対談・鼎談

ヘレン・E・フィッシャー『結婚の起源』(どうぶつ社)|丸谷 才一+木村 尚三郎+山崎 正和の読書鼎談

  • 2023/04/16
結婚の起源―女と男の関係の人類学 / ヘレン・E・フィッシャー
結婚の起源―女と男の関係の人類学
  • 著者:ヘレン・E・フィッシャー
  • 翻訳:伊沢 紘生,熊田 清子
  • 出版社:どうぶつ社
  • 装丁:単行本(268ページ)
  • 発売日:1983-01-01
  • ISBN-10:4886222145
  • ISBN-13:978-4886222145
内容紹介:
本書は、セックスと結婚の起源、ひいては家族の起源の物語であり、人類の起源の物語であり、なぜ私たちは地球上で最も複雑な存在であるかの物語である。そして、本書に記載された多くの事例は、優れた学者の長年の研究成果によるものである。

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丸谷 プロトホミニドというのは、人類の直前の類人猿で、つまりわれわれの祖先なんですが、約一千万年前に疎開林に生きていた。背が低く、痩せていて、毛深く、私たち人間よりも頭が小さかった。おそらく二本の足で立って歩行しはじめていたでしょう。メスはオスと同じくらい毛深くて、胸は平らで、月ごとの周期の三分の一は発情していた。発情してないときはオスの接近を受けつけなかった。

ところが九百万年前ごろから、二足歩行のせいで骨格に変化が現れる。足の親指が他の四本の指と平行になり、骨盤は結合し、頑丈になる。そのせいで産道が狭くなり、赤ん坊が簡単に通過できなくなる。メスが難産になるんですね。その結果、早産をする傾向のあるメスの子孫が、全個体数の中でゆっくりふえていく。

しかしこうなると、何ヵ月も、場合によっては何年も未熟児を世話しなくちゃならない。このため、野ネズミや野ウサギなど、獲物をとらえることが困難になり、動物質を摂ることが難しくなる。

ところが、プロトホミニドのメスの中には、普通より長い月経周期をもち、二週間も三週間も発情し続けている者が多分いただろう、妊娠中でも交尾できる者もいただろう、子供が乳離れする何年も前から性行為を再開できる者もいただろう。そういうセクシーなメスがいると、あいつは出産後すぐ発情するからいいというので、オスたちにとりまかれるようになった。こうなると、赤ん坊が外敵に取られる心配もないし、オスが肉をかついで帰ってきたときも、発情していないメスよりもたくさん肉を分けてもらえるわけです。セクシーな母親であるほど、子供は生き延び、成長し、繁殖するということになるわけで、つまり、そのセクシーな母親の遺伝子は次の世代にひきつがれることになります。

性交がほぼいつでも可能になったせいで、オスとメスが労働を分担し、肉と植物食を交換し、分配しあうことになるわけです。性的にも経済的にもオスとメスは依存しあうことになる。これでつがいが始まるわけですね。このつがいは、もちろんいろいろの形があったでしょうが、普通の場合は一対一だったでしょう。こうして四百万年以上も前、初期の人類のオスとメスの間で性の契約、つまり結婚制度の基礎が始まった、とフィッシャー女史は考えるわけです。

この本の特色は二つあります。第一は動物学、動物生態学、人類学、医学の最新の成果を取り入れて、整然たる仮説を組み立て、それを分りやすく叙述しているってことです。翻訳も明快です。

第二に、これはアメリカの女性人類学者が書いた本ですが、その仮説の組み立て方、いや、発想それ自体が極端に女性本位ですね。女の目で全人類史をふり返ればこうなるんだという本です。

山崎 この本は現代の常識的正論の立場からいうと、かなり危険な本だと思います。つまり、現代流布されている常識によれば、これまでの女性と男性の役割は、有史以来の文化的環境が決定したものにすぎないのであって、そこには何らの必然性も正義もない、女性と男性との役割の相違は本質的にはない、というわけですね。それに対し、この本では、男と女の役割が、人間の歴史より古く、何百万年も前の生物学的必然性によって運命づけられているというわけです。

しかし、私が一番感動したのは、この主張そのものではなく、こういう「社会動物学(ソシオバイオロジー)」の考え方が一九七〇年代に提案されたときの、社会的な反応について書かれた部分なのです。

社会動物学はエドワード・ウィルソンという学者が提案したものですが、動物に見られるなわばり、排他、攻撃、利己主義などの行動を論じ、人間のそれらの行動パターンにも動物学的基礎があるといったわけですね。当然、当時の正義派からは「ヒットラーの手先」として叩かれる。ある学会でウィルソンの本は焚書(ふんしょ)にすべきだという結論がでかけたとき、有名な人類学者のマーガレット・ミード女史が立ちあがり、議論は議論である、内容がどうあろうと、われわれは焚書をやるべきではないといってついにその意見が通ったというのです。

