読書日記

大垣貴志郎『物語 メキシコの歴史』(中央公論新社)、柄谷行人『世界史の実験』(岩波書店)

  • 2019/05/07

メキシコで『世界史の実験』を読む

×月×日

急遽、メキシコシティに行くことになった。メキシコの生んだ偉大な建築家ルイス・バラガンの写真集を眺めているうちに、彼の設計した自宅やサン・クリストバル厩舎を何としても見たくなったからである。メキシコシティに向かう直行便で読んだのは大垣貴志郎『物語 メキシコの歴史 太陽の国の英傑たち』(中公新書 八四〇円+税)。

一読した印象を述べると、メキシコ史の勘所はアステカ=マヤ文明を征服したスペインがレコンキスタ時代のエンコミエンダ(委託統治)制を改良して使い回した点にある。「スペイン本国ではエンコミエンダ制を実施したことにより新たな封建領主になる者もあったので、植民地ではその弊害を避けるために土地の所有権は譲渡せず、征服者の功績に応じて征服した土地の一定数の先住民とその首長を集落ごとに委託した」。

この改良版エンコミエンダ制により土地所有から生まれる直系家族が成立しにくくなったことが大きい。エンコミエンダ制に代わって大土地所有のアシエンダ制が登場しても、民衆には土地所有の習慣がないために、家族形態は核家族に止まり、動産の平等分割から平等主義が生まれた。ナポレオン帝政によるスペイン帝国崩壊をきっかけにクリオージョ(メキシコ出自のスペイン人)のイダルゴ率いる独立戦争が一八一〇年に始まると、この平等主義的核家族形態の影響か戦いは血みどろの殺し合いとなる。一八二一年の独立以後も、メキシコの政治は、革命家が独裁者になり長期政権を敷くが最後には革命で殺されるか亡命するというパターンを繰り返す。レフォルマ戦争とナポレオン三世の介入戦争に勝ち抜いた国父フアレスとてこの弊を免れなかった。

一八六七年以降も、彼の判断では国の情勢はまだ大統領の特別権限措置と権利保障停止の実行を必要としていた。フアレスは憲法を表向きには擁護しているようで実際には憲法なしで統治を続けていたのである。

メキシコという国のメンタリティを知るために格好の一冊である。

物語 メキシコの歴史―太陽の国の英傑たち / 大垣 貴志郎
物語 メキシコの歴史―太陽の国の英傑たち
  • 著者:大垣 貴志郎
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:新書(270ページ)
  • 発売日:2008-02-01
  • ISBN-10:4121019350
  • ISBN-13:978-4121019356
内容紹介:
「太陽の国メキシコ」と言えば、わたしたちは陽気なマリアッチや古代文明を思い起こす。だが重層的な民族構成や文化をもつメキシコは、「仮面をかぶった国」と言われ、なかなか素顔を見せない… もっと読む
「太陽の国メキシコ」と言えば、わたしたちは陽気なマリアッチや古代文明を思い起こす。だが重層的な民族構成や文化をもつメキシコは、「仮面をかぶった国」と言われ、なかなか素顔を見せない。この複雑なメキシコの歴史を、マヤやアステカにはじまり、植民地時代、レフォルマ戦争、メキシコ革命などをへて現代まで概説するとともに、イダルゴやサパタなど、それぞれの時代を特徴づける神がかり的な英雄たちを紹介する。

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×月×日

メキシコシティは果たせるかな素晴らしい都であった。古層にアステカ文明の無意識が残り、その上にコンキスタドール以後の巨大建築が層を成すように立ち並んでいる。ディアス時代(一八七六―一九一一)には旧時代の建物群を切り裂いて、フランス第二帝政様式の壮麗なレフォルマ大通りが開通する。ディアス独裁は一九一〇年にサパタとビージャ(パンチョ・ビラ)が起こした革命で終止符を打たれ、共和政が誕生したが、このメキシコ共和国は革命を国是とするためか、その無意識的表象である建築においてもいまだに革命が続行されている。すなわち、近年、アヴァンギャルドな現代建築がいたるところに出現し、それらの現代建築のビル群は日本ではありえないほどシュールレアリスム的な様相を呈しているのだ。例えばアルベルト・カラチ設計のバスコンセロス図書館は、私が夢想する「天井にも本を置ける部屋」を実現したとんでもなくシュールな図書館である。

