書評

『長いお別れ』(文藝春秋)

  • 2017/09/18
長いお別れ / 中島 京子
長いお別れ
  • 著者:中島 京子
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(263ページ)
  • 発売日:2015-05-27
  • ISBN:4163902651
内容紹介:
遊園地で迷子、消える入れ歯――日々起こるユーモラスな不測の事態、そして最期まで保たれた愛情。認知症の父親と一家をめぐる物語。

認知症になったことで分かり合える瞬間が、生まれる奇跡がある。ある男と家族の物語

夫(父親)が認知症になってからの約十年を描いた、家族の物語である。六十五歳以上の七人に一人が認知症と言われ、実体験のノンフィクションも多い今、もしかしたら小説のテーマとしては難しいものかもしれない。しかしそこは中島さんだ。病を「泣かせる材料」として用いてなどいなかった。そして子どもから高齢者まで、すべての世代の登場人物が等しく魅力的だった。

かつて中学の校長や図書館長を務めたこともある東昇平(ひがししょうへい)は、七十歳そこそこで認知症と診断される。言葉が出てこなくなり、食べたものを忘れ、親友の死が理解できなくなる。妻の曜子(ようこ)、そして離れて暮らす三人の娘たちは、最初の数年は「ちょっとおかしなことを言ったりしたりする」程度だった昇平の言動が徐々に崩壊してゆくことに、落胆と受容を繰り返す。

しかし、この「崩壊」は、ときに奇跡的なコミュニケーションを生みだす。たとえば、今いる場所がどこかも分からないのに、難しい漢字を読み書きできる祖父を孫たちがカッコいいと思ったり、独身の末娘が失恋の痛手を昇平に告白したりする場面で、不思議にやりとりが成立するのだ。やりきれない思いを吐露する末娘に、昇平は言う。「そう、くりまるなよ」。娘は返す。「でも、くりまるよ!」。この「くりまる」も含め、「ゆもらりない」とか「いくまっと」とか、昇平の言葉は既にほとんど意味不明なのに、そこに込められている気持ちは存分に伝わってきて思わず胸が熱くなる(この、造語の響きのセンスがすばらしい)。著者は面倒を見る側の心身の負担の描写を省かず、笑いを盛り込む。その笑いの余韻を残したまま、昇平と家族は「長いお別れ」の最終章に近づいていく。

あの有名なハードボイルド小説と同じタイトル。なのに表紙に描かれているのは、クールでもタフでもない、途方に暮れたような表情の老人だ。この表紙から物語の企みは始まっている。そして読者は読み終えたとき、これ以上のタイトルはないと思うに違いない。
長いお別れ / 中島 京子
長いお別れ
  • 著者:中島 京子
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(263ページ)
  • 発売日:2015-05-27
  • ISBN:4163902651
内容紹介:
遊園地で迷子、消える入れ歯――日々起こるユーモラスな不測の事態、そして最期まで保たれた愛情。認知症の父親と一家をめぐる物語。

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初出メディア

週刊現代

週刊現代 2015年7月4日

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