読書日記

渥美清『きょうも涙の日が落ちる』(展望社)、小林信彦著『おかしな男 渥美清』(筑摩書房ほか)

  • 2020/01/18

半歩遅れの読書術――名優の芸論は洞察の宝庫、評伝で裏取り理解深める

人間に興味があるので、自伝や評伝を好んで読む。前回も話したように、人間は多面的な存在である。もっといえば、矛盾を抱えている。そこに人間のコクがある。

これはと思う人物について知ろうとするとき、自伝を読むだけでなく、第三者が書いた評伝もなるべく数多く読むようにしている。つまり、「裏を取る」という読み方だ。その人物についての理解が深まる。

芸の世界に生きた人の自伝・評伝にはとりわけ目がない。その理由は、経営学者という僕の仕事と関連している。私見では、経営はサイエンスよりもアートに近い。優れた経営者はそれぞれに独自の「芸」をもったアーティスト。芸論は経営についての洞察の宝庫だ。

渥美清著『きょうも涙の日が落ちる 渥美清のフーテン人生論』(展望社)。著者は20世紀の国民的俳優、日本人の心情を鷲(わし)づかみにした「フーテンの寅さん」。自伝的な随筆と多士済々の同時代人との対談が収められている。副題にあるようにいかにも「寅さん」な内容。呑気(のんき)でおおらかな人となりと、行き当たりばったりの座談が楽しい。

きょうも涙の日が落ちる―渥美清のフーテン人生論 / 渥美 清
きょうも涙の日が落ちる―渥美清のフーテン人生論
  • 著者:渥美 清
  • 出版社:展望社
  • 装丁:単行本(254ページ)
  • 発売日:2003-06-01
  • ISBN-10:4885461014
  • ISBN-13:978-4885461019

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で、裏を取る。小林信彦著『おかしな男 渥美清』(新潮社など)。「フーテンの寅さん」とのギャップがすこぶる面白い。デビュー三年後、これからというときに三年間の結核療養という地獄を見る。単純でお人よしの寅さんとは対極的で、実際の渥美は複雑な性格の持ち主だった。

自分で「俺はキチガイだから」と言うほど業が深い。演技のためにあらゆるものを犠牲にする。「食うか食われるか」の芸能界にあって、目先の処世や利害には目もくれない。仕事もバンバン断る。上昇志向の塊で、計画性のない寅さんとは真逆のタイプ。自分の芸と野心と現実の仕事、これら三者の折り合いのつけ方を慎重に計算する。極端な個人主義者にして合理主義者だった。

自分の芸風を過剰にまで強く意識し、現実との齟齬(そご)に七転八倒の苦しみを経た挙句(あげく)に開いた大輪の花、それが『男はつらいよ』だった。しかし、そのハマリ方があまりにも完璧であったために、その後の渥美は死ぬまで「寅さん」を生きることを強いられた。

俳優に限らず、どんな仕事も最後はその人に固有の「芸」が物を言う。経営者にしても、その道で一流のプロとして生きていくことは自分の芸風と心中することに他ならない。芸風はただ一つ。「不断の自己革新!」と声高に言う人は信用しないようにしている。
おかしな男 渥美清 / 小林 信彦
おかしな男 渥美清
  • 著者:小林 信彦
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(478ページ)
  • 発売日:2016-07-06
  • ISBN-10:4480433740
  • ISBN-13:978-4480433749
内容紹介:
映画「男はつらいよ」の〈寅さん〉になる前の若き日の渥美清の姿を愛情こめて綴った人物伝。対談 渥美清と僕たち(小沢昭一)も収録。解説/中野翠

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初出メディア

日本経済新聞

日本経済新聞 2019年5月11日

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