作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】ローレンス・ブロック『暗闇にひと突き』(早川書房)、『八百万の死にざま』(早川書房)、『倒錯の舞踏』(二見文庫)

  • 2018/07/26
一九三八年ニューヨーク州バッファロー生まれ。学生時代から執筆活動を開始し、そのキャリアの初期においては、さまざまな筆名を使いわけながら、多数の作品を発表する。

一九七六年に、私立探偵マット・スカダーが登場する初の長篇『過去からの弔鐘』を発表、スカダーのシリーズは、現在もなお書き継がれており、ほぼ同時期に長篇『泥棒は選べない』で開始された泥棒バーニィ・ローデンバーを主人公とする連作と並んで、ブロックが人気作家となる礎となった。

〈犯罪悲劇の解剖〉というロス・マクドナルドのスタイルを、もっとも意識的に受け継いだのは、「ネオ・ハードボイルド」とわが国では称された、ローレンス・ブロックとマイクル・コリンズであったろう。

ロス・マクが犯罪の発生源として「アメリカの家族(病理)」を凝視したのに対し、ブロックらは、同様の問題意識を保ちつつ、より視野を広げた、と言えばいいだろうか。つまり、彼らの作品においては、私立探偵小説の枠内で、「アメリカ社会(の病理)」が断罪されていることになる。しかしながら、ブロックの私立探偵マット・スカダーの連作は、ロス・マク的な私立探偵小説でありながら、最終的にハードボイルドの枠組みを解体していったという点で、特異な作品群と言える。

『過去からの弔鐘』からの初期三作は、全編を覆うペシミスティックなムード、グルーミーな叙景、結末で明かされる犯罪悲劇といった要素を含み、(プロットの線が細いという弱点はあるにせよ)ロス・マク型私立探偵小説の形式を忠実に守った作品となっている。だが、第四長篇『暗闇にひと突き』で、物語に大きな変化が生じ、それは大作『八百万の死にざま』でいったん総括されることになる。

この「変化」は、まず表面的には、「プロットがさらに脆弱になった」と言うことができる。『暗闇』も『八百万』も、物語の焦点となるべき「事件」に割かれる紙数は非常に小さく、ミステリ的に見ても、いちおうの伏線はありはしても、いずれにおいても犯人の登場の仕方はあまりに唐突だし、主人公の推理は思いつきにすぎないし、事件の必然性もきわめて希薄だ。

ならばこの二作は駄作なのかと言えば、まったくそうではない。ロス・マク以降に書かれた私立探偵小説のなかで、この二作は五指に入る傑作なのである。

さきに列挙した、通常のミステリであれば減点材料にしかならない諸点は、八〇年代から今日に至る都市社会を覆っている無力感・絶望・諦観を描出する装置なのだ。プロットの線が細くなったぶんだけ空いたスペースに、ブロックは何を描きこんだのか。それは、当時、世界一頽廃した都市であったニューヨークで、ランダムに噴出する理不尽な死、理解不可能な不幸事――それらを捜査の途上で見、聞き、新聞で知った一人称の語り手、スカダーの目を通してスケッチしてゆくのだ。

このスカダーという男は、かつて警官だった頃、逃走する強盗を射殺、その際に跳弾で少女を誤って殺している。このときの罪悪感と自責の念が、スカダーのなかには残っている。かつて評論家・関口苑生が喝破したように、この連作におけるスカダーの最大の関心事は、「罪と罰との整合性」の追求なのだ。そんなスカダーの周囲で無数にひしめく理不尽な死は、「罰されぬ罪」の膨大さを印象づけ、スカダーが追う事件=ひとつの死を相対化してゆく。彼が追っている、たったひとつの罪に罰を与えたところで、何の意味があるのか――この問いが『暗闇』と『八百万』で、スカダ―の内面を徐々に侵してゆく。

こうした「私立探偵の絶望」というテーマは、スカダーの私闘を描く第八長篇『墓場への切符』を踏まえて書かれた第九作『倒錯の舞踏』で頂点をみせる。この作品の衝撃的なクライマックスに、ありふれたハードボイルド・ミステリ(例えば口バート・B・パーカーのスペンサー・シリーズ)のようなカタルシスを見るべきではない。ブロックがカタルシスを意識していたのだとしたら、そこにおける暴力の噴出は、あまりにも凄惨で過剰だ。ここで描かれているのは、あふれかえる都市の暴力/狂気/死に対して、一個人では何の対抗もできはしないという絶望だ。そして、ついにスカダーが「私立探偵」という存在の定型から逸脱したという事実だ。

つづく『獣たちの墓』で、同じ主題をさらに凄惨に描き、ブロックは「私立探偵の絶望」を語る三部作を完成させた。この「三部作」が描き出したのは、「正義を担う一個人」という共同幻想に支えられた「私立探偵」という存在と、それに依拠した伝統的なハードボイルド・ミステリというものとが、「絶対的正義」の相対化/解体によって、もはや現実には有効性をもたないファンタジーでしかなくなったことだった。スカダーのみにとどまらず、すべてのハードボイルド・ミステリ内の探偵たちの絶望が描き出されたのだ。

そして時代は現代ノワールと呼ばれるものへと手渡された。ブロックの諸作――『暗闇』から『八百万』を経て『倒錯の舞踏』に至る――は、正統派私立探偵小説という形式に引導を渡し、私立探偵小説からノワールへという転回を象徴した作品群として、きわめて重要だ。「正義の体現者」でありつづけてきたハードボイルド探偵たちの足下から「誰もが信じる正義」という地盤が消え失せ、「正義」が果てしなく解体されてゆくなかで、個人的価値/正義の暴力的追求という、私立探偵小説の新たな方向性を提示してみせたのが、ローレンス・ブロックだったのだと言えよう。

【必読】『暗闇にひと突き』(早川書房)、『八百万の死にざま』(早川書房)、『倒錯の舞踏』(二見文庫)

暗闇にひと突き / ローレンス ブロック
暗闇にひと突き
  • 著者:ローレンス ブロック
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(294ページ)
  • ISBN:4150774528

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八百万の死にざま / ローレンス ブロック
八百万の死にざま
  • 著者:ローレンス ブロック
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(503ページ)
  • 発売日:1988-10-01
  • ISBN:415077451X

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倒錯の舞踏 / ローレンス ブロック
倒錯の舞踏
  • 著者:ローレンス ブロック
  • 出版社:二見書房
  • 装丁:文庫(478ページ)
  • 発売日:1999-05-01
  • ISBN:4576990713

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初出メディア

ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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