読書日記

鹿島茂「私の読書日記」- 週刊文春2017年9月21日号 - 鈴木宏『風から水へ ある小出版社の三十五年』(論創社)、京樂真帆子『牛車で行こう! 平安貴族と乗り物文化』(吉川弘文館)

  • 2018/02/06

週刊文春「私の読書日記」

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九月二十三日から開催予定の「フランス絵本の世界」展(群馬県立館林美術館)のカタログつくりが佳境に入ったが、ほぼ同時期に新刊本がさらに三冊も出る。今年はすでにカタログ一冊と新刊四冊を上梓しているので、なんと一年で新刊九冊! 過去最高は年八冊だから新記録である。おかげで夏は一日も休日なし。一人ブラック企業というべきか。

ところで、社長が社員を兼務する一人ブラック企業の典型が小出版社だが、小出版社の中で「歴史」に残る出版社といったら、「書肆風の薔薇」から社名変更を経て売れない本を三五年間出し続けた「水声社」にとどめを刺す。鈴木宏『風から水へ ある小出版社の三十五年』(論創社 3000円+税)は、「出版人に聞く」シリーズの小田光雄による、この奇跡のような小出版社社主への徹底インタビューである。

著者は一九四七年に宮城県に生まれ、神奈川県立横浜翠嵐高校から東京都立大に進み、英文科から仏文科に入り直し、大学院修士に在籍中、偶然から出版界に入る。紀田順一郎と荒俣宏の伝説の雑誌『幻想と怪奇』の版元のHという人物からリニューアルを頼まれ、「ボルヘス特集」の原稿依頼を行っている最中に『幻想と怪奇』が休刊になってしまう。すでに原稿は集まってきていたので、都立大時代に薫陶を受けた美術評論家の宮川淳に相談したところ「エパーヴ」を紹介され、『meme』という雑誌を立ち上げるが、その後、しばらくして「エパーヴ」は倒産。いっぽう紀田順一郎と荒俣宏は版元を国書刊行会に変えて『世界幻想文学大系』という壮大な文学全集の刊行を企てたのだが、仏教・国文学関係の復刻出版社だったので編集者がいない。「そこで、紀田さん、荒俣さんが、『幻想と怪奇』の編集を手伝っていた私を、無理やり(かどうかは、もちろん分かりませんが)国書刊行会に押し込んだわけです」。

この国書刊行会で著者が企画した叢書というのがすごい。《ゴシック叢書》三〇巻、《ラテンアメリカ文学叢書》一五巻である。この「歴史」に残る常軌を逸した叢書が出始めたころ、私は「これで国書刊行会の倒産は決まった」と感じたが、驚くべきことに叢書は完結し、国書刊行会も倒産せずに今日に至っているのである。だが、こうした驚異的な叢書を編集しながらも、著者はルーティン・ワークの空しさを感じ、一九八一年に独立して「書肆風の薔薇」を創業する。このときの「趣意書」が巻末に付録としてついている。「私たちの課題は、言語への問いを問うことによって、批評の場、ある共通の問題意識を有する批評の場を創出し、そのことを通じて、著者/編集者/読者が互いに置換可能であるような、一種の文学共和国の夢を夢みること、このことではないでしょうか」。なるほど、これこそ出版人の究極の夢だろう。巻末付録には書肆風の薔薇↓水声社の刊行書一覧も出ている。ちなみに「書肆風の薔薇」という社名はどのようにして命名されたのか?「これは翻訳(語)なんですよ。地図などの端の方に、方位を示す『配風図』というのがありますね。あれが『薔薇』に似ている(?)ということで、フランス語では“rose des vents”――英語では“wind rose”――というらしいのです。これの逐語訳です」。

では、書肆風の薔薇から水声社への社名変更はどのような経緯によるのか? ロシア文学関係の白馬書房を買収したことから、取次口座が複雑になり、新しい社名に変える必要が生まれたためである。本当は水星社にしたかったが、同名の出版社がすでにあったため一字変更して水声社となった。後に、この言葉を三好達治の詩に発見する。