このバスコンセロス図書館の閲覧室でページを開いたのが柄谷行人『世界史の実験』(岩波新書 七八〇円+税)。柄谷行人はマルクスの内的体系は「生産」ではなく「交換」にあると考え『マルクスその可能性の中心』を著し、同じ内的体系の探求を柳田国男について試みた。「柳田国男試論」である。しかし、以後、理論的考察が中心となったため柳田論は宙づりにされた。柳田への関心が復活したのは東北大震災後に『先祖の話』を読み返したことだった。『遊動論 柳田国男と山人』はこうして執筆された。

柳田は山人を日本列島の先住民(遊動民)と見なしてその痕跡を求めたが、見出したのは山地民、つまり一度平地に定住して農業技術を身につけた後に山に逃れた人々だった。しかし、山地民は遊動民ではないものの、土地の共同所有と生産における協同自助という遊動性の特徴を有していた。柳田は武士も元は武芸を生業にする芸能者だったと見なし、秀吉の兵農分離という「悲惨なる大革命」でその山地民的な平等性は失われたと考えた。柳田は南方熊楠の批判を受けて山人説を取り下げ、一国民俗学を唱えたり、固有信仰(祖霊信仰)に向かったり、狼の生存を主張したりしたように見えたが、じつは山人説は放棄してはおらず、これらの方向性は大東亜共栄圏イデオロギーに賛同するどころか、その反対を志向するものだった。

柳田がいう『山人』は遊動的狩猟採集民であった。おそらく狼とも一緒に狩猟していただろう。だが、農耕民が到来すると、狼と同じ運命をたどったのである。彼らは山に遁れ、異人・妖怪として恐れられる存在となった。したがって、柳田において、山人・狼・祖霊は分かちがたくつながっている。

柳田が山人研究を志したのは「それを滅ぼした者による山人の『供養』を意味した」からだ。また狼の生存を唱えたのも「絶滅した狼への『供養』である」。固有信仰研究も「『山人』を別のかたちで追求することである」。では柳田の理解する固有信仰とはいかなるものか? 第一は死者が血縁関係の遠近に関係なく平等に扱われること。第二は祖霊と生者の関係が互酬的ではなく、両者の間には無条件の信頼関係がある。

さて、ここまでは『遊動論 柳田国男と山人』で主張されてきたことである。では『世界史の実験』はいかなる点で新しい地歩を築いたのか?

一つは、柄谷がジャレド・ダイアモンドらの『歴史は実験できるのか』を読み、「実験の史学」で主張された柳田の「重出立証法」との類似を見出したこと。両者は空間的な差異を時間的な差異へと読み替えることを学問の方法としている。すなわち、ダイアモンドが太平洋の島々について試みた自然実験を柳田は世界の辺境たる日本列島においてつとに試みており、その仕事は「たんに日本社会の研究にとどまるものではなく、世界史の諸段階を見るもの」になっていたのだ。

もう一つはエマニュエル・トッドが近著『家族システムの起源』で展開した人類の原初的家族形態は双系であるとする説にヒントを得て、柳田が妻問婚の前に母系制があったとする高群逸枝説に否定的だった理由を明らかにしたこと。柳田が日本の先祖信仰の特徴は血統ではなくイエが重視され、養子制の採用もそこから派生すると考えたのは、母系制でも父系制でもなく双系制が日本の古形であると見なしたからなのだ。日本のイエで女性が力を持ったのは「母系制の名残なのではなく、双系制の結果である」。母系制がトッドのいうように父系制への対抗として出現したとするなら、日本の古形は母系制ではありえない。日本におけるイエの重視は「父系制が十分に成立しなかったことから来ているのである」。こう考えれば、丸山眞男が日本の古層は「うむ」「つくる」ではなく「なる」であると見なしたことも理解できる。「双系制が残るところでは、『なる』の磁力が強いということができる」。ただし、日本の「なる」はギリシアや中国などの父系制の強い地域での「作為」の対抗として持ち出された母系的な「生成」ではない。「日本における『なる』の優位は、生成の優位に似ているようにみえるが、そうではない。日本では、作為・制作の優位が一度もなかったからだ。(中略)日本の『古の道』は、作為(父系)と生成(母系)の対抗が生じないような『双系制』であったということができる」

凄い! 本書は、『世界史の構造』で確立した交換様式理論にダイアモンドやトッドの理論を偏見なく取り入れ、最終的交換様式Dを求めながら、「なる」を永遠に続ける「柄谷行人による柄谷行人論」にほかならない。

世界史の実験 / 柄谷 行人
世界史の実験
  • 著者:柄谷 行人
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:新書(199ページ)
  • 発売日:2019-02-21
  • ISBN-10:4004317622
  • ISBN-13:978-4004317623
内容紹介:
ジャレド・ダイアモンド,エマニュエル・トッドらを援用した柳田国男をめぐる卓抜な「文学」と「日本」批評.

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