こういう思考、研究の自由がやはりアメリカの良さだし、われわれも大いに学ばなければならないと思いました。

木村 この本ははたして学術書なのか啓蒙書なのか、それとも科学小説なのか最後までよく分りませんでした。一番なるほどと思ったのは、女性のオーガズムのときに生じる身体的変化の描写。(笑)実に明確、克明に書いてあるんですが、女性の筆者が書いたものですから間違いないわけで、迫力がありました。(笑)

しかし肝心の本論には、欧米人の、というよりはアメリカ人の人生観や行動観が大きく影を落としていると思いました。

オスがメスを選択するのではなく、実はメスがオスを選択するのだという筆者の主張の例に、パーティや公園で、いかに女性が男性の気を惹くよう努力しているかという話がでてくる。これなど現代アメリカ女性の生活の反映ですね。

また、霊長類の中で人間だけが大きな乳房とペニスをもっている。〈乳房は背面位の交尾をしていた頃にオスをひきつけた肉づきのいい丸い尻の模倣だろう〉し、ペニスが大きいのは、メスが大きいのを好んだため、進化したのだろうと書いてありますが、これまた極めてアメリカ人的発想ですね。われわれ日本人のように、女性が胸の隆起にコンプレックスをもち、男性がペニスの大きさにコンプレックスをもっている人種は、いったいどうしたらいいのか。(笑)まるでアメリカ人の生活、好みが人類の進化の原動力だといっているような、そんな感じをうけました。

山崎 でもこれはかなり挑戦的な本ですよ。女が性的魅力を餌にして男から食物を受けとるのは、九百万年前から運命づけられた条件であるというんですからね。それを女の人が書いたということが面白いじゃないですか。

木村 まあしかし、こんなえげつないセックス第一主義の話は、ヨーロッパの女性なら書かないと思いますね。

山崎 起源論というのは、いつもあるいかがわしさが伴っているんですね。

「種の起源」とか「芸術の起源」とか、起源論がはやる時代がありまして、これは哲学的な本質論の引っこむ時代なんですね。起源をもって本質にかえる。人間の本質は何だかわからないけれど、昔はサルだったそうだというと、何か分ったような気がする。昔がサルだってことは、ちっとも現在の人間を説明してないんですけどね。ついでにいうと、起源論はそれが書かれた時代の過去への投影なんですね。スペンサーが「社会進化論」を書いたときは、イギリスはもっとも激しい競争社会だった。

この本もまた、すべての起源論と同様の問題点を含んでいますね。木村さんが引用された例でいうと、人間の乳房は猿のお尻が前へまわったものだというわけですから、論理的にいえば、進化がすすめば、お尻は貧弱にならなくてはいけない。ところが現在では、昔のサルよりももっと豊かなお尻をもって、モンローのようにそれを振り回して歩く女性もいる。これは論理的矛盾ですね。(笑)

それから近親相姦(インセスト)がなくなったのは経済的理由からだというんですね。つまり父が娘と交わって子供を産むと、養い手の数に対して子供がふえて困るからだと。もしこれが本当なら、ずっと時代が下がって豊かになった王侯貴族たちはどんどんやったはずなのに、そんな事実はない。少なくともタブーはあったわけですからね。

木村 結婚の未来について語っているところもおかしい。〈乱交やスワッピング、浮気、同性愛……は少くとも何千年もの間、行なわれてきた〉、だから、現代社会でいくらそういった現象が広まろうと、いまの家庭の形は壊れないだろうと、彼女は楽観的にいう。しかし伝統的、農業社会的な秩序の中で一夫一婦制が必然化されてきたこれまでの状況と、現代の都市化した社会とでは根本的に違うものがある。歴史学・社会学のセンスが彼女には欠如しています。彼女の説明によれば、生まれ落ちてから、一人前になるまで時間のかかる未熟児を育てるためにこそ、つがいが必然化されたという。しかし国家や社会による保護が強化され、片親家族が増え、「親はなくても子は育つ」客観条件が整えられつつあるのに、どうしてつがいが将来も存続するといえるのか、著者の説明だけでは分りません。

丸谷 僕が一番疑問に思ったのは、動物質に対して著者が非常に重きを置いていることですね。

オスは肉をもってくる。メスは肉をもってくるオスと親しくなりたい。そこでつがいが成立する……。

山崎 やっぱりローストビーフぶら下げて女のところへ行く国の発想ですね。小林秀雄みたいに言問(こととい)団子ぶらさげて隅田川のむこうへ行くような国では、この議論は成りたたないな。(笑)

木村 ヒエとアワと米の国の場合は、どうしたらいいか。(笑)

