったり嬉しくなったりしないだけなのである。

ただ百箇日を過ぎる頃より、酒を飲んで後悔する夢を見るようになった。夢より醒(さ)めて、「ああ、夢でよかった」と安堵の胸を撫(な)で下ろす。そんな風に日々が過ぎていく。因果なもんでござあすな、とか言いながら読んだのは、グレゴリー・マグワイア著、富水和子訳の『アリスはどこへ行った?』(ハーパーコリンズ・ジャパン、1700円)であったああああっ。と、文末がディレイするのは本書がかの有名なルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の残響のような作品だからである。

アリスはどこへ行った?  / グレゴリー マグワイア
アリスはどこへ行った?
  • 著者:グレゴリー マグワイア
  • 翻訳:富永和子
  • 出版社:ハーパーコリンズ・ ジャパン
  • 装丁:ペーパーバック(320ページ)
  • 発売日:2016-04-16
  • ISBN-10:4596552010
  • ISBN-13:978-4596552013

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御存知のように『不思議の国のアリス』のアリスは不思議な地下の世界を経巡(へめぐ)る。それはそれでまあよいというかよくないというかしょうがないのだけれども、その間、アリスの家族や友人や知人はどうしていただろうか。そりゃあ、出番を待つ俳優のように控室でぼうっとしていたわけではなく、なにかをしていただろうし、なにかを感じていただろうから、そのあたりをひとつ描いてみよう、という趣向である。

ということはこれは、不思議の国を、夢のような世界、とすれば、物語の場所であるオックスフオードという現(うつつ)の世界を描いている、ということになる。確かにそのような現の世界に暮らす、メルヘンの世界にはけっして現れぬ、人間の生々しい感情の襞(ひだ)や欲望が描かれて笑いどころとなっているのだけれども、さらに複雑でおもしろいのは、そのような現の世界からアリスの落ちた夢の世界に落ち、アリスを探し始める少女が登場する点で、これは夢し対になる現実のさらに対になる夢のようなもので、現実を隔てて夢が鏡のように向かい合う仕組みになっている。

この仕組みによって厳然と隔てられていた夢と現の世界が混ぜ合わせ丼のようになって、夢のすぐ隣に現があり、その現のすぐ隣にまた夢があるみたいなことになる。これはおもしろいことだが、私たちの意識にとってはたいへん危険なことであるのかも知れない。なんでかと言うと、私たちの意識がひとつのまとまりを保って生きていられるのは自分という牢獄(ろうごく)に繋(つな)がれているからこそで、その牢獄から脱走すること、自分という鎖を解き放って自由になることは、現実のしがらみや欲望や身体的特徴から解放されて夢の世界に飛翔(ひしょう)するとも言えるが、それは黄泉(よみ)への下降、すなわち死でもあるからである。

不気味な子・金太郎


夢はいつも魅惑的。だけど死にたくない。生きていたい。この矛盾する気持ちを私たちは抱えて生きている。どっちに転ぶかは自分次第だが、大抵は醒めて、夢でよかった、と思いつつ、日が沈んで後は牢獄の壁を見つめて溜息をつくのである。そういう意味でこの本は夢と現、生と死、魂と肉体その他、同時同所にあるはずのないものが混在して魅惑。私は小鳥のようにチュンチュラと啼(な)いた。現実に帰還してよかったと思うか夢が潰(つい)えてしまったと思うかは読む人次第であろう。そのとき想像力は破滅をもたらすのかな。

なんて思いつつ次に読んだのは、西川照子の『金太郎の母を探(たず)ねて 母子をめぐる日本のカタリ』(講談社選書メチエ、1550円)で、言われてみれば桃太郎や浦島太郎と比べて金太郎というのはその知名度とは裏腹になにをしているかはっきりしない不気味な子供で、いったいどういうことだろうと思って読むうち、自在自由に天界地界人界を飛翔し、古代と中世を一瞬で行き来する著者の想像力にボコボコにされて、家の近所の箱根神社に参った後、海賊船に乗ってみたい、と思ってしまった。ルルル。

金太郎の母を探ねて 母子をめぐる日本のカタリ  / 西川 照子
金太郎の母を探ねて 母子をめぐる日本のカタリ
  • 著者:西川 照子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(216ページ)
  • 発売日:2016-04-12
  • ISBN-10:406258624X
  • ISBN-13:978-4062586245
内容紹介:
金太郎は妖怪「山姥」の子供だった。──日本人なら誰でも知っている英雄の母を求めて、古代から中世をめぐる探求の旅!

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週刊エコノミスト 2016年5月17日

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