しからば、こうした小出版社の「歴史」のどこに読み所があるかといえば、それは次の二点である。第一は、徳間書店の吉本隆明担当から転じて弓立社を創業した宮下和夫(著者は日仏学院に在籍中に知り合う)、『現代思想』(青土社)の編集から朝日出版社に移って『エピステーメー』を創刊し、哲学書房を興した中野幹隆(著者は『現代思想』にルソーについての論稿を寄稿)、それに文芸誌『海』の編集者時代に著者を「発見」し、後にスーパー・エディターを名乗るようになった安原顕といった個性的な出版人の見事なポルトレが語られているところだろう。第二は、経理面での詳細データの公開である。これは小出版社を興そうとしている青年、あるいは小出版社の経済構造を調べようとする歴史家にとって非常に役に立つと思われる。なかでも面白いのは、ある年に例外的に黒字が出そうになったので印税・原稿料を経理上「未払い金」として計上したところ、税務署から税務調査が入り、未払いの発生時期が古すぎる、そんなに長期間、債権者(著者、訳者)が黙っているはずがないと架空請求を疑われたというエピソード。税務署による独自調査の結果、ほとんどの債権者(著者、訳者)が未払いの存在を認め、印税が払われるはずがないと初めから覚悟していたという事実が判明したのだ! このエピソードを読んで、私は以前このページで披露したことのある自作アネクドートを思い出した。「ある良心的出版社の社長曰く、『なんだあいつ(著者、訳者)は! 金のことしか言わないじゃないか。この俺を見ろ、金のことなんか一言も口にしたことがない』」。

いずれにしろ、バルザック『幻滅』の現代版に挑戦しようという小説家がいたとしたら、掛け替えのない貴重な資料となること請け合いの証言である。

風から水へ─ある小出版社の三十五年 / 鈴木 宏
風から水へ─ある小出版社の三十五年
  • 著者:鈴木 宏
  • 出版社:論創社
  • 装丁:単行本(384ページ)
  • 発売日:2017-06-23
  • ISBN:4846015971

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その昔、『馬車が買いたい!』のために馬車の歴史を調べたとき、馬車というのは重量物運搬のためでも公共交通のためでもなく、権力者や金満家の衒示的欲求、すなわち階級ドーダのために誕生したものであることに気づいたが、日本の平安時代の牛車(ぎっしゃ)についてこれと同じことを証明したのが京樂真帆子『牛車で行こう! 平安貴族と乗り物文化』(吉川弘文館 1900円+税)

まず、最初に強調されるのが、牛車の階級弁別性。「牛車は乗車する人の身分・階層を表すツールで、時には個人特定がなされる。つまり、その人にふさわしい車種がある、ということである」。具体的にいうと、高級外車に相当するのが太上天皇・皇后・摂政・関白が乗る屋根の形に特徴がある唐車(からぐるま)(唐庇車(からびさしぐるま))。国産高級車相当が檳榔毛車(びろうげのくるまけ)(毛車(けのくるま))で、四位以上の大臣・大納言・中納言が乗る。次の国産中級車相当が糸毛車で、これには中宮・東宮・女御などが乗り、女車と見なされる。国産大衆車に当たるのが網代車(あじろぐるま)。ちなみに天皇は牛車ではなく輿(こし)に乗る。

このように、牛車が階級的・性別的に区別されていると、当然ながら、男女の逢瀬で身分を隠す必要があったり、敵を欺いたりするときには別の牛車が使われることがある。またジェンダーを偽る必要があるときにもこの性別的特徴が使われた。「女性が牛車に乗っていると、それとわかる仕組みが二つあった。それは、簾の内側に布の下簾を掛けること、そして簾の下から重ねた衣をのぞかせる、ということである」。後者を出衣(いだしぎぬ)という。ただし、乗車している女性が本当に衣をのぞかせるのではなく、出衣用に準備した衣の袖や裾を出しておくのだ。よって、「車内に女性がいなくとも、飾りの袖さえ置いておけば女車に見せかけることができる」。『今昔物語集』に出てくる三人の田舎出の武士はこのルールを知らずに下簾だけを掛けたので「心悪〔※りっしんべんに悪〕き女車」つまり訳ありの女車のように見えてしまったという。このほか牛車は後ろから乗って前から降りるルールがあることを木曽義仲は知らなかったので従者に馬鹿にされたといったバルザック的なエピソードも紹介されていて楽しい。車はいつの時代でも階級ドーダのための最高のツールなのである。

牛車で行こう!: 平安貴族と乗り物文化 / 京樂 真帆子
牛車で行こう!: 平安貴族と乗り物文化
  • 著者:京樂 真帆子
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(164ページ)
  • 発売日:2017-07-06
  • ISBN:4642083189

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週刊文春

週刊文春 2017年9月21日

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