丸谷 しかし、獣の肉をほかのものに読みかえることは可能だと思うんですね。そういう読みかえの作業も読書の喜びの一つだ、ということはある。だから、思考の刺戟剤として非常に役に立つ本です。

木村 筆者はアメリカ以外の生活については、あまり知らないようです。現在の人間も〈類人猿がするように握手をし、肩を軽くたたき、キスをし……〉とありますが、握手するようになったのは十九、二十世紀になってからで、それまではヨーロッパ人でも握手していない。「アコラード」といって、首と首を触れ、抱きあって挨拶していました。

しかし、この本で面白いことも発見しました。たとえばチンパンジーは肉と木の葉を一緒に喰う。それはアメリカ人のステーキの喰い方と同じだそうですね。ところがヨーロッパ人は違いますよ。サラダは最初か最後に喰う。すると、特別にアメリカ人がチンパンジーの子孫だということになる。(笑)

丸谷 そういう細部についての反論はいろいろ可能でしょうが、この本の取柄は仮説全体の組立て方にエネルギーがあるってことなんですよ。

山崎 この本はアメリカ女性の危機感というか、つらさの産物だという気がするんです。アメリカという社会はちょっと困った面がありまして、何でも建前で論議しなくちゃいけないんですね。たとえば植物人間になった人に酸素吸入器をつけるべきか否かで、延々と裁判をやる。ところで、先ほど私が申し上げた「常識的正論」に従うと、アメリカの女性は大変つらくて淋しいんですね。ところが正論は正論だから、こういうぐあいに別の正論をもう一つ作らなきゃいけない。

木村 そう。それは本当にそうですね。アメリカ女性の淋しさが、この本にはよく出ています。〈出産後すぐに発情するメスは周囲のオスたちの注目を浴び、どこででもオスたちの中心にいることができる〉、ここを読んで、あるアメリカ女性の話を連想しました。平凡な家庭生活に飽きたらなくなって彼女はキャンパスを訪れた。「たくさんの男に囲まれて、学生時代はよかった」って。でもそのときハッと思い返したそうです。「そのたくさんの男に囲まれるため、私はどんなにつらい思いをしたことか」ということを。(笑)

丸谷 どうも、僕はいままで、男が女を選んでるんだとばかり思っていたらしい。ところがこの本によるとそうじゃなくて、女が男を選ぶものらしいですねえ。

山崎 そういう議論はですね、お互いに体験を告白することになるから、よしたほうがいいんじゃないでしょうか。(笑)

丸谷 いや、文春百万の読者のために少しだけ告白しましょう。(笑)

著者によると、女が男を選ぶのは、自分の産む子ども及び子孫が優秀であるように、優秀な男を選ぶんだというんですね。そこから先は遠慮して書いてないけれども、ところが男が女を選ぶのは、軽い気持で、やりたい一心で……、(笑)選ぶんで、じつに浅薄なものである。その点、女の選び方は重厚で立派である。そういう考えを、この女史はもっていますね。

でも、歴代の女が一千万年前から選んできたわけでしょう。それなのに、いまの人類がこの程度なのは、女の選び方がずいぶんまずかったんじゃないかなあ、と思う。(笑)

山崎 そのお蔭で、私たちも多少はおこぼれに与(あずか)っている。(笑)

丸谷 それで僕がいま存在してるんだね。(笑)

木村 アメリカの女子学生の最大の目的は学生時代に理想の男を見つける、これ以外にないわけです。

丸谷 日本の会社勤めの女の人と一緒ですね。(笑)

山崎 ノーベル賞の学者の精液をためておこうなどという馬鹿げた考えが出てくるのは、そういう背景からでしょうね。

木村 そうそう、やっぱり女性は非常識なんです。(笑)

山崎 いいんですか、そんなこといって。私は知りませんよ。(笑)

結婚の起源―女と男の関係の人類学 / ヘレン・E・フィッシャー
結婚の起源―女と男の関係の人類学
  • 著者:ヘレン・E・フィッシャー
  • 翻訳:伊沢 紘生,熊田 清子
  • 出版社:どうぶつ社
  • 装丁:単行本(268ページ)
  • 発売日:1983-01-01
  • ISBN-10:4886222145
  • ISBN-13:978-4886222145
内容紹介:
本書は、セックスと結婚の起源、ひいては家族の起源の物語であり、人類の起源の物語であり、なぜ私たちは地球上で最も複雑な存在であるかの物語である。そして、本書に記載された多くの事例は、優れた学者の長年の研究成果によるものである。

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三人で本を読む―鼎談書評 / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
三人で本を読む―鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(378ページ)
  • ISBN-10:4163395504
  • ISBN-13:978-4163395500

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文藝春秋 1984年3月

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