作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】ライオネル・ホワイト『逃走と死と』『ある死刑囚のファイル』

  • 2017/12/20
一九〇五年ニューヨーク州バッファロー生まれ。犯罪実話雑誌の編集者を経て作家となる。リアリスティックなタッチで描いた犯罪小説『The Snatchers』でデビュー、この作品をもとにじっさいにフランスで誘拐事件が発生、センセーションを巻き起こす。

ハウスネームによるペーパーバックを含めるとその作品数は膨大なものとなるが、ホワイト名義では、スタンリー・キューブリックの映画「現金に体を張れ」の原作となった強奪小説『逃走と死と』が代表作とされている。

ライオネル・ホワイトという、わが国ではあまり知名度の高くないノワール作家は、何よりもまず、『逃走と死と』という傑作ノワール小説を書いたという一点で、じゅうぶん記憶に残されるに値する。

五人の男たちが、それぞれの事情から、競馬場の売上金を強奪しようとする物語――『逃走と死と』のメイン・プロットは以上、シンプルだ。だが、緊密きわまりないプロット展開、冷徹な人間観察とそれを綴る文体、デスペレートな空気を湛えた疾走感、そして皮肉で悲劇的な結末と、まるで暗黒小説のひとつのお手本のような傑作なのである。本書を原作にスタンリー・キューブリックが監督した映画『現金に体を張れ』も、アメリカ産フィルム・ノワールの傑作(因みに脚本にはジム・トンプスンがアドヴァイザーとして参加している)となっており、そうした意味でも、『逃走と死と』はノワール史において看過すべからざる名品なのである。

このライオネル・ホワイトは、残念ながら不遇な作家で、邦訳はわずかに二作(もうひとつは『ある死刑囚のファィル」)、本国でも復刊の網からこぼれ落ちている。

一九五〇年代のアメリカという、パルプ・ハードボイルド/ノワール黄金時代に活躍したホワイトは、(当時としては)過剰な性と暴力の描写という点で注目を集めた。もっとも、性/暴力描写を大胆に盛り込んだ娯楽小説は、パルプ・ハードボイルド作家リチャード・S・プラザーやミッキー・スピレインらを代表に、この当時ベストセラー・リストを席巻していた。ならばなぜ、ホワイトのそうした描写だけが「読者サービス」と解釈されずに特筆されてしまうのだろう。

それは、ホワイトの性/暴力描写が、プラザーのそれのような「小酒落たお色気」でもなく、スピレインのマイク・ハマー物のようにカタルシスを指向した「復讐としての暴力」でもなかったためだ。ホワイトにおけるそれは、例えば犯罪者によるレイプであり、唐突に振るわれる理不尽な暴力だった。それは現在の目から見ても、「娯楽小説」の枠を逸脱したディスタービングな印象を与える「過剰さ」を感じさせるものだったのだ。

作品歴からは異色とされる、非常に静的な作品『ある死刑囚のファイル』を読むと、ホワイトの作家的姿勢がかたちをとりはじめる。この長篇は、ひとりの男の犯罪計画が破綻し、結果としてその男が冤罪によって死へ追いやられてゆくさまを、淡々とした筆致で綴った作品で、まったく派手な描写も事件もないが、強烈な恐怖と絶望、そして社会システムの無慈悲さを描ききっている。この作品から見えてくるのは、冷徹に社会/人間のふるまいを見つめるジャーナリスティックといってもいいホワイトの作家的態度だ。

一方で、『Rafferty』というサスペンスも残しており、ここでは悪名高い全米トラック運転手組合のボス、ジミー・ホッファをモデルにしたとおぼしき人物の盛衰を描いている。労働争議や組合の不正、その内部にいる者の苦闘・恐怖をクライム・ノヴェルの枠組みで書いた作品など、ミステリ史においてほとんど類を見ない(他にドナルド・E・ウェストレイクの『その男キリィ』くらいか)。

つまりホワイトという作家の根底にあるのは、冷徹なリアリズムなのだ。ホワイトにとっては、競馬場襲撃計画も労働運動もレイプも殺しも冤罪も、すべて現実のできごととして等価だったのではないか。

ここで、ホワイトがかつて犯罪実話雑誌の編集に携わっていたことが重要に思えてくる。そこでホワイトは、さまざまな犯罪・犯罪者のディテールを知ったのにちがいない。なぜなら作家としては最晩年にあたる一九七四年に、『Protect Yourself, Your Family and Your Property in an Unsafe World』なる本(版元名から見るかぎりハウツー本と見て間違いなさそうだ)を上梓しているからだ。

ホワイトは、とりたてて扇情性を狙ったわけではない。「これが現実だ」と、自分の知る世界をリアルに描いただけだったのだ。だがその「現実」は、当時の社会にセンセーションを巻き起こし、今日の批評家(多くの批評家が、ホワイトを語る際に暴力/性描写に言及する)にも衝撃を与えてしまった。ろくでもない現実から目をそらさないリアリズム――それがホワイトの最大の特徴だ。苦境から這い上がろうと犯罪に手を染める悪党(ホワイトは強奪小説の名手だった)、歪んだ世界の論理に則ってのし上がる男、機能不全を起こしたシステムに抹殺される人間――彼らのあがきをカメラのような冷たい眼が捉えてゆく。そのリアリズムの世界には、ヒーローめいた「正義」など登場しない。『逃走と死と』は、戦後のノワールを代表する傑作である。そこには、もはや娯楽小説の枠をはみ出してしまうほど冷徹な筆致で描かれた、一九五〇年代の様相がある。ノワールが隆盛をきわめた時代の様相が。ホワイトは五〇年代アメリカン・ノワールを代表する作家のひとりなのだ。再評価の機運が高まり、その作品が復刊されることを望みたい。(霜月)

【必読】『逃走と死と』『ある死刑囚のファイル』
逃走と死と   / ライオネル・ホワイト
逃走と死と
  • 著者:ライオネル・ホワイト
  • 翻訳:佐倉 潤吾
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:新書(181ページ)
  • 発売日:1961-08-15

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ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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